「一つ聞くが、お前は清人さんの事を、子供の頃から知っていたか?」 すると聡が歯切れ悪く答える。 「……いえ、二十歳の頃に、父から初めて聞かされました。そして『今では行き来はしていないから関わるな』とも」 「と言う事は、五年前位? あの騒動の前後、だろうなあ……。流石に外野が五月蝿くなって、隠しきれないと思ったか」 「一人で勝手に納得しないで貰えませんか?」 小さな笑いを漏らしながら頷いた正彦に、聡の不機嫌さは増大したが、相手はそんな事には斟酌せずに畳み掛けた。 「母親を大事に思う心掛けは良いと思うがな。お前が二十歳になる前に、母親から清人さんの事を一度でも聞いた事が無かったんだろう?」 「確かにそうですが……」 「それは普通に考えたら、おかしくはないか?」 「それは……、父と再婚した手前、前の家庭に関する事はあまり口に出来なかったと」 「お前の父親は、小笠原に婿養子に入ったんだろ? それなのに他で育っている子供の名前すら口に出来ないって? 随分気を遣ってるんだな。それともお前の両親、そんなに夫婦仲が悪いのか?」 明らかに挑発する台詞を立て続けに述べる正彦に、以前から両親の微妙な距離感を気にしていた聡は思わず中腰になって片手を伸ばし、その胸元を掴みながら礼儀正しさを投げ捨てて怒りの声を上げた。 「ふざけるなよ? 部外者があまり好き勝手な事を抜かすな!」 「それが今更? と言うか、お前が勝手に暴走してるだけで、母親は清人さんの事なんか、何とも思って無いんじゃないか?」 「そんな事はっ……」 何かを言いかけて急に口ごもった聡は、至近距離で正彦と見つめ合っていた視線を自分から逸らし、同時に腕も離して元の様に椅子に座った。それを興味深そうに眺めた正彦が、片手で服の乱れを直しながらぼそりと呟く。 「清人さんにしてみれば、これまでの母親との関係が有る無し以前に、清香ちゃんの為にもお前達の事は口にしたくない筈だけどな」 「……どういう意味ですか」 先程の勢いがどこかに消え失せてしまった聡が、取り敢えず聞いてみたという風情で尋ねると、正彦が苦笑気味に理由を告げた。 「あの子の両親はもう亡くなってて、近親者って言えば清人さんだけなんだ。それなのにその兄に『実は母親と半分血が繋がった弟が居る』事が分かったら、清香ちゃんが一人疎外感を感じるとでも思っているのかもしれないって事だ」 「そんな……。ですがそれは」 「それ以上に、母親は死別して弟なんて勿論居ない事になっているから、その事実を話したらあの優しい子だったら『実のお母さんを勝手に死んだ事にするなんてあんまりじゃない! 見損なったわお兄ちゃん、最低! 鬼! 人でなし!』なんて罵倒しそうだ」 どことなく遠い目をしながらそんな事を言い出した正彦に、思わず聡は真顔で問い掛けた。 「……その場合、どうなると思います?」 「どう、って、……そうだなあ。そうしたらあの《妹命》の清人さんのダメージ大は決定だし、再起不能寸前まで行きそうだな。そうなるとその反動で、猛烈な怒りが真っ直ぐそれをバラした人間に向かうのは確実で」 「ちょっと待って下さい! そうすると清香さんには兄さんと俺達の関係を知らせないまま、兄さんの怒りを回避しつつ接触を図れと?」 清人の怒りを買う事を思って流石に青ざめた聡を、正彦は他人事の様に眺めた。 「道は険しそうだな。助けてやるわけにはいかないが、まあ頑張れ。何も知らないで決定的な亀裂を生む類の墓穴を掘らない様に、忠告だけはしてやったからな。俺の好意を無駄にするなよ?」 「好意なんですか? 単に面白がっているだけじゃ」 「一理あるな、所詮他人事だ」 「…………っ!」 テーブル上で強く両手を握り締め、顔を引き攣らせた聡に、正彦は椅子から立ち上がりながら、更に容赦の無い言葉を投げつけた。 「ああ、そうそう。肝心な事をもう一つ言うのを忘れていた。さっきも言ったが、柏木、倉田、松原の家が清香ちゃんと縁戚関係にある事は、間違っても彼女には漏らすなよ? もし万が一口を滑らせたら……、その時は清人さんじゃなく、俺達が制裁を加えるからそのつもりで」 「ちょっと待って下さい。だからどうしてそんな事になってるんですか!」 聡は慌てて正彦の左手を掴んだが、相手は軽々と振り払いつつ、テーブルの横をすり抜けて行った。 「説明するのが面倒だから、興味が有るなら本人にさり気なく母方の親族について聞いてみてくれ。それじゃあそろそろ時間なので失礼。コーヒー御馳走様」 「ちょっと待って下さい、倉田さん!?」 しっかりと珈琲代を聡持ちにしつつ、あっさりとその場を立ち去っていった正彦を、会計をしないまま追い縋る事もできず、聡は諦めて見送った。そしてテーブルに両肘をついて、文字通り頭を抱える。 「ちょっと待て……。一体これから、俺に何をどうしろと?」 今の話で複雑すぎる現状の一端を把握し、困惑の渦に叩き込まれてしまった聡は、自分の見通しというものが如何に甘いものであったのかを実感していた。
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