零れた欠片が埋まる時
第3話 ファースト・コンタクト③

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「ご両親とは離れて暮らしているんですか?」 「いえ、同居してますが、今入院中なので」 「え? ご病気なんですか?」  途端に心配そうな表情を浮かべた清香に、聡が取り繕うように続ける。 「でも大した事じゃありませんから。確かに手術はしましたが経過は順調で、来月末には退院できますし。……そんな心配そうな顔をしないで下さい」  何となく罪悪感を覚えてしまった聡が清香に言い聞かせていると、少しの間、何やら迷っていたらしい清香が躊躇いがちに言い出した。 「あの……」 「どうかしましたか?」 「お見舞い代わりと言ってはなんですけど……、そんなにお兄ちゃんの作品のファンの方なら、サインとか貰いましょうか?」  聡にとっては願ったり叶ったりの申し出だったが、あからさまに喜びを露わにする事はできず、控えめに問い返した。 「え? それは嬉しいですが……、そちらに色々とご迷惑では?」 「私は構いません。せっかくですから最新刊とかにサインして貰って、そちらのご自宅に送る様に手配しましょうか?」 「あ……、それはちょっと……」 「何か拙いでしょうか?」  親切に清香がそう申し出たが、そうなると自分の名前と住所を教えなければならず、早々に自分が清香に接触した事が清人にバレる危険性に気がついた聡は、慌てて考えを巡らせた。  偽名を使ったり知人の住所を教えて誤魔化す事も考えたが、本来欲しかったのはサイン本ではなく、清人への足掛かりだった事から考えて、継続的に清香と連絡を取り合える状況を作り出す事が最優先だと結論を出す。そして短い時間の間に脳内をフル回転させ、目の前の人物を何とか丸め込めそうな流れを捻り出した。 「う~ん、サインを貰うだけでも悪いのに、新刊まで頂くのは正直言って気が引けるんです。それに、せっかくだから母が読み込んでいる本にサインして貰えないかと。書き手として、その方が先生も嬉しくないでしょうか?」 「言われてみれば、そうかもしれませんね」 「ですがそちらに本を送りつけるとなると、貴方の住所を聞かなくてはいけませんが……、先生に保安上、不用意に見ず知らずの人間に住所を教えない様に言われていませんか? 勿論俺は、不特定多数の人間に漏らす気はありませんが」 「そうですね……、ファンと言っても色々な人が居ますから、出版社でも公表してないって聞いてますし」  聡の繰り出す話に頷きつつ考え込んでしまった清香に、聡は優しく笑いかけながら打開案らしき物を口に出した。 「だからあなたさえ良ければ、あなたの携帯番号かメルアドを教えてくれませんか? 二人で連絡を取り合って、自宅では無いどこかで直接本をやり取りすれば良いかと」 「あ、なるほど。その手がありましたね! そうしましょう!」  嬉しそうに同意し、左手に抱えていた本を棚の空いているスペースに乗せ、斜め掛けしたショルダーバッグから今にも携帯を取り出しそうな様子の清香に、自分がそう誘導したにも関わらず聡は頭を抱えたくなった。 (見ず知らずの男に住所を教えるのは確かに危険だが、あっさり携番やメルアドを教えるのもどうかと思うんだが)  そして自分の携帯のプロフィールには本名の「小笠原聡」の名前で登録されている事を思い出し、あっさりと赤外線通信でデータ送信はできないと判断する。  そして何か考える前にジャケットのポケットから財布を取り出し、更にその中から仕事で使っている名刺を取り出した。 「すみません。今、手元に携帯が無くて。代わりにこれを渡しておくので、後で都合の良い時に連絡をくれませんか? 仕事中でないので名刺入れを持って無くて、財布に入れていてくたびれた奴で申し訳ありませんが」  続けて取り出したボールペンでサラサラと裏面にメルアドと携帯番号を書き込んで清香に差し出した名刺には、聡が職場で名乗っている父の旧姓である「角谷聡」の名前が刷られてあった。それを受け取って眺めた清香は、少し困った顔をする。 「ええと、ごめんなさい。この名字の読み方は『すみや』さんですか? それとも『かどたに』さんか『かどや』さん……」 「ああ、そういえば自己紹介がまだでしたね。『すみやさとる』です。でも読み方をちゃんと確認して貰えて嬉しいです。いい加減な人間はそのまま流して、次回に自分が適当に思った読み方で声をかけますから」  実際、これまでに何度か不愉快な思いをしていた聡が思わず嬉しそうに本音を述べると、清香は多少恥ずかしそうに話を続けた。 「こちらこそ名乗るのが遅れてすみません、佐竹清香です。仕事柄、読み書きに関してはお兄ちゃんが五月蝿いんです。それに加えて『人様の名前を間違えるなんて失礼極まりない。社会人としての礼節に欠けるから、曖昧な場合には初回にきちんと確認する様に』って念を押されてて」 「そう。先生は清香さんの事がよほど大切なんですね」 「どうしてそう思うんですか?」  同じ事を友人に話した時は「口うるさい」とか「厳しい」とか評された経験しかない清香は意外に思ったが、聡は目元を和ませながら当然といった口調で続けた。 「だってそれは清香さんが社会に出てから恥をかかないようにっていう、先生の優しい心配りからきている言葉でしょう? 凄く大事にされてるのが、その一事で分かります」  そう告げられた清香は間接的に清人を褒められた事ですっかり嬉しくなり、満面の笑みで聡を見上げた。 「はい! お兄ちゃんは頭が良くて優しくて何でもできる自慢のお兄ちゃんなんです。だから私も大好きです!」 「そう……」  その時、聡は自分の胸中に、何とも言い難い感情が宿ったのを感じた。  それが清香から絶対的な思慕と崇拝を受けている清人に対する嫉妬心と、兄である清人に対するその感情を躊躇い無く表に出す事のできる清香への羨望である事に気付くのは、もう少し先の事になるのだった。

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