そんな状況が一変したのは、その日最後の講義が終わり、二人で帰り支度をしていた時だった。講義中電源を落としていた携帯の電源を立ち上げ、メールチェックをしていた清香が突然当惑した声を上げる。 「え? 聡さん? 嘘、やだ、後五分位しか無い。どうしよう」 急に携帯を握り締めながらオロオロし始めた清香に、朋美は冷静に声をかけた。 「ちょっと落ち着きなさい。例の聡さんがどうかしたの?」 「それが……、聡さんには私がここの学生なのは話してあるけど、今日は午後から営業の仕事で、この近くに来ていたみたいで、『ちょっと顔が見たいのと話したい事があるから、迷惑で無ければ正門の所で待ってる』って。それで到着予定時刻まで、五分切ってるの」 それを聞いた朋美は、素っ頓狂な声を上げた。 「はあぁ!? 清香、あんた別に約束なんかしてないのよね?」 「うん、してないけど」 「それなら『用事があるので失礼します』って断れば良いだけの話でしょ? とっとと西門から帰るわよ!」 「でも朋美、わざわざ聡さんが仕事の途中で立ち寄るなんて、何か大切な話かもしれないし」 「大手総合商社のバリバリエリートサラリーマンが、一介の学生相手にどんな大切な話があるって言うの!」 (まずいわっ! 校内で清香に男が近付くのを黙認なんかしたら、私の入学金がっ!) 教室内の級友達の怪訝そうな視線を一身に浴びながら、朝の心境とは打って変わって、朋美は内心で焦りまくっていた。 実は朋美は高三の夏、実家が自身の進学費用を用立てるのはかなりギリギリだろうと判断し、レベルを上げて地方国立大学を受験して一人暮らしの生活費を何とか工面するか、余裕で入学できる自宅から通学可能な、私立のここにするかの二者択一を迫られていた。そして考えた挙げ句、清香が同じくここを志望校にしていた事から、高一の時から清香の周囲の男どもの情報を横流しする度に、惜しげもなく過分な“お小遣い”をくれていた清人との、直談判に及んだのだ。 「すみません、入学金を全額無利子十二年返済の条件で貸して下さい。その代わり大学内で、清香には一切男を近付けさせません!」 その申し出を聞いた清人は如何にも楽しそうに笑い、幾つかの条件を出した。 《清香に気付かれると拙いので、男との多少の接触は許容範囲とする。その代わり、2人きりにはさせない》 《卒業まで虫除けができたら、貸した全額は返却しなくて構わない》 《もし失敗したら全額返済、当然銀行金利程度の利子はつけて貰う》 その条件で清人と手を結んだ朋美としては、かなり切実な問題だった。 (この不景気な時代に、卒業したって稼ぎの良い職にありつけるかどうかなんて分からないわ。百万単位のお金がチャラになるなら、悪魔にだって魂だろうが何だろうが、売ってやる!) そう決意を新たにしながら、未だに某財団から奨学金を貸与されたと本気で信じている両親に対しても、腹を立てた。 (大体、保護者に書類の一枚も見せない書かせないで、ポンとお金を渡すなんてあり得ないでしょ? それを疑いもしないなんて、そんな事だから出世コースから弾かれて、うだつが上がらないのよ! もう頼りにできるのは、自分自身だけだわ!) 頭の中で脳天気な親への八つ当たりも済ませ、しっかり気持ちを落ち着けた朋美は、素早く頭を回転させながら清香に声をかけた。 「ねえ、清香。この場合、わざわざ相手に付き合う義理は無いと思うんだけど、清香としては取り敢えず話を聞きたいのね?」 「うん。わざわざここに立ち寄るなんて始めてだし、電話じゃ出来ない話なのかと思うと、気になるし」 「じゃあ取り敢えず門まで行きましょう。案外すぐ済む話かもしれないわよ? 私も付き合うから」 「ありがとう、そうしてくれる?」 「私は構わないわ」 鷹揚に頷いて見せた朋美だが、実は(変に引き止めてムキになられても困るし、この際相手の男を、徹底的に観察させて貰うわ)という思惑の結果だった。
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