零れた欠片が埋まる時
第43話 清人流、矛の収め方②

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 そしてその日は聡の待ち伏せは無く、清香と清人は肩透かしを食らった気分でマンションの出入り口で別れた。そして清人は台所を片付けながら、しみじみ考え込む。 (清香もな……。普段温厚な分、一旦怒るとなかなか収まらないタイプだから。そう言う所は、流石あの香澄さんの娘だ……)  そんな事を考えつつ、自分は比較的あっさり清香に許して貰った分、聡への当たりがきつくなっている事を自覚していた清人は、この間多少後ろめたい気分を抱えていた為、濡れた手をタオルで拭きながら深い溜息を吐いた。 「仕方がないな……」  そう心底嫌そうに呟いてから、清人は時計で現在時刻を確認しつつ携帯電話を取り上げた。そして使う事は無いだろうと思いながらも、真澄から一応教えて貰っておいた番号を、多少躊躇しながら選択し、電話をかけ始める。 「……はい、角谷ですが」  大して待たされる事無く応答があったが、名乗られた名前で相手の居場所が特定できた。 「ああ、やっぱり今の時間は職場か。俺だが、今大丈夫か?」 「……少々お待ち下さい」  聡が幾分険しい口調で断りを入れ、少しだけ待たされてから再度声が伝わってくる。 「何の用ですか?」  隠す事無く冷気を伝えてくる聡を、清人は微塵も気にせず話し始めた。 「お前、今日の午後に早退して、一度家に帰れ」 「いきなり何です?」  その唐突な物言いに、流石に聡が腹を立てた声を返してきた。しかし一方的な、清人の話が続く。 「清香の試験期間は今日までだ」 「はい、以前に彼女から聞いて知ってます」 「十六時半に終了予定だ」 「それがどうかしましたか?」 「清香の話では、最近キャンパス周辺の取り締まりが厳しいそうで、先週どこぞのバカボンが、正門横に堂々と停めていたポルシェが、レッカー移動させられたそうだ」 「良い加減にして下さい! それが何だって言うんですかっ!」  廊下の隅で周囲の目を憚りながらコソコソと電話を受けていた聡は、本気で苛立ちながら叫んだが、そんな事を考慮しないまま清人が話を続けた。 「だから試験終了時間を狙って、正門の真ん前にお前の車を停めろ」 「は?」 「構内から門に向かって歩くと、嫌でも目に付く様にしろと言っている。もうこれ以上は言わんから、自分で察しろ」 「……………………」  そこで唐突に黙り込んだ聡に、今度は清人が苛立たしげな声を上げる。 「おい、聞いているのか?」  その問い掛けに、聡は慎重に問い返してきた。 「それは……、俺に車をレッカー移動される危険を冒して、清香さんが逃げ出さない様な処置を講じろと? 例えば『乗ってくれるまで移動させない』と言うとかですか?」 「最悪、目の前でレッカー移動される無様な事になっても、同情はして貰えるだろうな」  自分の言いたい内容を汲み取った聡に、清人皮肉っぽく付け加えた。それに笑いを堪える様な声で、聡が応じる。 「貴重なアドバイス、ありがとうございます」 「それと……、その後どこかに寄ってきても構わんが、門限は十九時だ。一分一秒たりとも遅れたら、一生家に立ち入れないと思え」 「……門限は、二十一時では無かったんですか?」  思わず憮然とした声を発した聡に、清人が平然と言い返す。 「今夜は清香の試験が無事終了したので、清香の好きな料理を色々作る事にしているからな」  それを聞いた聡は、諦めた様に溜め息を吐いてから、神妙に告げてきた。 「分かりました。時間厳守で清香さんを送っていきます」 「そうか。もしきちんと門限前に送ってこれたら、お前にも食べさせてやってもいい。多目に作るつもりだったからな」 「え? あの……」  そこで戸惑い気味の声を返してきた聡に、清人が淡々と続ける。 「何か不服でも?」 「いえ、とんでもありません!」  慌てて否定してきた聡に、清人は思わず口角を上げた。 「そうか。それなら適当に理由を付けて職場を抜けろ。……ただし、間違っても母親がまた病院に担ぎ込まれたなんていう、縁起でもない嘘は吐くなよ?」 「大丈夫です。兄が交通事故で病院に担ぎ込まれたとでも言いますから」 「おい!」 「冗談です。それでは失礼します」  冗談では無い内容を口にされた清人は、思わず怒りの声を上げたが、聡は笑いを含んだ声であっさりと通話を終わらせた。そして通話が途切れた携帯を見下ろして、清人が忌々しげに呟く。 「あいつ……、やはり気に入らん……」  清香を巡る男二人の紛争は、未だ収束する気配は無かった。  同じ頃、試験の休憩時間に教科書の最終チェックをしていた清香に、隣に座っていた朋美が不審そうに声をかけた。 「……ねえ、清香。試験が始まってからずっと思ってたんだけど、あんたこの試験期間中、変じゃない?」 「ん~? 変ってどこが~?」  朋美の言葉に一瞬ピクリと反応したものの、素知らぬ顔で教科書を捲る清香に、朋美は呆れ気味に言葉を継いだ。 「凄いピリピリしてるでしょ。別にしゃかりきになって試験に挑まなくても、あんたの成績なら、単位を落とす危険性は少ないのに」 「単に、何事も油断は禁物って事よ」 「そうなの? それなら良いんだけど……。ところで春休みになったら聡さんとデートの約束でも」 「朋美!!」 「はっ、はいっ!」  そこでいきなり清香が分厚い教科書をバタンと勢い良く閉じながら、咎める様な口調で朋美の名前を口にした為、朋美は反射的に返事をし、周りの者達は何事かと視線を向けた。そんな中、険しい顔を見せていた清香が、にっこりと笑いながら朋美に言い聞かせる。 「他人の迷惑だから、試験に集中しようね?」 「……分かりました」  そしてコクコクと頷きながら、朋美は確信する。 (これはやっぱり聡さんと何かあったのよね。まさか全面撤退した訳じゃ無いとは思うけど……、後から清人さんに確認してみないと)  そんな決意をしながら、横に座る清香の顔を慎重に窺っていた清香だったが、携帯電話がメール着信をバイブで知らせてきた。  試験開始時にはまた電源を落とす為、今のうち内容を確認しておこうかとバッグから取り出し、受信内容を確認した朋美は、無言で首を捻る。 (何なんだろう、この意味不明な指示。相変わらず清人さんのやる事って、凡人には理解不能な事が多いわよね)  そうは思ったものの、清人からの指示内容は大した手間や労力がかかるものでは無く、帰りにそれを実行する旨を頭に叩き込んで、朋美は携帯電話の電源を落とした。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません