「あれは……、小笠原の家に戻って二年位過ぎてからね。父が『今度こそは儂が認める男と再婚しろ!』と五月蠅くてね。断るのも面倒臭くなって、もう適当にお見合いしていたのよ」 「適当って……」 相当自棄になっていたであろう当時の母親の心境を想って、思わず聡は溜め息を吐いたが、由紀子は淡々と続けた。 「父は、私の最初の結婚と離婚の事を、必死に隠そうとしていたけど、お見合いの席で私から暴露していたの。その途端に破談というパターンを、繰り返していたわ」 「……じいさん、怒ったよな」 (そうだよな。お嬢様然としてても、駆け落ちまがいの事もした人だものな。こうと決めたら、引かない所はあるだろうし) 思わず呻いた聡に、由紀子は小さく笑った。 「勿論よ。父が顔を真っ赤にして怒っていたけど、構わずそれを続けていたら、噂が広がって次第に縁談が来なくなってね。相手が父が言うことを聞かせられる、社内の人だけになったの」 「それで父さんが?」 「勝さんに引き合わされたのは、結構な人間に引き合わされてからね」 「それまでどうして断ってたの?」 これまで父親の謹厳実直さと無愛想ぶりと、面白味の無さを散々目の当たりにしてきた聡としては、他にもっとマシな結婚相手が居たのではと思ったのだが、由紀子は小さく肩を竦めてその理由を述べた。 「だって……、父から事前に言い含められたのか、皆揃いも揃って『辛い経験をしましたね』とか『これからは俺が面倒を見ますから安心して下さい』とか『子供だって、またすぐできますよ』とか、分かった様な事を言って、愛想笑いをしてくるんだもの。話に付き合う気にもなれないわ。どうせ小笠原の社長の椅子と、財産目当てなのに」 「そう言い切ってしまうのも、どうかと思うんだけど……」 (あのじいさんの息のかかった人間なら、間違い無くそうだろうけどな) 一応フォローらしき物をしてみたが、聡自身、心の中では母の意見に賛同した。すると由紀子が、真顔で話を続ける。 「それで、悉く突っぱねているうちに、勝さんとお見合いする事になって。その席で開口一番『あなたは自分の資産が、今現在どういう状態なのか、きちんと把握しているんですか?』と聞かれたの」 「……えっと、本当に初対面の場で?」 (それって、一般的に見てどうなんだ?) 流石に聡が心の中で突っ込みを入れたが、由紀子は平然と肯定した。 「ええ。それで私、正直に『全て父が管理していますので存じません』と言ったら鼻で笑われて、『無駄に年だけ食ってるんですね。あのごうつくばりの会長が生きている間は大丈夫でしょうが、あれがくたばったら忽ち路頭に迷いますよ。あの会長が一応頭を下げてきたので、俺に管理を一任してくれたら、そんな事態からは回避させてあげます。ゆくゆくは社長にも就任させて貰える事で、話はついていますし』と言われたわ」 そこまで言って、当時の事を思い出したのかクスクス笑い出した由紀子を、聡は半ば叱り付けた。 「母さん、笑い事じゃないだろう!? 何だよ、その如何にも財産目当ですって感じ丸出しの台詞はっ!!」 「だって、聞いていてあまりにも清々しくて。思わず『それなら私の財産が全て無くなったら、私と離婚する事になるんですね?』と聞いたら、『そうなりますね』と真顔で返すし」 (父さん! 俺はあんたを、流石にここまでの守銭奴だとは思ってなかったぞ!) 愕然として、心中で父に対して非難の声を上げた聡に、由紀子は更に予想外の内容を口にした。 「だからね? お愛想笑いなんかしてくる人より、そんな正直な人の方が良いかなって思って、いい加減清吾さんとの事は諦めて再婚してみる事にしたのよ」 「『してみる事にした』って……」 呆然と呟いた聡に、由紀子が徐に言い出した。 「それで……、結婚して十年近く経った時、勝さんが如何にも申し訳なさそうに、私に謝ってきたの」 「何を謝ったわけ?」 「『君の資産が倍になってしまったから、半分は聡名義に振り替えたから』と報告してくれたわ」 「は?」 意味が分からずとうとう絶句した聡に、由紀子は真顔で解説した。 「初めて会った時に私が『資産が無くなったら離婚しますか?』と聞いたから、どうやら勝さんは、私が離婚したくて資産を減らす事を期待していると思っていたみたい。だから『増えて困るものでも無いですよ?』と笑ったら、何だか安心していたわ」 (ちょっと待ってくれ。母さんと父さんは普通の夫婦とは違うとは思っていたけど、何だか益々、意味が分からなくなってきた……) 思わず椅子から降りて、床に蹲りたくなってしまった聡だが、由紀子はすこぶる冷静だった。 「それに、私は最初の結婚と離婚で、親戚中から白い眼を向けられていたけど、再婚してからは勝さんが『ろくな家の出じゃない』とか『財産目当て』とかって、集中砲火を浴びていたわ。父が事ある毎に『社長にしてやった』と恩着せがましく言ってくるのを黙って聞いて、外でのお付き合いでは気難しい顔で周囲を睥睨して、下手な人は寄って来ない様にしてくれていたし」 そこで聡が、どこか疑わしそうに口を挟んだ。 「じゃあ父さんって……、昔から結構矢面に立って、母さんを庇ったりしていた?」 「そんな風には見えなかった? 私が社長にしてあげた訳じゃ無いのに、本当に律儀な人でしょう? だから清吾さんみたいに好きと言うのでは無いけれど、勝さんの事も大事に思っているわよ?」 (見えなかったから、余程夫婦仲が悪いのかと、俺が一人で気を揉んでたんだよ!!) 慎重に尋ねたが、由紀子に事も無げに言い返されてしまい、聡は本気で項垂れた。 それから幾つかのやり取りをしてから、聡は由紀子に別れを告げて病室を後にした。
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