零れた欠片が埋まる時
第39話 清香、人生最長の一日(5)③

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「真澄さん、お待たせしました」 「思ったより、かからなかったわよ? 初めまして、小笠原由紀子さんですね? 柏木真澄と申します」  向かい合う形で腰かけた由紀子に、真澄は軽く頭を下げた。それに対して由紀子が、恐縮気味に頭を下げる。 「こちらこそ。これは柏木さんの車だそうですね。お世話になります」 「いえ、大した事ではありませんので」  二人がそんなやり取りをしている間に、清香は携帯を取り出して、どこかへ電話をかけ始めた。 「あ、もしもし、お兄ちゃん? そろそろ聡さんを解放して良いわ。…………え? 今? 聡さんのお家に居るの。聡さんにそう伝えてね、それじゃあ」  そこで問答無用で通話を終わらせて再び電源を落とした清香の斜め前で、真澄が傍らの車内備え付けの受話器を取り上げ、運転席に指示を出す。 「出して頂戴」  そうして静かな音と共にゆっくりと車が発進し、清香は真澄と顔を見合わせて、小さく笑い合った。 「悪い子ね、清香ちゃん。聡君、絶対泡を食って、家に帰って来るわよ?」 「敷地内にいる間に電話したんですから、その時点では聡さんの家に居る事に間違いは無いです」 「確かに、すれ違っても私達の責任じゃあ無いわよね」 「そうですよ」  そんな事を言い合ってクスクスと楽しそうに笑っている真澄と清香に釣られる様に、強張った由紀子の顔も僅かに綻んだ。  「聡君、真っ青になって帰って行ったな」  男二人取り残された室内でボソッと浩一が呟くと、清人が忌々しげに言い返した。 「出掛けるって、まさかあいつの家に行ってるなんて、思わないだろう。全く……、清香の奴、何やってるんだ。第一真澄さんが付いていながら、鉄砲玉にも程がある」 「ある意味、姉さんが一緒だから、余計に心配なんだが……」 「浩一。益々不安を煽る様な事を言うな」 「悪い」  そんなやり取りをして、更に重苦しい沈黙が漂った佐竹家のリビングだったが、少しして何やら玄関の方から物音を察知した二人は、ほっとした様にソファーから腰を浮かせた。 「何か物音がしないか?」 「漸く帰って来たか……」  清人が溜息を吐き出した所で、ドアの向こうから清香が顔を出して挨拶してきた。 「ただいま」 「一体何をしてたんだ、お前は」  思わず説教しかけた清人の台詞を遮り、清香が体をずらして後ろの人物をリビング内へと誘導する。 「お客さんを連れて来たの。……由紀子さん、どうぞ入って下さい」 「は?」 「…………っ!」  予想外の人物の名前を耳にして、目を丸くした浩一と絶句した清人の前に、ゆっくりと由紀子が現れた。そして微動だにしない二人に向かって、軽く頭を下げる。  「……お邪魔します」 「じゃあ、由紀子さんはこっちに座って下さい。ほら、お兄ちゃんはさっさとそのまま座る!」 「……ああ」 「浩一、あんたは私と一緒に下で待機よ。ほら、ぐずぐずしない!」 「いや、あの、ちょっと……」  清香は由紀子の手を引っ張り、真澄が浩一の手を引っ張って移動を開始してその場を仕切り、男二人は全く抵抗できなかった。 「じゃあまた後でね、清香ちゃん」 「はい、連絡宜しくお願いします」  そうして真澄と浩一が姿を消し、清人と由紀子が対面する形でソファーに座り、清香が二人と直角になる位置で腕を組んで仁王立ちになったところで、清人に冷静に促す声をかける。 「さてと。当事者が揃った所で、お兄ちゃん、さっさと済ませてよ。時間が押してるんだから」 「何だそれは? 全然意味が分からんぞ。何をさっさと済ませろと?」  怪訝な顔を向けた清人に、清香が呆れた様に素っ気なく言い放つ。 「だ~か~ら、さっき聡さんに向かって由紀子さんの事を悪し様に言ってた様に、本人に向かって悪口雑言をぶつけるなり、子供の頃にやった様に指を噛みちぎるなり、お通夜の時の様に殴り倒すなりして、すっきりしたらって言ってるのよ」 「清香……」  途端に眉を顰めて見上げて来る清人に、清香が淡々と続ける。 「この間、聡さんに纏わり付かれて、いい加減ストレスを溜めているんでしょう? それ位、本人に代償してもらったって良いじゃない。その為に、わざわざ連れて来たのに」 「…………」  意識的に由紀子に視線を合わせようとしないまま、清人は不機嫌そうに黙り込んだ。それを見た清香が、茶化す様に言い出す。 「あれ? どうして何もしないわけ? 嫌がるのを無理矢理引きずって来たのにな~」 「……ふざけるのもいい加減にしろ、清香。本気で怒るぞ?」 (う、うわ~、これは本気で怒ってるかな? お兄ちゃんの話を聞いた時、何か口で言うほど怒ったり憎んでる様な気がしなかったから、一か八か由紀子さんを連れて来てみたけど……。単なる私の見当違い? 本気でお兄ちゃんが暴れたら、止められるかな?)  怒りを孕んだ視線で清人が清香を睨みつけ、その視線を真っ向から受け止めた清香は何とか笑顔を保ちつつ、内心で滝の様に冷や汗を流した。その時、その場の重くなりつつあった空気を切り裂く様に、由紀子の叫びが響く。 「ごめんなさい!」  それを耳にして、思わず清人と清香が二人揃って由紀子の方に顔を向けた。

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