話は、清香が帰宅する三十分程前まで遡る。 その時、仕事部屋で資料の整理をしていた清人は、携帯の呼び出し音が響いた為、作業を中断してそれを取り上げた。ディスプレイに浮かびあがった見慣れない番号に一瞬戸惑ったが、通話ボタンを押して応答する。 「はい、もしもし。佐竹ですが」 「すみません、兄さん。今ちょっと、時間を貰って良いですか?」 そこから聡の声が伝わってきた途端、清人は問答無用で通話を終わらせた。そして素早く受信履歴に残った番号を、受信拒否設定にしてから、忌々しげに呟く。 「……この番号、清香からでも聞き出したのか?」 そして何とか気持ちを落ち着かせながら机に戻り、作業を再開した清人だったが、五分程して固定電話の呼び出し音が鳴り響いた。その為、清人は何となく嫌な予感を覚えながら、仕事部屋の子機を取り上げる。 「はい、佐竹です」 「話も聞かずにいきなり切るのは、酷くありませんか?」 「しつこいぞ!」 予想通りの声に、清人は怒りを露わにして怒鳴りつけ、通話を終わらせた。そして当分かかってきても通じない様に、わざと所定の位置に戻さず、話し中の状態にする。 「全く……」 悪態を吐きながら、何とか仕事に集中しようとした清人だったが、それから更に十分程して、今度はインターフォンの呼び出し音が鳴り響いた。最早苛立ちを隠そうともせず、清人がそのモニターに歩み寄り応答ボタンを押すと、画面にエントランスに佇む聡が映し出されていた。操作音で清人が応対しているのを察したらしい聡が、軽く頭を下げつつ呼びかけてくる。 「俺です。少しお話ししたい事が」 無言のまま清人はモニターの電源を落とし、素知らぬふりを決め込んで作業を再開した。 それから更に五分程して、今度は玄関の呼び出しのチャイム音が鳴り、怪訝そうに清人が腰を上げた。そして玄関のドア越しに声をかける。 「はい、どちら様ですか?」 「すみません、管理室の高田です。ちょっと確認したい事がありますので、ドアを開けて頂けませんか?」 一応覗き穴から廊下を窺うと、確かに一階に常駐している管理人である年配の男が佇んでいた為、清人は慌ててロックを外した。 「分かりました。今開けます」 そしてドア開けながら、清人は怪訝な顔で尋ねた。 「高田さん、お待たせしました。どうかしましたか?」 「申し訳ありません、佐竹さん。こちらの方が」 「良かった、別に何事も無かったんですね? 心配しましたよ、兄さん」 そこで開いたドアの向こうから聡が姿を現し、ドアを閉められない様にさり気なく片足でドアを押さえ、両腕でドアノブを掴んでいる清人の腕を捕らえた為、流石に清人は驚きの声を上げた。 「なっ、お前っ! どうしてここにっ!」 しかし何故かその反応を見た高田が、ほっとした様に笑顔を見せる。 「ああ、本当に弟さんだったんですね? 佐竹さんや妹さんから、そんな話は聞いた事がなかったので、疑ってしまってすみませんでした」 「いえ、確かに両親が離婚して名前も違いますし、普段離れて暮らしている者の事を、ペラペラ話したりはしませんから。お気遣い無く」 にこにこと高田に愛想を振りまく聡に、清人が低く呻く。 「これは一体、何事だ?」 「嫌だな、兄さん。俺との約束を忘れて、昼寝でもしていたんですか?」 凄まれてもびくともせず聡が苦笑し、高田が安堵した様に経過を説明した。 「電話でもエントランスのインターフォンでも応答が無いから、ひょっとしたら兄が室内で倒れているかもしれないと、下で訴えられまして、焦りましたよ。管理室から登録されている携帯や固定電話にかけてみても、全く応答がありませんでしたし」 「清香さんも出掛けると聞いていたので、もし一人で倒れていたらまずいかと。しかも『中から応答があっても、もしかしたら押し込み強盗が兄を脅してるかもしれないから』なんてお騒がせして、不測の事態に備えて無理に付いて来て貰って、本当に申し訳ありませんでした」 そう言って高田に向かって神妙に頭を下げた聡を見て、清人は心の中で忌々しげに呟いた。 (こいつ……、それを狙ってわざと事前に電話をかけて応答不能にしておいて、高田さんを引っ張り出して、俺に中から鍵を開けさせたな?) しかしそんな事とは夢にも思っていない高田は、愉快そうに笑って軽く手を振った。 「いえいえ、想像力豊かな所は、流石物書きの方の弟さんですね。何事も無くて、本当に良かったです。それでは私は失礼します」 「はい、お騒がせしました」 「申し訳ありません」 頭を下げた高田を、聡と清人は謝罪の言葉を述べて見送ったが、その姿が見えなくなった途端、清人は取り繕った外面をかなぐり捨て、未だ自分の右手を押さえている聡の腕を、左手で掴みながら恫喝した。 「……随分、手の込んだ真似をしてくれるじゃないか。さっさとその手を離せ」 「叩き出しても構いませんが、話を聞いて貰うまで廊下で待たせて貰います。そのうち清香さんが、帰ってくるかもしれませんね」 動じずに言い返す聡を、清人は目を細めて睨み付ける。 「……警察を呼ぶぞ?」 「単なる兄弟喧嘩でですか? でも俺は兄さんに対して手を上げる気はありませんから、下手すると傷害罪を問われるのはそちらですね。それに……、清香さんに余計な心配はかけたくないので、できれば回避したいです」 淡々と告げる聡に清人は小さく舌打ちすると、ドアを更に大きく開いて、聡に腕を掴まれたまま廊下に出た。そして聡が腕を離すとドアを閉め、そこに背中で寄りかかりながら、両腕を組んで横柄に告げる。 「家に上げるつもりは無いが、五分だけなら話とやらを聞いてやる。さっさと話せ」 (あくまで、自分のテリトリーには入れないと言う事か……。はっきりしていて、いっそ清々しいな) その姿に思わず笑いを誘われた聡だったが、それを見た清人が、益々不愉快そうに唸った。 「……何がおかしい」 「すみません。それではなるべく簡潔にお話ししますが、まず……」 瞬時に笑いを収めた聡は、清人の前で両手両膝を廊下に付けて座り込み、神妙に頭を下げた。
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