「さて、それでは次に移ります。こちらのプリザーブドフラワーのアレンジメントです。最低落札価格千円から、始めたいと思います。ご希望の方、挙手をお願いします!」 明るく声を張り上げた司会者の台詞を聞いて、清香が反射的に俯く。 「やっぱり、百円からにすれば良かった」 「まだ言ってる」 「だって……」 まだグズグズ言っている清香をよそに、会場のあちこちから声が上がった。 「千五百」 「二千」 「二千三百」 「ほら、他にも買いたがってる人は居るだろう? 今、俺が競り落としてあげるからね。清香さん、ちょっと待ってて」 そう言って宥めた聡は、清香の作品を競り落とすべく、正面を向いて片手を上げながら声を発した。 「五千」 「一万!」 「お兄ちゃん!?」 しかしその時、鋭く馳せられた誰かの声で、聡の声が遮られた。手を上げかけた体勢で反射的に声の聞こえた方に顔を向けると、涼しい顔で片手を上げている清人と目が合う。その全く笑っていない目が一瞬緩み、フッとせせら笑われた気配を感じ取った瞬間、聡の闘争心に火が点く。 清人と同様に視線を険しくした聡が、真っ向から相手を睨みつけ、それを見た清香以外の周囲の者達は、試合開始のゴングが鳴り響く幻聴を、確かに聞いた。 「おぉっと! ここで一万の声が上がりました。他にご希望の方はございませんか?」 狼狽した清香の声に、嬉しそうな司会者の声が重なり、更にやる気十分の声が会場内に響いた。 「三万!」 「さ、聡さんっ! ちょっと待って下さい!」 「五万!」 「お兄ちゃん! 恥ずかしいから止めて! 家族が競り落とすなんておかしいわよ! サクラみたいじゃない!」 「家族が競り落としては駄目だと言う規則は無いから、別に構わないだろう?」 何とか説得しようとした清香だったが、清人は平然と自分の正当性を主張した。そこに火に油を注ぐ様な発言が重なる。 「八万!」 「聡さん! あれは材料費を入れてもそんなにしませんから!」 「でもそれだけ払っても良い気がするから。何か無性に気に入ったものでね。あれだったら、母も絶対気に入ると思うし」 清香の懇願をあっさりと聞き流し、聡ももっともらしい理屈を述べる。 「十二万! 奇遇だね小笠原君。実は俺も、あれが結構気に入ってしまってね」 (このクソガキが! 俺に盾突こうなんて百年早いぞ!) 「十七万! 意外ですね佐竹さん。でも俺と好みが一緒だなんて嬉しいです」 (この三十男が! 自分で大人げないとは思わないのか!?) 下手をすればバチバチと火花が散っているのが見える様な緊迫した雰囲気に、最初は盛り上がっていた会場も、いつしか静まり返って胡散臭げにその一角を遠巻きに眺め始めていた。 (もう誰でも良いから、この2人を止めてぇぇぇっ!!) 清香が本心からの訴えを込めて周囲の者達を見やったが、全員不自然に視線を逸らした。 (止められないから……、もう気の済むまでやらせておこう) そんな諦めムードが漂う中、事態はどんどんエスカレートしていった。 「お兄ちゃん、聡さん! そんなに欲しいなら後から同じ物を作るから! お願いだから今日の所は!」 「二十万!……そうか、それならそっちは川島さんにプレゼントしよう。清香が川島さんの部屋に行った時、殺風景なのが気になったと言っていたし。そうだろう?」 「そ、それは確かにそう言ったけど!」 「先生! 勝手に人を巻き込まないで下さい!」 「川島さん、落ち着いて」 「二十五万! それじゃあもう一つは、俺の部屋に飾るから俺の為に作ってくれる? ああ、いっその事更にもう一つ作って貰って、俺の部屋と清香さんの部屋でペアにして飾っても良いよね」 「あ、あのっ! ペアって何ですか!?」 「二十七万! ああ、忘れていた。もう一つは奈津美さんの出産祝いとしてでも贈ろうか?」 「ちょっと! そんな大金はたいたもの、怖くて部屋に飾れないわよ!」 「待って! 奈津美さんにはちゃんと別の物を考えてて!」 「おい、あんまり興奮するな。お腹の子に障るだろうが」 巻き添えを食った形の恭子と奈津美の悲鳴も上がり、浩一と修が宥めに入ったが、当事者2人は気にも留めなかった。 「ああああのっ! 二人とも、言っておくけど競り落としたらこの場で現金で引き換えなのよ? カードとか小切手とか使えないから! そんな大金を口にしたら、恥をかいちゃうからっ!」 狼狽しながら叫んだ清香だったが、対する男2人は微塵も動揺しなかった。 「三十万! 安心して清香さん。出先で何かあれば一大事だから、普段から大抵は、纏まった現金を持ち歩いているものでね」 「三十二万! やっぱり君とは気が合うな。これ位社会人としては当然の嗜みだからな。そういう訳だから清香は気にするな」 「ききき気にするなって言われてもっ!!」 最早涙目になっている清香を半ば無視し、清人と聡は多少引き攣った笑顔で対峙していた。 (オークションの話を聞いて、何か清香さんが気に入った物があれば購入しようと思って、現金を多目に用意してきて助かった。しかし流石にそろそろ……) (この成金の小倅が! いつもどれ位親の金を持ち歩いてやがるんだ! やっぱり何もかも気に入らない。一気にケリをつけてやる!) (やっぱりお前達似た者同士の、間違い無く血の繋がった兄弟だよ……) 周囲の者がうんざりしてそのやり取りを見守る中、ステージ上で青くなっていた司会者が、何とか言葉を絞り出した。 「さ、さあ……、今現在、こちらのプリザーブドフラワーのアレンジメントに三十二万の値がついておりますが……、他にご希望の方はございませんか?」 そこで勢い良く叫んだ声が上がった。 「三十五万!」 「五十万!」 「百万!!」 聡と清人の声に続き、後方から誰かの声が高らかに響いた瞬間、今度こそ講堂内の空気が凍った。 「ひゃ……」 「百万って、おい!」 一瞬遅れてザワザワと空気が揺れる中、先程の女性の声に聞き覚えのあり過ぎる十名程だけは、狼狽しながら後方を振り返った。 「ちょっと待て!」 「今の声って」 「まさか!?」 激しく嫌な予感を覚えた一同の視線の先に、パンツスーツ姿の真澄がゆっくりとステージに向かって通路を歩いて来るのを認め、全員見事に固まった。コツコツとヒールの音を僅かに響かせながら近付いて来る間に、清人が小声で浩一に凄む。 「浩一!? お前」 「いや、俺は何も言って無い!」 顔を蒼白にして首を振る浩一に、清人は舌打ちしたい様な顔を向けたが、そうこうしているうちに、通路に面した聡の座っている場所までやって来た真澄が足を止めた。そしてゆっくりと四方を見渡しながら、良く通る声で会場中に厳かに宣言する。 「私はそのアレンジメントに百万出します。ですが皆さんの中でそれ以上出せる方は、どうぞご遠慮なく申し出て下さい」 にっこりと慈愛に満ちた微笑みを見せながら、不特定多数の者に促すが、勿論そんな事を申し出る者は皆無である。 「真澄さん……」 突然過ぎる闖入者の出現に、清香はただ呆然とするのみだった。
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