零れた欠片が埋まる時
第22話 男のプライド④

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「嬢が真っ直ぐに育ったのはな、あやつが自分の根性がねじ曲がってる事を自覚しとったから、その分気合いを入れて、全力で守って真っ直ぐ育ててきたせいじゃ。まあ、それが悪いとは言わんが。……ところで、お前さんの名前をまだ聞いとらんかったが、何と言うんじゃ?」 「小笠原聡です」  いきなり問われた聡は、何も考えずに本名を口にした。すると槙村が微妙に目を光らせ、探る様な視線を向ける。 「ほう? 何やら以前、聞いた事が有るような無いような名前が出てきたの」 「そうですか? そんなに珍しい名前でも無いので、何かの折りに耳にされたんでしょう」 「そうかもしれんな」  その場に白々しい空気が流れる中、聡は確信した。 (この人は……、絶対に兄さんから、聞いている筈。兄さんの性格がねじ曲がってると言うなら、この人から精神的影響を受けたのも、一因なんじゃ) 「それは邪推と言うものだぞ? 若いの」 「俺は何も言ってませんよ! 一体何なんですか!?」  突然、前振り無く真顔で言い聞かせてきた槇村に、思わず畳にへたり込みそうになった聡だった。  そして小休憩を挟みつつ小一時間程経過した所で、槙村が徐に言い出した。 「嬢。そろそろ小童どもに稽古をつけないといかんから、お前がこれと組んでくれんか? そんなに筋は悪く無いから、投げの練習相手位にはなるじゃろう」 「はあ?」  思わず当惑の声を上げた聡を、槙村はじろりと睨みつけた。 「なんじゃ、不服か?」 「……いえ」 「じゃあ嬢、暫く揉んでやれ」  軽く言われて、流石に清香も不安な表情を見せる。 「はあ……、でも大丈夫ですか? 聡さん」 「ええ、何とか。無理にお付き合いさせて貰いましたし、練習台位にはなりますよ?」 「そうですか? それなら宜しくお願いします」  そうして一礼して組み合った2人だが、聡の予想以上に清香の動きが早く、一分持たずに足を払われて畳に転がった。 (早い……、やっぱり手加減してくれていたって言うのは、本当だったか)  苦笑いしながら槙村の表情を窺うと、笑いを堪えて自分達の方を見ているのが分かった。それで逆に、聡の中に冷静さが戻って来る。 「もう一度、お願いします」 「はい」  清香の手足の動きに神経を集中させながら、聡は慎重に攻め方を考えた。 (とにかくまず動きに慣れないと。そして投げ技だと敵わないから、なんとか寝技に持ち込まないとな)  そんな事を考えながらも、聡は次々と技を決められてしまい、忽ち五回を数えた。 (冗談じゃない。投げられっぱなしで終わってたまるか!!)  そんな決意も新たに、片手を付いて立ち上がりながら、清香に申し出る。 「すみません、清香さん。もう一回お願いします」 「えっと、本当に大丈夫ですか? 聡さんは初心者ですし、そろそろ休憩した方が……」 「何となくコツが掴めて来たので、続けてもう少しやっておきたいんです」 「……分かりました。それではお願いします」 「はい」  瞬時に真剣な顔つきになり構える清香に、聡も再度気を引き締めた。そして時を置かず清香が足を踏み出し、道衣を掴もうと手を伸ばして来る。対する聡も素早く体を捻りつつ手を払いのけ、すかさず逆に清香の懐に踏み込んだ。 (とにかく、より素早く踏み込んで、良い形を取る)  自分にそう言い聞かせながら、両手で柔道着の襟近くを掴んだ瞬間、聡は力一杯清香を手前に引っ張った。それと同時に清香が僅かに体勢を崩した隙を突いて、彼女の足の間に右足を勢い良く踏み込み、その反動をつけて清香の左内腿を自分の右脚で跳ねあげようと試みる。しかし流石に年季の入り方が違う清香は、片足になった状態で踏み止まり、逆に左脚を畳に着けた瞬間、体を捻って再度手を伸ばして来た聡の右足の踵の上方を、勢い良くつま先の方向に払った。  堪え切れず背中から倒れた聡だが何とか受け身は取り、体を捻って逃れようとしたが、清香が素早く覆いかぶさる体勢になる。体重差が有る為このまま崩れて逃れるかと思いきや、清香は隙の無い動きで聡の右腕を自分の左腕で深く挟みこみ、右腕を聡の首の下から差し込んで首を抱え込みつつ柔道着の前襟を掴んで袈裟固めの体勢に入った。しかし聡も体格差と長い手足を生かして、体を捻って何とか逃れようと抵抗する。  その一部始終を、ひやかし気分で見ていたギャラリーは、呆れ半分感嘆半分の呟きを漏らした。 「すっげ~、あの兄ちゃん」 「さっきまでバッタバッタ、投げられまくってたのに」 「初心者の癖に、何とか形になってんじゃね?」 「さや姉の腕が、鈍ってるって事じゃないよね?」 「素人の根性を舐めちゃいけないって事かな」 「だよな。惚れた女に投げられっぱなしってのは、プライドズタズタだろうし」  少年達が好き勝手な感想を口にしているのを耳にしながら、槙村は一人ほくそ笑んでいた。 「なかなか頑張るのぉ、若いの。まあ、あの清人と真っ向から張り合おうとする男だから、これ位は当然じゃろうな」  そう言ってから、槙村はチラリと明かり取り用の窓を眺める。 「さて……、それではついでに余計な小ネズミにも、稽古をつけてやろうかの?」  そして畳の上で組み合っている清香と聡に背を向けた槙村は、含み笑いをしながら道場の外へと足を運んだ。

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