零れた欠片が埋まる時
第32話 芽生える不安③

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「もしもし、聡さん? こんばんは。どうかしたんですか?」  途端に僅かに眉を顰める清人に、小さく溜息を吐いた真澄。しかし幾分困った様な表情で清香が背後を振り返った時には、二人はいつも通りの顔を取り繕っていた。  更に(気にしないで)と言う様に真澄が手を振り、清香の部屋の方を指差した為、清香が携帯を耳に当てたまま小さく頭を下げてから、自室へと向かう。そしてその姿がリビングから消えると、ここまで沈黙を保っていた清人が、不思議そうに真澄に声をかけた。 「珍しいですね、あなたがこんな使い走りの様な事をするなんて」 「私だって、真っ平ご免よ! 目の前でわざとらしく土下座されて嘘泣きなんかされて、正直ウザくて最初は突っぱねたわ」  乱暴に足を組みながら、舌打ちせんばかりに言ってのけた真澄に、思わず清人が溜息混じりに尋ねる。 「……そうでしょうね。それなのに、どうして引き受けたんですか?」 「きっぱり断った途端、嘘泣きを止めて、『支払った対価に見合った働きをして貰おうか』と迫られたのよ。全く、どこの世界に、孫を脅す祖父が居るのよ」  苛立たしげに吐き捨てた真澄を見て、清人は無意識に両腕を組んで考え込んだ。 「対価という事は…………。話の流れからすると、ひょっとして例のアレンジの事ですか?」 「ご明察」  短く答えた真澄にその憤り具合が分かり、清人は呆れながらも質問を続けた。 「一体、会長から幾らむしり取ったんですか。二百万ですか? 三百万ですか?」 「………………五百万」 「真澄さん!?」  ボソッと呟かれた金額に、流石に清人は驚いて組んでいた両腕を解き、二人の間に置かれたローテーブルに両手を勢い良く付いた。そして非難混じりの声を上げると、真澄も組んでいた足を戻し、僅かに身を乗り出しながら、必死に弁解する。 「だって! 普通百万で売ろうって時に、最初から百万なんて提示しないで、高く言って値切り交渉に応じるものでしょう? 五百万ってふっかけて、二百万か三百万あたりで折り合いを付けるつもりだったのに、まさかバカ正直に、言い値で応じるなんて思わないじゃない!!」 「その挙げ句、その場で現金一括払いされて、そんなに要らないと訂正しようとしても『儂に渡さんつもりか!?』とゴネられて、しっかり受け取らされましたか?」  容赦無く指摘してくる清人に、真澄は本気で項垂れた。 「どうして実際、目にした様に言えるのよ」 「あなたにしては、珍しい計算ミスですね」  慰めるべきか叱るべきかを清人が微妙に躊躇していると、真澄は膝の上に置かれた拳を強く握り締め、呻く様に呟いた。 「何だか…………、今にして思えば、あれも全部自分の誕生日に、清香ちゃんを招く為の布石に思えてきたわ」 「そんな気がしますね。お身体も頭の回転も衰えていない様で、結構な事じゃないですか」  小さく肩を竦めて事も無げに言った清人の言葉に、思わず真澄は顔を上げて清人の顔をまじまじと見やる。 「……何ですか?」  思わずたじろいだ様子を見せた清人に、真澄は顔色を窺う様に尋ねた。 「反対しないの?」 「清香が柏木邸に行く事にですか? それともご老体の告白をですか?」 「勿論、両方だけど」  その問いに、清人は明るく笑って答えた。 「以前にも言いましたが、別に構いませんよ? 香澄さんに口止めされたので、今でも自分からは清香に打ち明けない事にしていますが、清香があの人の孫である事は事実ですから、それを告げようとする事自体を、妨げるつもりはありません」 「それなら良いんだけど……。それで、清人君も一緒に来ない?」 「俺も、ですか?」 「ええ……、良かったら、だけど」  唐突な誘いの言葉に、清人は一瞬本気で当惑した様に黙り込んだが、すぐに苦笑しながら小さく首を振った。 