零れた欠片が埋まる時
第19話 小さくて大きな障壁②

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「微笑ましい、叔母馬鹿ぶりじゃないですか」 「……嫌み?」 「とんでもない。結局あなたは二年続けて入賞していましたから、どちらも見に行きました。清香は小さかったから、さすがに覚えてはいないと思いますが、俺はどちらかと言うと高二の時の『息吹』の方が気に入っています」 「そう……、ありがとう」  一応素直に真澄が礼を述べたところで、清人が疑問を呈してきた。 「それなりに才能はあったと思うのに、どうして美大とかに進まなかったんですか?」  それに真澄が苦笑いで応じる。 「プロとして大成できるのは、ほんの一握りの人間でしょう? 所詮お嬢様の暇潰しって言われるのが関の山なのに、時間を浪費したくは無かったのよ」 「それで経済学部ですか。あらゆる意味で極端な人ですね」 「……色々あってね」  揶揄する様に清人が口にした台詞に、真澄が苦虫でも噛み潰した様な表情で答える。さすがに何か不味い事を言ったと察した清人は、それ以上余計な事は言わずに口を噤んだ。  そうこうしているうちに二人は正門まで辿り着き、車がひっきりなしに通る大通りに面した場所で佇んでいたが、思い出した様に清人が口を開いた。 「それで、清香にはどんな画集を貸したんですか?」  その問いに、真澄が清人の方に視線を向けながら答える。 「どんなって……、春日修平の作品集よ。知っている?」 「いえ、生憎絵画に関しての造詣は、殆どありませんから。その人の作品がお好きなんですか?」 「その人の作風も好きだけど、ここ何年嵌っているのは来生隆也の作品ね」 「その方の名前も初耳ですね」 「国内より海外での評価が高い人物なの。知らなくて当然よ」 「そうですか」 「ここ三年は、誕生日に自分へのご褒美代わりに、毎年作品を購入しているわ。十年程前からフランスに行っていて、あまり国内で作品が出回っていないから、年に一回購入できるかどうか位で、ちょうど良いしね」  真澄の発言内容を頭の中で吟味した清人は、皮肉混じりに問い掛けた。 「そうで無かったら、その人の作品を手当たり次第買い占める可能性があるんですか?」 「強く否定できない自分が怖いわね」 「そうですか」  どちらからともなくクスクスと小さく笑い出した所で、目の前に黒塗りのロールスロイスが滑り込んできた。 「ああ、来たわね」   真澄が呟くのと同時に静かに停車し、運転席から白髪頭の男性が降り立ったが、彼が車を回り込んで来る前に、清人が素早く後部座席のドアを開けて真澄を促した。 「どうぞ」 「……ありがとう」  一瞬反応が遅れた真澄だったが、素直に礼を述べて後部座席に収まった。続けて清人がその膝に紙袋を乗せる。 「それではこれを」 「ええ。それじゃあね」  そこでドアを閉めかけた清人に向かって、真澄が釘を刺す。 「一応言っておくけど、これから清香ちゃんの所に戻ってちょっかい出すんじゃ無いわよ?」 「誰かさんのせいで、そんな気力は綺麗さっぱり無くなりましたから、ご心配なく」 「そう。それなら良かったわ」  そんな言葉を交わしてから清人は慎重にドアを閉め、迫力満点の大型車は、そこから静かに走り去って行った。 「来生隆也、か……」  それを見送りながら何やら口の中で呟いていた清人は、車が角を曲がって見えなくなると同時に踵を返し、自宅への道を歩み始めたのだった。 「悪いわね、柴崎さん。日曜日に働かせてしまって」  二代続けて柏木家の専属運転手を務めている老人に、真澄はいたわりの言葉をかけた。しかし運転席の彼は、笑いながら言葉を返した。 「いえ、いつもは倅に譲っていますのでね。日曜位お呼びがかからないと、生きがいが無くなります。遠慮無くお声をかけて下さい」 「せっかく健人さんに仕事を引き継いだのに、本音では楽隠居したくないの?」 「そういう事です」  そこで小さく苦笑した柴崎は、何かを思い出した様にハンドルを握りつつ、後部座席の真澄に問い掛けた。 「ところで……、先程の男性は、ひょっとしたら佐竹様ですか?」 「え?」  一瞬困惑した真澄だったが、すぐに納得した様に頷いた。 「……そう言えば、確か柴崎さんは一度しか、直に顔を合わせた事は無かったわね。清香ちゃんに会いにマンションに出向いた時も、見送りに出てくれるのは、彼女だけだったし」 「ええ、あの時一度きりです。しかもかなり想定外の事態で顔を合わせましたし。あの学生服姿のお坊ちゃんが、随分と立派におなりになって……。最近は作家としてもかなりのご活躍をされているみたいで、感慨深いものがあります」 「そうね……」  しみじみとした口調で語った柴崎に、真澄は適当に言葉を返した。そして何かを振り払う様に、きびきびと指示を出す。 「柴崎さん、悪いけどこのまま会社に行ってくれる? 明日までに揃えておかないと、いけないものがあるのよ」  それを聞いた柴崎は、バックミラー越しにはっきりと顔を顰めてみせる。 「他人の事をとやかく言えませんな、真澄様。休みはきちんと取るべきですよ?」 「努力するわ」 「………………」  素っ気なく言った真澄の口調に、本当に休む気があるのかと柴崎は思ったが、自分の立場ではこれ以上言っても無駄かと諦めて口を噤んだ。  それからは車内に沈黙が満ちたが、車窓の流れる景色を見ながら、真澄がボソッと呟く。 「……描いてみようかしらね、久しぶりに」 「何か仰いましたか?」  不思議そうに柴崎が尋ねてきたが、真澄は笑って誤魔化した。 「何でもないわ。独り言だから気にしないで」  そうして真澄の波乱に満ちた休日は、呆気なく終わりを告げた。  

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