零れた欠片が埋まる時
第32話 芽生える不安①

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「真澄、お前に折り入って話がある」  軽いノックの後、断りを入れながら自室に入ってきた祖父の総一郎に、机に向かって持ち帰った書類の精査をしていた真澄は、軽い溜息を吐いてからドアの方を振り返った。 「はい、なんですか? 取り敢えずこちらにどうぞ」  そう言いながら椅子から立ち上がり、机とドアの間にある一人がけのソファーを指し示す。  自室といっても二間続き、かつ一部屋が十分な広さがある柏木邸では、机や飾り棚、本棚を並べても、丸いテーブルを挟んで一人がけのソファーを並べるのに、十分過ぎる余裕があった。そこに対面する形で座った二人だが、何故か話があると言った総一郎が、固く口を引き結んで微動だにしない。 「…………」 「お祖父様?」 「…………」  眉を寄せ、不審そうに真澄が声をかけてみたが、総一郎の態度に変化は無かった。 「あのですね……。そろそろ休もうと思うので、お話なら手短にお願いしたいのですが」  流石にイラッとしながら促すと、総一郎はいきなり椅子から崩れ落ちるように床に下り、座っている真澄の足元で土下座した。 「真澄、後生だから、儂の頼みをきいてくれっ!!」 「はあ? いきなり藪から棒に何ですか?」 「頼む! このままでは、儂は死ぬに死ねんのじゃあぁっ!! 死んでから、澄江と香澄に合わせる顔が無かろう!? あの子は孫の中ではお前に一番懐いておるから、お前の口添えが是非とも必要なんじゃ!」  それで祖父の言わんとする内容を、粗方察してしまった真澄は、面倒事はご免だとばかりに、にべも無く言い放って立ち上がった。 「長生きできそうで、良かったですね。私は休ませて貰うので、これで失礼します」 「真澄! お前はそれでも、儂の血を分けた孫かっ!? あんまりじゃあぁぁっ!!」  そこですかさず足首を掴まれた真澄は、絨毯の上に座り込んだまま、涙を見せつつ哀れっぽく訴えてくる総一郎を、(うざっ……、商談の席でならともかく、実の孫相手に見え透いた泣き真似なんかしないでよ)と、ほとほと呆れた眼差しで見下ろした。 「真澄はこんな死にかけた老人の、最期の願いも聞いてくれん様な、薄情な人間だったのか?」 「死にかけていませんから。十分元気じゃないですか。例え死にかけていても、他人の尻拭いと損働きだけは御免です」 「ほぅ……、それは商売人としては、天晴れな心意気。それでは商売人らしく、支払った対価に見合った働きをして貰おうかの。あれには、随分と大枚を払わされたんでな」 (……そうきましたか)  泣き落としが駄目と分かった途端、真顔になって睨みつけてきた祖父に、真澄は思わず遠い目をしてしまった。しかしゆっくりと立ち上がった総一郎と、真正面から視線を合わせながら、一応反論を繰り出してみる。 「あれは、そちらが自主的にお支払いになったのでは?」 「先に法外な金額を提示したのは、そちらじゃな」 「………………」  無言で見つめ合う二人。しかし何気なく総一郎の背後のドアに目をやると、その隙間から両手を合わせて拝むにしている父と弟に加え、笑顔で軽く手を振っている母の姿を認めてしまった真澄は、色々諦めて深々と溜息を吐いた。  「……分かりました。それで具体的には何をしろと?」 「おう、簡単な事じゃ。単なるメッセンジャーだからの」 (だからの、じゃあないでしょう! 簡単だって言うなら自分でやりなさいよ!)  心の中で憤慨しつつも、結局真澄は、厄介かつ面倒な使者の役目を、引き受ける事になった。

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