「柏木物産、企画推進部第二課課長の柏木真澄と、その弟の営業部第一課課長の柏木浩一と遭遇したんだ。彼女がその二人と家族ぐるみで親交があって、両者とも清香さんを妹みたいに可愛がってるらしい。映画の後、彼女共々無理矢理食事を付き合わされる羽目に」 「げっ! あの長男の弟を押し退けて踏み付けて、名実共に柏木産業次期後継者レースに躍り出ていると言われてる、あの《柏木の氷姫》に可愛がられてる女ぁ!?」 (何か微妙に、浩一氏が気の毒になって来たな。確かに姉の方がインパクトは強烈だが) 自分の話の途中で突然呻いて指を差してきた高橋に、聡は無意識に眉を寄せた。そんな聡の内心など分からない高橋が、慌てて尋ねてくる。 「おい、ちょっと待て。さっき食事を付き合わされたとか言ったか」 「ああ。『私の奢りだと食べられないとか言わないわよね?』とか半ば脅迫されて。浩一氏は終始申し訳無さそうにしていたが。その後、カラオケにも連れて行かれて、門限が二十一時の彼女の携帯にお兄さんから電話がかかってきたら、名乗りもせずにそれに出て『私が後から送り届けるわよ。黙ってお座りして待ってなさい!』と問答無用でブチ切っていた。そう言えば……、その後、電話がかかって来なかったな」 そこで(やっぱり兄さんも、あの猛女には適わないらしい)と妙な親近感を感じつつ、苦笑混じりにその夜の事を思い返していると、高橋が頭を抱えて呻いた。 「“あの”柏木真澄の妹分に言い寄っているだけじゃなく、おそらく超ゴージャスな食事を奢って貰った挙げ句、仲良くつるんでカラオケに行っただと?」 「いや、言い寄ってはいないし、奢られたのは不可抗力で、つるんでなんて表現は以ての外なんだが」 そこでいきなり棚の上にカップを置いた高橋は、空いた両手で聡の肩を掴み、真剣な表情で睨み付けてきた。 「ぐだぐだ言うな角谷! 悪い事は言わん、今すぐその清香ちゃんとは、すっきりきっぱり別れろ!」 「藪から棒に、いきなり何だ?」 「その清香ちゃんと付き合ってるのがバレたら、お前、最悪仕事を干されるぞ?」 「おい、高橋落ち着け。だからどうしてそうなる」 呆れた様に見返す聡に、高橋はゴクリと唾を飲み込んでから声を低めて話し出した。 「課長、去年数社参加したプレゼンで、柏木物産に負けたんだ。覚えていないか? 当時日本未進出だったドイツの《Freiheit》の商品を、全国展開しているホームセンターとタイアップして販売、供給させようっていう話」 「ああ、あったな、そう言えば。……まさか、その時の向こうの担当者が」 思い当たった内容に聡が軽く驚きを示すと、高橋は重々しく頷いた。 「ああ、泣く子も黙る柏木女史だった。その時、俺も担当者の一員だったから、課長と係長に同行したんだが、提案内容もさることながら、実に威風堂々としていたな。最後に会場を後にする時、わざわざ向こうからこちらに挨拶しに来たし」 「何て?」 「『小笠原産業の提示した内容もなかなかでしたわ。よほど《Freiheit》の商品に、愛着を感じていらしたんですね。ご安心下さい。我が社が御社の分まで、日本全国で商品の魅力を十分に知らしめて、思う存分売り上げて見せますわ』と上から目線で、実際見下ろされながら。実際に言われなかったが、背後から高笑いが聞こえてきそうなオーラを醸し出していた」 「あの人、女性にしては上背があるからな……」 (そして課長は、男性にしたら背が低いからな) ハイヒールを履くと、百八十cm弱の自分とさほど目線が変わらなかった真澄の姿を思い返した聡は、当時の上司の心境を思って少し切なくなった。しかしそんな感傷を打ち消す様に、高橋が話を続ける。 「なあ、嫌味だろ? 仕事を奪った上、そこまで追い討ちをかけなくても良いだろ? 鬼だよな。その晩居酒屋で、係長と一緒に課長に散々愚痴られてさ。本当に、酷ぇ目にあった」 「……お疲れ」 切々と訴える相手を一応労った聡だが、ここで漸く高橋が話を戻した。 「だから! 『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』って言葉もあるし、その柏木女史と懇意の女の子と付き合っているなんて事が課長にバレたら、絶対お前目の敵にされるって!」 「それとこれとは関係無いだろう。それに付き合ったりはしていないと、何度言えば分かるんだ?」 (第一、下手に俺を干したりしたら、飛ばされたり干されたりするのは向こうだが……) 呆れつつも、どちらにしても自分の立場からすると少々困った事になりそうだと考えていると、高橋が慌てた様に動き出した。 「うわ、やべ。課長が睨んでる。俺行くわ」 「ああ、無駄話をし過ぎたな。俺もそろそろ机に戻る」 聡も険しさを含んだ上司の視線を察知し、二人はカップの中身を一気に飲み干し、横に設置されているゴミ箱に空のカップを突っ込んで業務へと戻って行った。
コメントはまだありません