そして約束の土曜日。小笠原家の広いリビングでは、由紀子がそわそわしていた。 「聡、そろそろ清香さんが、来る時間じゃないかしら?」 「落ち着いて、母さん。駅に迎えに行く事を話しておいたから、到着近くになったら、メールか電話がくる筈だよ」 「それじゃあ、お迎えを宜しくね」 「ああ。だからソファーに座ってて」 緊張の為か、先程からうろうろと室内を歩き回っている母を、聡が笑って促してから、真正面の一人がけの椅子に座っている父親に、胡乱気な視線を向けた。 「……ところで、父さんは今日は午後から、共和工業と中西産業の社長と、ゴルフとか言ってなかったかな?」 その問いかけに、読んでいた新聞のページをバサリと捲りながら、勝は面白く無さそうに答えた。 「先方の都合で延期になった。俺が家に居ると、何か不都合でもあるのか?」 「いえ、別に何も」 憮然として黙り込んだ聡だったが、ここで勝の横の一人掛けのソファーに座った由紀子が、慎重に口を挟んだ。 「あの……、聡は、清香さんには清人と私達の関係は、一切話していないの。勿論清人も、清香さんには話していないし、そこの所は」 「分かっている。余計な口は挟まん」 「……お願いします」 懇願口調にも、勝は端的に答えるのみで、由紀子と聡は一抹の不安を覚えて目と目を見交わす。 (こんな調子で大丈夫かしら? 以前、清人に殴られたのを恨んでいても、まさか清香さんに手を上げる様な真似はしないと思うけど、嫌味の一つも言いそうで……) (好き好んで、騒ぎは起こさないとは思うが……。そう言えば、父さんの一目ぼれ云々の話、忙しさにかまけて母さんに話すのを、すっかり忘れていたな。まあ、そのうち何とかなるか) 三人が三人とも何やら悶々と考え込んでいると、ドアをノックして家政婦の塚田が顔を出した。 「失礼します」 「あら、塚田さん、どうしたの?」 何気なく由紀子が顔を向けると、塚田は淡々と報告して来た。 「先程、門の所に佐竹様と名乗る女性の方が見えられまして、奥様からお伺いしていたお名前でしたので、通用口から入って頂きました」 それを聞いて、驚きに目を見張る由紀子と聡。 「はあ? 門に来た?」 「聡、駅まで迎えに行くんじゃ無かったの?」 「いや、そのつもりだったけど。ちょっと出迎えてくる」 「……騒々しいな」 そう言うやいなや、バタバタとリビングを走り出ていった聡を見て、新聞の裏側で勝が顔を顰めた。 清香は、「最寄駅到着が間近になったら、迎えに行くので連絡を」と聡に言われていたが、冬とは思えない陽気の良さに心が弾み、駅から歩いていく事を選択した。予め聞いていた住所を携帯のナビに打ち込んでみると、意外に分かりやすい経路だった事も、それを後押しした。 「迎えに来てくれるとは言われたけど、歩いて十五分だもの。ちょうど良い運動だったわ。駅からほぼ一直線で、分かり易かったし」 周囲の景色を眺めながらの散策気分で、上機嫌のまま歩いていくと、目指す門の前に首尾良く到達する。そしてその門構えに圧倒された。 「えっと……、ここ、よね? 住所は確かにここだし、小笠原って表示も有るし」 二メートル程の塀で囲まれたそこには、大型トラックでも悠々と通れそうな大きな両開きの門扉が存在しており、中を窺い知る事は出来なかった。そしてその傍らには、楽に二台か三台は車が入りそうなスペースの車庫がシャッターを下ろしていた。 それらをポカンと見上げた清香は、少しして辺りを見回してみる。 「社長さんのお宅だけあって、流石に大きいお屋敷。……これ、インターフォンだよね?」 門柱の横にポツンと設置されていたモニターとボタンを発見した清香は、迷わずそのボタンを押してみた。すると大して時間もかからず、声が聞こえてくる。 「はい、どちら様でしょうか?」 それを受けて、清香はモニターに向かって軽く頭を下げながら名乗った。 「すみません、佐竹と申します。今日こちらをお訪ねする旨を、伝えてある者ですが」 「お待ちしておりました。横の通用口のロックを解除しますので、そちらからお入り下さい」 「ありがとうございます」 礼を述べるとほぼ同時に、門扉の横に設置されていた小さな扉の解錠する音が聞こえ、その戸を潜って清香は邸内へと入った。 「うわ……、広いお庭。手入れも行き届いてるわね」 左右に広がる綺麗に刈り込まれた庭園に、清香が感嘆の溜息を漏らしつつ、門から奥にそびえ立つ屋敷の玄関へと繋がる道をのんびり歩いていくと、勢い良く玄関が開けられ、中から焦った様子で聡が走り出て来た。 「清香さん!」 「あ、聡さん。今日はお招き、ありがとうございます」 血相を変えて駆け寄った聡に、清香はいつものように頭を下げたが、彼はそれで幾らか落ち着いたものの、心配そうに問いかけた。 「いや、そんな事より、俺の携帯が通じなかった?」 「はい?」 「駅に近付いたら連絡をくれと言ってたのに、歩いて来ているから、何か行き違いがあったのかと思って」 そこでやっと聡の懸念に気が付いた清香は、慌てて謝罪した。 「あの、ごめんなさい。お天気も良いし、そんなに距離も無さそうだし、歩いてみても良いかなって思って、つい……。でも、聡さんに電話の一本でも入れるべきでしたね。気を揉ませてしまったみたいで、すみませんでした」 申し訳無く思った清香に、聡はここで漸く笑顔を見せ、並んで家に向かって歩き出した。 「そうなんだ。何事も無かったのなら良いんだよ。でも駅からここまでは、だらだら続く上り坂だし、きつく無かった?」 「それは全く気になりませんでした」 「清香さんは、普通の人とは鍛え方が違うみたいだしね」 「う……、聡さん、嫌みですか?」 「まさか! 褒めてるんだよ? だけど流石に帰りは薄暗くなるし、駅までちゃんと送らせて貰うからね?」 「はい、お願いします」 そんな事を笑顔で語り合ううちに、二人は玄関の前まで辿り着いた。 「じゃあ、遠慮無く入って」 「はい、お邪魔します」 聡が開けた扉の中に清香が入ると、かなり広い玄関の上がり口に、使用人らしい女性を従えた、上品そうな年配の女性がおり、清香に笑顔を見せた。
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