零れた欠片が埋まる時
第6話 込み上げる怒り①

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「じゃあ、お兄ちゃん。ちょっと駅前のカフェまで出かけてくるから」  その声に、朝食後リビングのソファーに座って寛いでいた清人は、読んでいた新聞から顔を上げて、ドアの方を見やった。 「ああ、例の角谷さんから、お母さんの本を受け取って来るんだな」 「うん。お兄ちゃんがサインしてくれるって伝えたら、とても喜んでくれたわ」 「そうか。しかしわざわざこの近くまで足を運んで貰って申し訳無かったな。先方に住所を教えても良かったか……」  僅かに表情を曇らせた清人に、清香が宥める様に明るく言葉を継ぐ。 「何でも今日は、もともとこの近くに用事があったんですって。本を渡したら、その足でそこに向かうって言ってたから」  それを聞いた清人は、どこか安堵した顔付きになった。 「そうか。それはお互いに、都合が合って良かったな」 「うん。帰りにケーキでも買って来るね。行ってきます!」 「ああ、気をつけて」  そんなやり取りをして清香を見送った後、再び新聞を読み始めた清人だったが、電話の着信音に不快気に顔を上げた。 「誰だ? 土曜日の朝っぱらから」  小さく悪態を吐きながら新聞を横に置いた清人は、壁際の電話に真っ直ぐ向かった。そして受話器を取り上げて応答する。 「はい、佐竹ですが」 「お久しぶりです、清人さん。友之です」 「……何の用だ?」  妙に嬉しそうに聞こえてきた男の声に、清人の機嫌は確実に悪くなった。  浩一を初めとする、清香に纏わりついてくる彼女の従兄弟達の一人で、清人の一歳年下の友之は、一見人当たりが良く穏和な気質を持っている好青年と思われがちだが、実際は松原工業次期後継者と見込まれるだけの人物であり、その内側に鋭敏な観察眼と胆力を兼ね備えた、早く言えば一癖も二癖もある人物だった。  しかしそれは清人も同様であり、同族嫌悪と言う言葉がぴったりなこの二人の関係は、浩一に対するそれとは異なり、以前からあまり友好的とは言えなかった。 「そんな露骨に、嫌な声を出さなくても良いじゃないですか。一つ悪い事を教えてあげようと思ったのに」 「“良い事”ではなくて“悪い事”と言うあたり、相変わらずだな」  清人は思わず皮肉ったが、相手は平然と切り返してくる。 「あなたには負けますよ。ところで清香ちゃんはそこに居ますか?」 「たった今、外に出たところだ」  てっきり清香に電話をかけてきたと思った清人は、言外に「目的を果たせなくて残念だな」という意味合いを含ませたが、友之は全く気にせずに用件を口にした。 「それは好都合。実は彼女が今、会いに行ってる人物は男です。それを教えてあげようかと思いまして」 「は?」  いきなり思考停止する内容に清人が絶句すると、友之がどこか思わせぶりに伝える。 「もっと詳しく言えば……、あなたの異父弟だったりするんですよ」  その台詞を聞いた清人はたっぷり数秒は固まった後、電話の向こうに怒声を浴びせかけた。 「何だと!? そんな馬鹿な!! お前、いい加減な事をぬかすな!!」 「五月蠅いです。彼女、その人物をどう言ってたか、思い出してみたらどうですか?」  迷惑そうに指摘してくる友之に、清人は取り敢えず怒りを抑えて考え込む。 「そう言えば……、『角谷』って言う苗字は、あの小笠原社長の旧姓だったか? 迂闊だった……。おい、ちょっと待て! 大体どうしてお前がそれを知ってる!?」  矢継ぎ早の言葉に、清人の動揺ぶりが容易に推察できるらしく、友之が笑いを堪える様な口調で説明してくる。 「最初の情報源は玲二です。しかし色々平静さを欠く事があったかもしれませんが、清人さんらしくないですね。清香ちゃんに近付く男の影に気がつかないなんて」 「勝手に言ってろ!」  忌々しげに吐き捨てた清人に、友之が口調を改めて問い質してきた。 「それで、どうするつもりですか?」 「どう、とは?」  衝撃の事実を告げられた為、些か失調気味の清人が言われた意味を掴み損ねて眉を寄せると、友之が淡々と畳み掛けてきた。 「清香ちゃんに小笠原との一部始終を話した上で、彼らに金輪際近付くなと厳命しますか?」 「それは……」  思わず口ごもった清人に、友之が追い討ちをかける。 「そうもいきませんよね? 実の母親を死んだ事にし、実の祖父に対して仕出かした非常識な行為の数々を聞いたら、あの素直で純粋な子が『お兄ちゃん酷い、あんまりだわ! 人として最低よ! 軽蔑するわ、大っ嫌い!』とかなんとか言いそうだ。そんな事を面と向かって言われたら、妹命のあなたにはダメージが大でしょうし」 「……五月蠅い、黙れ」  律儀にも清香の口調を真似て言われたそれに対して、清人が静かに恫喝し、そのこめかみに青筋が浮かんだ。それがまるで見えているかの様に、友之がクスクスと笑いを漏らしてから、いつもの口調に戻って確定事項を告げる。 「取り敢えず今日は2人の待ち合わせ場所に、体の空いていた正彦を出向かせています。さり気なく邪魔しますから、そう心配しなくて良いですよ」  その台詞で、清人はおおよその事情を把握した。 「全く……、俺が知らないところで、皆で集まったのか?」 「ええ、意思統一しました。それで清人さん、今日は病人になって下さい」 「はあ?」  唐突な申し出に流石に清人が戸惑った声を上げたが、友之はそれに構わず話を続ける。 「携帯の電源を切って、固定電話も出なければ完璧です」  そこで元々聡い清人は、友之の思惑を瞬時に理解した。 「なるほどな。清香に心配をかけるのは不本意だが仕方がない」 「どこまでも清香ちゃん本位の人ですね。それじゃあ連絡はしましたから、失礼します」 「ああ、手間かけさせたな」  最後は互いに苦笑しあって通話を終わらせ、清人は静かに受話器を元の位置に戻した。しかし(くだらない小細工を弄しやがって)と聡に対する清人の怒りは、それから暫く燻り続けた。

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