「それで……、大学祭は、こんな感じで終わったんだけど」 聡が仕事帰りに由紀子の病室に寄り、請われるまま先日の出来事の一部始終を語り終えると、それまで黙って相槌を打ちながら聞いていた由紀子が、我慢できなくなった様に口元を手で押さえ、クスクスと笑い出した。 「ふふふっ……、清香さんの従兄さん達に散々邪魔された挙げ句、彼女の前で頑張って清人と競り合ったのに、残念だったわね? 聡」 「仕方ないさ。全く……、兄さんがあんなに大人気ない人だとは思わなかった」 憮然とした聡の表情が面白かったのか、由紀子は益々笑みを深くした。 「それにしても……。二人で散々張り合った挙げ句、一番最後においしい所を、真澄さんに持って行かれるなんて、笑えるわね」 「何故だかは分からないけど、兄さんはあの人には頭が上がらないみたいだから」 溜め息を吐きながら、聡がその時の情景を思い返していると、何か思い付いた様に由紀子が真顔で尋ねてきた。 「ねえ、聡」 「何?」 「話を聞いていて思ったんだけど……。ひょっとしてその真澄さんって方、清人の恋人なのかしら?」 「有り得ないから!」 「なぁに? その即答は」 口にした途端即座に力一杯否定され、由紀子は目を丸くした。そして聡は、何となく気まずい思いをしながら、微妙に視線をさまよわせる。 「あ、いや、何となく。あの女性が兄さんの恋人って、あまり考えたくないと言うか、考えられないと言うか……。でも、本当にそんな空気は皆無だったから。強いて言えば……、“天敵”?」 「そうなの? それなら川島さんって言う方は?」 そう言われて、聡は眉を寄せて黙り込んだ。そして当日の清人の様子を思い返し、慎重に言葉を選ぶ。 「川島さんは……、柏木さんとはまた違った意味で、何となく違う気がする」 「そうなの。でも本当に、楽しい顔合わせだったみたいね。見られるものなら、是非この目で直に見たかったわ」 しみじみと、如何にも残念そうに溜め息を吐かれ、聡はげっそりと肩を落とした。 「母さん、他人事だと思って……」 「だって、おかしいんですもの」 そう言って先ほど聞いた話を思い出した様に、再び小さく笑い出した由紀子を見て、聡は少々うんざりしながらも自分自身を宥めた。 (まあ、良いか。こんなに楽しそうに笑う母さんを見るのは久しぶりだしな) そんな事を考えて苦笑いしていると、由紀子が予想外の事を口にした。 「何だか、清香さんに会ってみたくなってきたわ。私の退院祝いを作ってくれると言うし、一度家に招待できないかしら?」 由紀子に首を傾げて尋ねられた聡は、盛大に顔を引き攣らせた。 「それはさすがに、兄さんが黙っていないかと……」 (一緒に展示を見る約束をしただけで、あの妨害っぷり。もし家に招待なんかした日には、どんな制裁を企ててくるか……) 考えを巡らせて戦々恐々としている聡の耳に、更に驚愕する内容が飛び込んできた。 「それはそうよね。清人は勿論だけど、あれだけ派手に殴られた勝さんも、清人の事は警戒しているから、清香さんを招待する事には反対するだろうし。その辺りはどうしたものかしら?」 (母さんの中で、彼女を家に招待するのは決定事項なのか!? いや、それより……) 動揺しながらも、聡は慌てて難しい顔で考え込んでいる由紀子に確認を入れた。 「母さん、父さんが殴られたって何の話?」 「あら、話したでしょう? 清吾さん達のお通夜に出向いた時の事」 不思議そうに問い返した由紀子に、聡は納得しないまま尚も問い掛けた。 「聞いたけど、確か母さんが兄さんに殴られて、二発目は父さんが止めたって話で……」 「ええ、私が平手打ちされて倒れ込んだのを庇った勝さんが、拳で殴り倒されたのよ。勝さんが盛大に地面に転がったものだから、それで清人も少し落ち着いたみたいだったわ」 「母さん! 俺はまさかそんな事態だったとは、思って無かったんだけど!?」 事の次第を知って、さすがに顔色を変えた聡だが、由紀子は平然と話を続けた。 「説明不足だったかしら? でもそれで、少し安心したの」 「その状況で安心って、何に?」 「幾ら憎くても、私は平手打ちで済ませてくれた訳でしょう? あんな状況でも女性には手加減してくれるなんて、なんて優しい子に育ててくれたんだろうと思って、もう清吾さんと香澄さんに会う事が出来なくなって悲しいのと同時に、二人に感謝する気持ちで、胸が一杯になったわ」 片手で軽く胸を押さえながら、しみじみとそう語った由紀子に、聡は心の中で絶叫した。 (母さん! そこ、絶対感動する所じゃないから!! 第一、本当に優しいなら、間違っても母親に手を上げたりしないって!!) そうして少しの間項垂れてから、聡は誰に言うともなくボソッと呟いた。 「何か意外だな……」 「え? 何が?」 ゆっくりと顔を上げ、尋ねてきた由紀子の顔を眺めながら、聡は苦笑いした。 「父さんが体を張って、母さんを庇うとは思っていなかったから。親戚連中はこぞって、やれ『財産目当てだ』とか『会長の腰巾着が』とか、好き放題言っていたし」 「確かに財産目当てで結婚した所は否定できないけど、ちゃんと私の事は守ってくれる、結構律儀な人なのよ?」 穏やかに言い聞かせてくる由紀子に、聡は一気に脱力した。 「……母さん。爽やかに財産目当てって、断言しないでくれるかな」 「でも実際、そう言われたもの」 「誰に何を言われたって?」 思わず眉を顰めた聡に、由紀子は苦笑しながら思い返す様に話し始めた。
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