「いただきます」 夕食時、清香と食卓を挟んで挨拶をした清人は、常より微妙に多い皿数と手の込んだ料理を眺め、箸を動かしながら不思議そうに尋ねた。 「清香、何だか今日は、随分気合いを入れて作ったな」 「うん! だって嬉しい事があったから」 如何にも上機嫌に言い出す清香の、「聞いて聞いて!」的な無言の訴えを醸し出している瞳を見た清人は、笑いを堪えながら尋ねてみた。 「へえ、因みにどんな良い事があったんだ?」 「今日図書館で、お母さんがお兄ちゃんデビュー以来の熱烈なファンだって人に偶然出会って、色々な話を聞いてきたの」 「そうか。例えば?」 「あのね、出版作品を全部コレクションしているのはお約束でしょうけど、装丁が傷まない様にオリジナルの手製のカバーをかけてるんだって」 「そんな風に大事にして貰っているのは有り難いし、作家冥利に尽きるな」 自分の作品を大事にして貰っていると聞いて悪い気がしないのは当然であり、清人の顔も自然に緩む。 「それで、お兄ちゃんはこれまで色々なジャンルで書いているでしょう? 一般的な文芸書とかの他に、エッセーとかミステリーや各種ルポやノンフィクション、恋愛物や時代劇とかSFまで手を広げちゃっているし」 「まあ、書きたいものを書いているうちに、際限なく幅が広がってしまったんだが」 「それでその方、ご丁寧にジャンル毎に色柄を変えてカバーを作っているから、お兄ちゃんが新しいジャンルに手を出す度に『今度はどんな物にしようかしら?』って楽しそうに、でも真剣に悩んでいるんですって」 「俺が雑食作家なばかりに、見ず知らずの女性を散々迷わせる結果になって申し訳ない」 そこで苦笑を一層深くした清人に、清香が顔付きを改めて神妙に言い出した。 「それでね? お兄ちゃん。話しているうちに分かったんだけど、実はその人、今入院中なんですって」 「それは……、それなりの年齢の人だろうし、心配だな」 思わず同情する口調と表情になった清人に、清香が軽く首を振りながら続ける。 「でも『すぐ退院予定だから心配しないで欲しいし、変な事を聞かせて却って申し訳なかった』と謝られたの。だけどその話を聞いて、私つい『お見舞い代わりにお兄ちゃんのサイン本でもさしあげましょうか?』って、言ってしまって……」 そう言って気まずそうに俯いた清香を眺めた清人は、目元を緩ませて優しく笑いかけた。 「分かった。それは清香の親切心から申し出た事だし、気にしなくて良い。俺なんかのサインで喜んで貰えるなら、幾らでもするから」 それを聞いた清香は、弾かれた様に顔を上げ、嬉しそうに礼を述べた。 「ありがとう、お兄ちゃん!」 その笑みにすこぶる満足しつつ、清人が早速どの本にサインして渡そうかと思案する。 「じゃあ……、出版社から貰った最新刊が残っているから、早速それにでも」 「あ、ちょっと待って!」 「どうした」 慌てて引き止めた清香に清人は訝しげな顔を向けたが、清香は順序立ててその理由を口にした。 「あのね、できればお母さんが普段読み込んでいる本にサインをして貰えないかって、頼まれているの」 「そうなのか?」 「うん、サインして頂くだけでも恐縮なのに、本まで頂けないって。それに愛着のある本にサインを頂けた方がお母さんも喜びそうだからって事なんだけど、どうかしら?」 幾分心配そうにお伺いを立てる清香の顔を見て、清人は破顔一笑した。 「それなら、俺もそれで構わない。大事に読み込んで貰っている本を見たら、俺も嬉しいからな」 「良かった! じゃあ今度預かってくるから、お願いね」 「分かった。しかしその人は良識と謙虚さを兼ね備えた上、母親思いの親孝行な人だな。そんな風に思いやって貰って、そのお母さんは幸せだ」 「そうね……」 しみじみと感想を述べた清人だったが、ここで何故か清香が箸の動きを止めて何やら考え込んでしまったらしい事に気がつき、気遣わしげに声をかけた。 「どうかしたのか?」 その問い掛けに清香は一瞬何と言ったものかと迷う風情を見せたが、ぼそぼそと正直に思った事を口にする。 「あ、えっと……、大した事じゃ無いんだけどね? 私も親孝行、したかったかなぁ……、なんて」 「……清香」 思わず何とも言い難い顔で清人が口を閉ざし、自然と重苦しくなったその場の空気を払拭しようと、清香がわざとらしく明るい声を張り上げた。 「だから! 親に親孝行出来なかった分、親代わりに面倒見てくれてるお兄ちゃんの老後の面倒はみてあげるからね! 安心して!」 「……なんだそれは?」 いきなり飛躍した話の内容に清人が眉を顰めたが、清香は勢い込んで続けた。
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