「うぃ~~、よぉっぱらっちゃったぞぅ~~」 「課長、ですからもう帰りましょう」 「他の皆さんは帰りましたし」 どうやら若手二人に上司の世話を押し付け、他はトンズラしたらしいと容易に分かるシチュエーションの三人は、ヨロヨロと店の奥に進もうとした。 「なぁ~にほざいてやがる! ここで飲み直すぞ!」 「いや、ちょっと、それは無理ですから!」 「店を出てタクシーを」 「うるさい! 黙って俺について来いっ……、てんだ!」 その迷惑男が調子外れな叫び声を上げて、店内の客が揃って眉をしかめたと同時に、清人が無言で立ち上がる。 「………………」 「清人さん? ……清人さんっ! お願いですから穏便にっ!」 抑えた口調の修の訴えも虚しく、清人は真っ直ぐその三人組の所に向かい、泥酔男のネクタイを鷲掴みして問答無用で店の外に引きずって行き始めた。 「うん? なんだ? お前。…………おい、何しやがる!」 「ちょっとあなた! いきなり何するんですか!?」 「課長を放して下さい!」 部下らしい二人組が清人の腕を振り解こうとするのも物ともせず、清人はあっさり店から男達を引きずり出し、彼らの姿が消えると同時に店内に不気味な沈黙が漂った。 そして十分程して清人一人だけが店内に戻って来たが、皆見て見ぬ振りを貫いた。しかし流石に立場上確認しない訳にはいかず、修が恐る恐る尋ねてみる。 「あの……、清人さん? さっきのお客さんはどうされました?」 すると清人が事も無げに言い放った。 「安心しろ。奴らは二度とここには来ない。静かに酒と料理を味わえる」 (清人さんっ! あなた経営状況の確認に来ているのか、営業妨害に来ているのか、どっちなんですかっ!?) 大体予想していた返答ながらも、実際に聞かされて修は本気で頭痛を覚えた。そこで偶々後ろを通りかかった奈津美に、清人が声をかける。 「ああ、そう言えば奈津美さん。簿記検定一級取得に向けての勉強は、捗ってますか?」 「はい、それなりに何とか……」 思わず足を止め、引き攣った笑みを返した奈津美に、清人が笑顔を向けつつ修を指差す。 「こいつは料理の腕は確かですが、金勘定は駄目ですから。ここは内助の功の見せ所です。頑張って下さい」 「……はい」 余計な事は言わずにお愛想笑いで頷いた奈津美に、清人は更に容赦なく続けた。 「以前お話しした様に、通信教育費と受験料一回分は支払い済みですが、一級に一度で受からなければ、二度目以降は一度目の分を含め全額返済の上、銀行並みの利子を付けますから」 「……え?」 予想外の話に奈津美だけでは無く修の顔も強張ったが、清人が構わずに冷静に続ける。 「昔からの誼で無利子で金を融通しましたが、回収不能な物件に余計な金をつぎ込むつもりは毛頭無いので、経理は奈津美さんがきっちり締めて下さい。少しでも借金を増やさない為と思えば、やる気も倍増ですよね? 頑張って下さい。応援しています」 「ありがとう、ござい、ます」 そんな厳しい事をさらっと吐きつつ顔は終始笑顔の清人に、奈津美は辛うじて根性だけで、営業スマイルを返したのだった。 ※※※ 「………………」 「それで、どうなったんだ?」 当時の事を思い出したのか、全てを語り終えた修が黙り込んでしまった為、正彦が続きを促すと、修は声を絞り出す様にして続けた。 「奈津美の奴、店や家の事もやりながら死に物狂いで勉強して、見事一回で一級に合格したんだ。試験の後、『学生時代にも、こんなに本気で勉強した事無かった』って、燃え尽きていた。…………すまん、奈津美! 俺が甲斐性無しなばっかりに、お前にまでしなくても良い苦労をかけてっ!」 最後は殆どむせび泣き状態で、臨月の為この場に居ない妻に対して詫びながら座卓に突っ伏した修を、左右から彼の兄弟が宥めた。 「ああぁ、泣くな兄さん。ほら、ハンカチ。顔を腫らして帰れないだろう?」 「出産祝いは弾むからな。色々大変だろうし、費用こちら持ちで、暫く通いの家政婦を派遣してやるから、お前も嫁さん孝行しろよ?」 「ありがとう、明良、兄さん……」 そんな風に、兄弟の絆をじんわりと再確認している三人を眺めながら、他の者達はこそこそと囁き合った。 「開店費用を清人から無利子で借りたって言うのは知っていたが、利子を払っても、銀行から借りた方が精神的負担は少なかったんじゃ……」 「奈津美さんは元々老舗料亭のお嬢様だったそうだから、金銭感覚が鋭いって訳でも無かったみたいだしね」 「四級とか三級ではなく、初回から一級を狙わせるとは……。清人さんは無謀極まりないが、受かる奈津美さんも大したものだな……。流石だ」 「……俺が独立する時は、下手に清人さんを頼らずに、真面目に利子を払って銀行から借りよう」 そんな第三者をよそに、倉田三兄弟の話はまだ続いていた。 「修、そろそろ落ち着け。清人さんが来る度に、毎回そんな調子って訳じゃ無いんだろ?」 「ああ、流石に清香ちゃん同伴だと極端に酷い事にはならないから、清人さんが来る頃に清香ちゃんに『若い女性向けの試作品を作ってみたから、是非清香ちゃんに食べて欲しい』と電話して、良く一緒に来て貰ってるから……」 それを聞いた明良が、合点がいったと言う様に頷く。 「だから若い女性向けメニューが、気がつくと少しずつ増えているのか。……苦労してるんだね、兄さん」 「本当に細かいよな、清人さんは。だけど金勘定に厳しいと思いきや、散財する時は散財するし、相変わらず良く分からない人だ」 しみじみとそう正彦が口にした時、玲二が思わず口を挟んだ。 「それって、バカンス会とかの事?」 「う~ん、あれは使う必要があって払うと言えるだろう? 別に払わなくて良い所に、時間と金を費やすと言うか、何と言うか……」 一言で上手く説明出来ないらしく正彦が口ごもると、浩一と友之も怪訝そうに問い質してくる。 「さっきの話と逆だろう?」 「どういう意味だ? 正彦」 「あれは……、この前、出先でばったり清人さんと出くわした時の話なんだが……」 その問い掛けを受けた正彦が、以前の事を思い返しながら、徐に話し出した。
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