零れた欠片が埋まる時
番外編 佐竹清人に関する考察~倉田正彦の場合①

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 話は、一年程前に遡る。  ※※※  その日、正彦は某老舗百貨店の紳士服売り場の最奧、ガラス張りでゆったりとした広さの、オーダーメイドスペース内に居た。更に壁際奥のカーテンが恭しく開けられ、三畳程の採寸スペースから、正彦がゆっくりと元居た場所へと足を踏み出す。 「それでは倉田様、採寸が終わりましたので、こちらで生地を選んで頂けますか?」 「分かりました…………、あれ?」  脱いだ上着を着せ掛けて貰いながら、応接セットが設置してある場所に移動しかけた所で、新たに出入り口から入って来た人物に目を止めた正彦は、怪訝な声を上げた。 「清人さん?」 「……やあ、正彦。久し振りだな。スーツを作りに来たのか?」  店員が分厚い見本ファイルを抱えて正彦に近寄って行くのを見て、愛想良く挨拶してきた清人に、正彦も笑顔で応じる。 「ええ、夏物で新しい物を一着と思いまして。それにしてもこんな所で会うとは奇遇ですね」  それに清人は僅かに首を傾げつつ答えた。 「全くの偶然、と言うわけでも無いな。ここを紹介してくれたのは倉田さんだから」 「そうだったんですか? 知らなかったな」 「わざわざ言う程の事では無いだろうしな」  不思議そうな顔をした正彦に、清人が苦笑いで返す。そこに黒のスーツ姿の老人が現れた為、清人が笑顔で声をかけた。 「ああ、榊原さん。またお世話になります」 「いらっしゃいませ、佐竹様。本日はどの様なご用件でしょうか?」 「はい、ワイシャツを一枚作りたいと思いまして」  清人がそう告げた瞬間、榊原は穏やかな笑顔を消して真顔で確認を入れた。 「……シャツを一枚、でいらっしゃいますか?」 「ええ」  負けず劣らず真顔で頷いた清人に、榊原は素早く清人の全身に視線を走らせてから、冷静に申し出た。 「失礼ですが、ジャケットを脱いでみて頂けますか? お預かりします」 「分かりました」  そして背後で清人のジャケットを掴み、脱いで腕を下ろすまでの一部始終を観察した榊原は、静かに清人に声をかけた。 「失礼ですが佐竹様、最近、左肩から肘にかけて、お怪我をされましたか?」  確信に満ちたその口調に、清人が苦笑いで応じる。 「やはり榊原さんにはバレましたか。妹も気付かなかったのに……」 「え!? 清人さん、どうかしたんですか?」  少し離れたソファーに座った正彦にもそのやり取りは伝わり、驚いて声をかけたが、清人はあっさりと答えた。 「大した事は無い、ちょっと二十人位を相手に、大立ち回りをしただけだ」 「ちょ……、清人さん!?」  流石に顔色を変えて正彦が腰を浮かしかけたが、清人は次の瞬間小さく噴き出した。 「冗談だから真に受けるな。そういう場面を一心不乱に書いていたら、同じ姿勢を続けていて筋が強張っただけだ」 「書いていたらって……」  唖然として呟いた正彦だったが、周りで聞き耳を立てていた女性従業員達は、一気に緊張がほぐれたらしく、コロコロと笑い合った。 「まあ……。私一瞬、本気にしてしまいました」 「本当に、佐竹様って、ご職業と見掛けによらず、とんでもない武闘派なのかと思いましたわ」 「それは大変失礼しました。こんな素敵なレディ達を驚愕させるとは、とんだ失態です」  年配のベテラン従業員達にもソツなく笑顔で応じる清人に、益々彼女達の笑みが深くなる。 「毎回お上手ですね」 「でも酷いお怪我とかでは無くて、良かったですわ」  そんな一見和やかな会話を交わしている者達に混ざらず、正彦は一人自問自答していた。 (本当か? ……いや、絶対違うだろう、それは。一体何をやらかしたんですか?)  やる時はとことんやるタイプの清人の本性を知り抜いている正彦は、一人で冷や汗を流した。しかしもう一人、真顔で清人の観察を続けている人物も存在していた。 「筋が強張っただけ、ですか……」 「ええ、そうです」  些か険しい表情で清人の顔を見やった榊原だったが、清人が平然と言い返した為、小さく頷いてから仕事に取りかかった。 「畏まりました。サイズ自体が変わった訳では無いので、寸法の微調整で済むかとは思いますが、フィッテングスペースへどうぞ。少し体を動かしながら、動きに支障の無い寸法の採寸をしてみましょう」 「お願いします」  目測で対応策を判断した榊原は、サクサクと仕事を進めにかかった。それに清人が大人しく応じて、先程正彦が入っていたスペースに移動する。  見るともなしに、正彦がその二人の背中を視線で追っていると、目の前のテーブルに静かにコーヒーカップが置かれた。 「倉田様、どうぞ」 「ありがとう」  短く礼を言い、コーヒーを飲む合間に見本ファイルを捲りつつ生地選びを再開すると、カーテンの向こうから二人のやり取りが伝わってきた。 「参考までに、急ぎでシャツを誂える理由を、お聞きしてみても宜しいですか?」 「ええ。実は来週やんごとなき方々と会食する事になっているのですが、肩を医者に診せたら来週までに完治は難しいと言われまして」  多少忌々しげに告げられた言葉に、榊原が納得した様に言葉を返す。 「なるほど……。脱ぎ着の際や腕の上げ下ろし等で、僅かシャツの動きや引っ張られる感じが気になると……、そういうご事情ですね」 「ええ。面倒くさい人達を相手にするので、出来るだけ集中力を切らしたく無いんです。今からスーツを仕立て直すのは無理でも、シャツ位は間に合わせたいと思いましたから。今回、この為だけだとしても、仕方ありません」  淡々と述べた清人だったが、カーテンの向こうで榊原は一瞬黙り込んでから、静かに確認を入れた。 「……佐竹様? 通常であればシャツの仕立ては、半月はお時間を頂いておりますが?」  しかしその返答を予想していたらしい清人は、あっさりと次の言葉を繰り出す。 「五日で宜しくお願いします。勿論、特別料金はお支払いします」  対する榊原も、面倒な客に対する対応は、手慣れたものだった。 「畏まりました。五日で仕上げさせます。その代わり配送の手配をするとそれだけ時間がかかりますので、直接ご来店しての受け取りをお願いします」 「それ位、構いません」  そんな平然と交わされるやり取りに、正彦は本気で呆れ返った。

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