「辞退します。あの人が、俺を招く筈がありません。大方あなたと浩一の独断でしょう。二人の立場を悪くする様な事はできません」 「でも、それは!」 「せっかくの祝いの席を白けさせるのは、流石にご老人に悪いです。せっかく勇気を振り絞っていらっしゃるんですから、それに水を差したくはありません。お気遣いなく」  声を荒げかけた真澄を、清人は淡々とした口調で宥めた。すると真澄が真剣な顔つきで、どこか清人を探る様に問いかける。 「本気で、言っているのよね?」 「勿論です」  きっぱりと言い切った清人に、真澄は思わずと言った感じの呟きを漏らした。 「……赤の他人にそれだけ寛容になれるなら、実の血縁者の」 「真澄さん?」  冷たい声で遮られた真澄は、自分の失言を悟った。 「ごめんなさい。余計な事は言わないわ」  謝罪して気まずそうに俯いた真澄が気の毒になったのか、清人は幾分、わざとらしく明るい声で言い出す。 「正直に言わせて貰うと、あの屋敷は敷居が高いんですよ。あんな事があった所ですしね」 「やっぱり、まだ許せない?」  心配そうに尋ねた真澄に、清人は何故か笑いを堪える様な表情で続けた。 「いえ、もうそんなのはとっくに超越しています。もし清香が十五も年上のバツイチ子持ち男に引っ掛かったら、俺だったら後腐れの無い様に、確実に息の根を止めますよ。ですがあなたのお祖父様は、あの件で香澄さんが激怒したのがきっかけでしょうが、正式に入籍した後は嫌がらせもきっぱり止めて、遠くからこそこそ様子を見ているだけで、いじらしいじゃないですか」 「それ……、本気で言ってるの?」  思わず疑わしそうな視線を向けた真澄に、清人が真顔で応じる。 「言っていますよ? 清香が高校の頃なんか、男子生徒にちょっかい出されたりしないかどうか心配で、そこの学校の理事に金を掴ませて、事務員の服と身分証のパスを入手していたのを知っています。それを使って、時々カツラと眼鏡で変装までして校内に入り込んでは、廊下の陰から清香の様子を眺めていたのを見た時には、思わず涙を誘われましたし」 「はい?」 (清香ちゃんの高校まで行って、一体何やってたのよ、お祖父様!!)  祖父が第一線を退いてからの知られざる行動に、真澄は愕然とした。しかし清人の驚愕の告白は、更に続く。 「下駄箱や机に入れられた手紙とかを焼却処分したり、清香に言い寄ってる男に、上から雑巾のすすぎ水をぶちまけたり、呪いの藁人形を鞄の中に入れたりしているのを見た時には、ご老人がするにはどうかとも思いましたが」 (年を取っていなくても、人間的に問題があり過ぎでしょうが!)  心の中でそう絶叫した真澄だったが、ふと重大な疑問が頭をよぎった。 「……ちょっと待って。どうして清人君が、そんな事を知っているわけ?」  怪訝な顔をした真澄に、清人が全く悪びれずに答える。 「当時俺も、似た様な事をしていましたから。校内で、ばったりご老人に遭遇して焦りましたよ。向こうは俺に気が付いていませんでしたが」 (「清香ちゃん命」の同類だわ……。お願いだからそんな事、平然と言わないで! というか、そこのセキュリティーってどうなってるの!?)  本気で頭を抱えてしまった真澄に、清人が不思議そうに声をかけた。 「どうかしましたか?」 「……なんでもないわ」 「ああ、そうだ。理学部や医学部とかならともかく、文学部で白衣を着てうろうろすると目立つので、機会があったらさり気なく指摘してあげて下さい。見ている方が痛々しくて」  至極冷静に、現在進行形であろう問題を指摘され、(清人君に憐れまれてるなんて事が分かったら、お祖父様、憤死するわね……)と思いながら、真澄は話題を元に戻した。

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