零れた欠片が埋まる時
第1話 二十歳の誕生日③

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「あぁら、皆何を黙り込んでるの? 気の毒なお祖父様じいさまのたっての願いを叶えてあげるのが、孫としての当然の務めだと思わない? だけど私の記憶に間違い無ければ、お祖父様の孫娘はもう一人居たと思っていたのだけれど……、気のせいだったのかしら?」  そこで雄一郎の長女であり、柏木産業で三十代前半で既に課長職を務めている真澄が、予告なしに現れた。そして彼女が放った一言で、それまで決して快適とは言い難かった食堂内の空気が、完全に凍りつく。 「真澄っ、お前、今日は残業」 「全て終わらせました。……そうですか。清香ちゃんが『たった一人の孫娘』ですか」  故人となった祖母譲りの美貌にうっすらと冷気漂う笑みを浮かべつつ、真っすぐ自分を目指して歩み寄る孫娘に、総一郎は蛇に睨まれた蛙の如く、固まったままダラダラと冷や汗を流した。 「い、いやっ! 決してお前の存在を忘れていたわけではっ!」 「そうですね。確かに孫娘ではありますが、『可愛い孫娘ではなかった』というだけの話ですよね?」 「かっ、可愛いに決まっとるだろう! ただ、お前に関しては可愛いよりは、雄々しいとか凛々しいとかの形容詞が前面に出てきていてだな」  そんな風に必死に弁解を試みる祖父を、側まで来た孫娘は呆れ果てた視線で冷徹に見下ろした。そして仕事上の口調で淡々と指摘する。 「柏木会長、第一線を退いたとはいえ、あなたは未だに柏木産業の対外的な顔で、社内でも依然として影響力をお持ちです。ご自分の言動に節度と責任をお持ち下さい」 「……っ」 「柏木社長。現時点ではあなたが柏木産業のトップです。未だ柏木家の家長では無いのかもしれませんが、いい加減頑固ジジイの操縦法位会得して下さい。そうでないと振り回される周囲が迷惑です」 「……あのな、真澄」  反論できずに口ごもる総一郎と閉口した雄一郎を知った事かと真澄は睨み付け、淡々と正論をぶつけた。 「ところで、明朝九時から経営会議と伺っております。会長と社長は、勿論ご出席の筈。くだらない話は適当に切り上げて、さっさとお休みになる事をお勧めします」 「く、くだらないだとっ!?」 「玉砕が怖くて真正面からブチ当たれない人間が、何を言ってもやってもくだらないだけですよ」 「なっ……」 「それでは失礼します」  流石に声を荒げかけた総一郎の台詞をぶった切った真澄は、言うだけ言って踵を返し、食堂を出て行った。その背後や閉めかけたドアの向こうから、男達の囁き声が微かに届く。 「全く、年々気が強くなりおって!」 「亡くなった母さんに、年々似てきましたね。父さんをやりこめる所なんか特に」 「五月蝿いぞ和威!」 「しかし相変わらずきっついよな~、真澄姉。あれじゃ嫁の貰い手が無いんじゃない?」 「もういい年だろう? 三十三だったっけ?」 「友之、明良君。そこまで遠慮の無い言い方はちょっと……」 「姉さんは仕事に生きてるから。余計な事は言わない様に」  そんな声もドアを閉めると聞こえなくなり、真澄は傍らに控えていた使用人を振り返った。 「私の部屋に、軽食と飲み物をお願い。夕食を食べそびれたのよ」 「畏まりました」  恭しく一礼した年配の女性が歩き去ると、真澄は何事も無かったかのように、足音を吸収する厚さのある絨毯の敷かれた廊下を進む。そして階段を上がりながら、食堂に乱入する直前に聞こえた話を頭の中で反芻した。 (清香ちゃんと、あの連中の誰かをね……。いよいよ棺桶に片足を突っ込んだのかしら。あのお祖父様が、そんな発想をするなんて)  自分の弟達や従弟達の顔を思い浮かべつつ、実の祖父にかなり辛辣な批評を下した真澄の心の中で、僅かなさざ波が生じる。 (清人君がそうそう簡単に、清香ちゃんに男を近付ける筈はないけど……。面倒な事になって、あまり彼を怒らせたくは無いわ)  そんな事を考えながら真澄は自室のドアを開け、溜め息を吐きながら中へと入った。 

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