「あ、いや、何でも無い」 「お兄ちゃん? さっき隠し事は、洗いざらい吐けって言ったよね?」 そこで当然誤魔化される筈も無く、清香が上から睨み付ける。その視線を一身に浴びた清人は観念して、小声で呟いた。 「……バラの、ポストカード」 「はい?」 意味不明な呟きに清香が眉を顰め、清人が益々言い難そうに話を続ける 。 「香澄さんは結婚してからは、極力無駄使いはしない様にしていたが、無類の可愛い物好きだったから、カードとかシールの類でささやかな贅沢をしていてな。自分のコレクションの中から、とっておきの一枚を俺に渡していたんだ」 それを聞いた清香はそこはかとなく嫌な予感を覚えながら、次の質問を繰り出した。 「……具体的にはどんな?」 「全面にピンクのバラが咲き乱れていて、あちこちに妖精がチラホラ描かれている、かなりメルヘンチックな…………。あ、いや、別に、香澄さんに悪気があった訳じゃ無いぞ? 『これを送ったらお母さんだって絶対喜んでくれる筈だから!』と、自信満々に押し付けていたんだから」 「…………」 慌てて弁解しつつ、香澄を庇う清人を見てから、清香と由紀子は示し合わせた様に無言のまま顔を見合わせた。それから清香が、恐る恐る確認を入れる。 「ねえ、お兄ちゃん……。因みに、それが普通の官製葉書だったら、素直に書いていた?」 「さあ…………、それは……、どうだろうな」 清香からも由紀子からも、微妙に視線を外しながら答えた清人に、清香は頭痛がしてきた。 (あの反応なら、ひょっとしたら普通の官製葉書だったら、書いていたかも。やっぱり小学生男子には、電話よりハードル高かったんじゃない? お母さん……) そこで項垂れた清香は、ふと引っかかりを覚えて清人に質問した。 「ねえ、お兄ちゃん。お母さんがお兄ちゃんに由紀子さんと連絡を取らせようとしてたなら、どうして由紀子さんは亡くなった事になっていたの? 私が聞いた時、お兄ちゃんがそう言ってたのを、お母さん否定しなかったと思うんだけど」 記憶を引っ張り上げつつ、不思議に思った清香はそう尋ねたが、清人はそれに言い難そうに答える。 「それは……、俺が香澄さんを脅したから……」 「脅した? どうして!?」 「清香が喋れるようになるのを、香澄さんは狙ってたんだ。自分と一緒に清香も『おてがみかこー』と言えば、お前を可愛がってる俺が、絶対に落ちると思って」 清人が真顔でそう言った途端、清香は堪らず小さく噴き出した。 「ちょっとお兄ちゃん! それは幾ら何でも考え過ぎ。お母さんが私を使ってまで、そんな小細工をする筈」 「香澄さんは、お前に自分の名前を教えるより先に、さっき言った言葉を当時一歳のお前に、俺に隠れてコソコソと教え込んでいたんだ」 「え?」 「だから先手を打って、『清香の前では、あの人は亡くなった事にして下さい。それに清香に手紙を書く様に言わせたりしたら、今後家事育児を一切手伝いません』と宣言した」 開き直って経過を説明した清人に、清香が引き攣った顔をで念を押す。 「……それで、お母さんは否定しなかったんだ」 「ああ。だから香澄さんは悪く無い」 もう何も言う気がしなくなった清香は黙り込み、由紀子が唖然として見守っていたのを見て、清人が話を元に戻した。 「香澄さんは、基本的にお節介なんだ。自分は実家と絶縁状態の癖に、そんな事言うものだから……。つい『香澄さんが親兄弟と仲直りしたら、俺もあの人の事を母さんと呼ぶ事にします』と言って、膠着状態になった。まあ、俺と十何歳しか年が違わなかったから、こんな大きな子供に、お母さんと呼ばれるのは気の毒だと思った事もあるんだが」 「お兄ちゃん……」 自嘲気味に呟いた清人に、思わず清香が声をかけると、清香の方を見ながら清人が話を続けた。 「そうこうしているうちに清香が産まれて、世話をしているうちに、段々分かってきた」 「分かったって、何が?」 「何時間おきに泣き喚いて、ミルクだオムツだと手間がかかるだろう。香澄さんと一緒に当然俺も面倒見たが、俺の時は誰も居ないからな」 「………………」 「香澄さんは天然で物怖じしない性格だったから、団地の中にもすぐ溶け込んで、友達も沢山出来てた。もともとノイローゼになる様な性格の人じゃなかったし。でも俺がある程度大きくなってから、周囲の人に聞いてみても、あなたはあそこに二年以上住んでいた筈なのに、どんな人間か知ってる人は、殆ど居なかった。最初周りの人が、俺に気を遣っているのかと思ったんだが、もともと社交的な性格ではないんだろう? 家を出て行ったあと、暫く入院していた事も、香澄さんが後で調べて教えてくれたし」 黙り込んで無反応な由紀子を眺めながら、清人は淡々と話していたが、そこでふと視線をずらして、口調を変えて言い出した。 「自分なりに色々考えて、高校の頃には意地を張るのが馬鹿らしくなってきて。自分で葉書を買って、連絡だけは取ろうかと思っていた矢先、……クソジジイが恩着せがましく、世迷い言を言ってきた」 (うわ、そのタイミングで、あの話だったんだ……) あまりの間の悪さに思わず清香が天を仰ぎ、焦った様に由紀子が口を挟んだ。 「あのっ! 私はその話!」 「知らなかったんだろう? それは知ってる」 「え?」 当惑した表情を見せた由紀子に、清人が苦々しい表情で告げた。 「耄碌ジジイが『あんな分別の無い馬鹿娘には、何も出来んからな。儂が直々に動いたのを知ったら、涙を流して感謝するぞ』と言っていたから」 「うわ……、何、その勘違いジジイ!」 流石に清香も怒りを露わにして思わず叫んだが、清人は見た目は冷静に話し続けた。 「暫くそれでムカついて、流石に香澄さんも葉書を書くのを強制しない様になっていたんだが、卒業間近に社会人になる訳だし、いい加減大人になろうかと思って、葉書を書こうと思っていたら……」 そこで言葉を濁した清人を、清香が促してみる。 「思ったら?」 「……クソジジイが、小笠原に入れとの勧誘ついでに、散々暴言吐きやがった」 (由紀子さんのお父さんだけど……、色々な意味で、最低の人だわね) 憎々しげに吐き捨てた清人を見て、最早清香は弁護する気にもならなかった。 「それも袖にして、小笠原とは本格的に縁を切ったつもりになっていたから、殊更葉書を書く気にもなれなくて……。そうこうしているうちに、香澄さんが父さんと一緒に交通事故で亡くなった」 「そうだったんだ……」 思わず呟いた清香に構わず、清人が淡々と話を続ける。
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