零れた欠片が埋まる時
第7話 地雷①

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「あれ? 清香ちゃん。どうしてここに居るの?」 「あ、正彦さん。こんにちは。どうしてって……、何がですか?」  かけられた言葉の意味が分からず、清香は不思議そうにテーブルの横に立つ男女二人組を見上げたが、対する正彦は怪訝そうな顔付きで口を開いた。 「実はさっき、清人さんに電話したんだ。今度一緒に飲みに行く約束をしてたから、それについて。そしたら何だか急に具合が悪くなってきた様な事を言い出して」 「え? それ、いつの話ですか?」  途端に顔色を変えた清香に内心ほくそ笑んだ正彦が、連れの女性を軽く指差しながら続ける。 「こいつと待ち合わせしてる最中だから十分位前かな? 何かキツそうな口調だったから救急車は呼ばないのか聞いたら、清香に付き添って貰って病院に行くから大丈夫って言われて。……何だよ清人さん、まさか俺に心配させない為に、清香ちゃんが側に居るって嘘をついたのか?」  わざとらしく顔を顰めた正彦の前で、すっかり狼狽した清香が立ち上がる。 「本当ですか? やだ、どうしよう? 家で倒れてたりしていたら!」 「落ち着いて清香ちゃん。取り敢えず電話してみたら?」 「そ、そうですね!」  慌てまくって携帯を取り出した清香は、立ったまま電話をかけ始める。その側に佇んだままの正彦達と共に店中の注目を浴びてしまったが、清香にはそんな事に構っていられる精神状態では無かった。 「正彦さん、どうしよう? お兄ちゃんの携帯も家の電話も繋がらないの!」  すっかり涙ぐんでしまった清香に、正彦は宥める様に言い聞かせた。 「たまたま電源を切って、病院に行ってるだけかもしれないよ? 家はここから近いんだから、取り敢えず戻ってみたら? 清人さんなら出かけるにしても行き先位、書き置きしてると思うし」 「それもそうですね。ありがとう正彦さん。それじゃあ角谷さん、慌ただしくて申し訳ありませんけど、これで失礼します!! お兄ちゃんにサインをして貰ったら、また改めてご連絡しますねっ!!」  そう叫ぶやいなや清香は持参したバッグと先ほど聡から預かった紙袋を引っ掴み、もの凄い勢いで店を飛び出した。 「清香さん! 何かあったらまずいですから、俺が送りま」 「引っ込んでなボーヤ」  すっかり傍観していた聡もここで慌てて立ち上がり、清香の後を追おうとしたが、その腕を正彦が素早く捕らえる。そしてその耳元に口を寄せて囁いた。 「俺は、ちょっとばかりお前に話があるんだ。……小笠原聡」  その一言で、聡は瞬時に全身の動きを止めた。 (彼女には角谷と名乗っているのに、その知り合いらしいこいつが、どうして俺の本名を知っているんだ?)  聡が自分の腕を掴んだままの男を疑惑に満ちた目で眺めていると、当の正彦は鼻で笑って、聡の内心を当ててみせた。 「『彼女の知り合いなのに、どうしてそれを知っている?』って顔だな」 「…………失礼します」  長居は無用とばかりに、聡がその手を振り払って立ち去ろうとしたが、正彦は益々腕を握る右手に力を込めた。 「俺は話があると言った。……じゃあ、悪いが今日はここで。後で必ず埋め合わせをするから」  正彦の後半の台詞は連れの女性に対するもので、彼女は予め予定を聞いていた為、小さく肩を竦めて苦笑いしたのみだった。 「全く……、デートの時間が五分足らずなんて最短記録だわ。しかも乗り替える相手が男だなんて、ちょっとバカにしていない?」 「でもなかなか良い男だろう?」 「そうね。後十年位したら、正彦と競るかしら?」 「容赦ないな。初対面の相手をこき下ろすなよ」 「あら、坊やだと思って、これでも手加減しているのよ? それより埋め合わせ、忘れないでよ?」 「ああ、期待しててくれ」  聡が黙ったままなのを良いことに、かなり辛辣な事を好き勝手に言い合った男女は、正彦が未だ聡を拘束して片手が使えない状態の為、彼女の方から正彦に顔を寄せて唇が触れあうだけのキスをして、あっさりと店を出て行った。 「座るぞ。お前も座れ。……あ、俺はブレンドね」 「畏まりました」 「…………」  聡を逃がす気は無い正彦は、その腕を引っ張りつつ半ば恫喝する。聡の待ち合わせ相手かと勘違いしたウエイトレスが水とお絞りを持って近寄って来ると、振り返った彼は途端に愛想笑いを浮かべながら注文した。それを仏頂面で見やった聡が、取り敢えず再び席に座る。続いて正彦が先程まで清香が居た席に腰を下ろした。 「取り敢えず自己紹介といくか。こっちはお前の事は、一通り知っているがな。他人の周囲を色々嗅ぎ回るのは、お前だけの専売特許じゃない」 「それはどうも、お気遣いありがとうございます」  皮肉を込めて返した言葉にも全く動じる事なく、正彦は顔に薄笑いすら浮かべながら一枚の名刺をテーブルの上に取り出し、そのまま聡の方へ押しやった。それを受け取ってしげしげと眺めた聡は、以前目にした報告書の一部分を思い出す。 「『倉田運輸株式会社経理部主任、倉田正彦』……という事は、ひょっとして清香さんの」 「きちんとそこまで調べたのは誉めてやるが、彼女の前でその先は口にするなよ?」  途端に目つきを険しくして恫喝口調に戻った正彦に、聡は不快気に眉を寄せた。 「どうしてですか。あなた達はれっきとした従兄妹同士で、先程も仲良さげに会話していましたよね?」 「確かに仲は良いが、従兄妹同士としてじゃない。清香ちゃんの中では、俺達は単なる『父親同士が幼なじみの知り合いの、優しいお兄さん』と言う関係だ」 「はぁ? 何ですかそれは」  理解不能な内容を聞かされた聡は思わず間抜けな声を上げてしまったが、ここで正彦は反撃に出た。 「お前だって人の事は言えんだろう? 本名を隠してコソコソ彼女に近付きやがって。清人さんを刺激したくなかったんだろうが、とっくにバレてるぞ?」  その台詞に、聡が僅かに顔を強張らせてから、慎重に問い掛けた。 「それなら、どうして彼女が、未だに俺の話を信じているんですか?」 「清人さんとしては、できれば本当の事を言いたくないんだろ? なにしろ実の母親とは、死別って事にしているし」  そこで聡が弾かれた様に拳でテーブルを叩き、正彦に問い質した。 「それをさっき彼女から聞いて、耳を疑いましたよ! どこの世界に、勝手に母親を死んだ事にしている息子がいるんですか! 幾ら何でもあまりに酷過ぎます!」  憤慨する聡を見た正彦は思わずテーブルに肘をつき、多少呆れを含んだ表情でしみじみと感想を述べた。 「酷過ぎる、ねぇ……。お前、随分幸せに育ったんだな」 「何が言いたいんですか」  ここでウエイトレスが珈琲を運んできた為、会話が一時中断し、腹立たしげな聡を前に正彦が一口珈琲を味わってから、真顔である事を尋ねた。

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