零れた欠片が埋まる時
第44話 清香流、矛の収め方③

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「清香さんと知り合ってから、もっと君の事が知りたくなった。いつも明るくて元気で、その笑顔に見惚れて、いつの間にかこの笑顔を見る為には、どうすれば良いかと四六時中考える様になってた」 「何か際限なく、考え無しに笑ってばかりみたいじゃないですか……」  ぼそっとひねくれた感想を述べた清香に気を悪くした風情も見せず、聡が話を続ける。   「今は、そうじゃないだろう? だから必死に考えてるよ。最初はどうあれ、いつの間にか母さんと兄さんの事は二の次……、と言うか、もう殆どどうでも良くなっていた」 「そうは見えませんでしたが?」  些か皮肉っぽく横目で睨んだ清香に、流石に聡も苦笑する。 「……正直、兄さんに関しては、どうしても避けて通れない関門だったから、嫌でも考えなければいけなかったけど。それはあくまで清香さんの兄という立場で、自分の兄って事は殆ど意識していなかったし。……逆に、あの容赦の無い人と、あまり血が繋がってるとは思いたくない」 「………………」  これまで清香にとっては唯一無二の自慢の兄であった清人だったが、これまでの経過を洗いざらい吐かせられた時に、聡に対する嫌がらせの数々も素直に自白した為、清香の中で一時的に信用が失墜していた。今現在ではかなり回復していたものの、聡のその感想を全面的に否定できなかった清香は、何とも言えない顔で黙り込んだ。  そして沈黙の中、聡が再び口を開く。 「一連の事で、清香さんの中で、俺の信用がガタ落ちだって事は分かっている。だけど君に付き合ってくれと言ったのは、便宜上とか口先だけの事とかじゃなくて、俺なりに本気で考えた上で申し出た事だから。……だから俺にもう一度、チャンスを貰えないかな?」  その聡の話をフロントガラスの向こうを凝視したまま聞いていた清香だったが、ここで聡の方に顔を向けて頼んだ。  「少しだけ、どこかに停めてくれませんか?」 「分かった。ちょっと待ってて」  清香の求めに応じ、聡は前方を見渡して車道の幅に余裕がある所を見つけ、路肩に寄せて静かに車を停めた。そして助手席の清香に向き直る。 「清香さん、ここで良いかな」  そう言った途端、聡の左頬に派手な衝突音と共に鈍い痛みが走った。平手打ちされたと分かった聡に、清香がまだ固い表情のまま告げる。 「……お祖父ちゃんもこれで済ませましたから、これが妥当でしょう」 「ありがとう、清香さん」 「あと一つ……、条件があるんですけど」 「何? 遠慮なく言ってみて?」  まだ緊張が残る顔で聡が促すと、清香は逆に表情を緩め、如何にも申し訳無さそうに言い出した。 「その……、怒りに任せて、携帯に登録していた聡さんのメルアドと携帯番号と家電番号を、着信拒否にした上でアドレス帳から全部消去しちゃったんです。ですから、また教えて貰いたいんですけど……」 「それは構わないよ。家に帰る前に、どこかでお茶していこうかと思っていたからちょうど良い。だけど……」 「どうかしましたか?」  怪訝な顔付きで言葉を濁した聡に、清香が幾分不安そうな表情で問い返した。それに聡が淡々と答える。 「登録拒否設定にしたアドレスや番号を、アドレス帳に復帰させた上で、設定を解除すれば良いだけの話じゃないのかな?」  不思議そうに言われた内容を頭の中で考えた清香は、花束の中に顔を埋める様にして、がっくりと項垂れた。 「私の馬鹿…………。お兄ちゃんに知られたら『だからお前はまだまだ子供なんだ』って馬鹿にされる……」  本気で落ち込んでいるらしい口調の清香を、聡は笑いを堪えながら宥めた。 「兄さんには言わないから、安心して良いよ」 「本当に?」  思わず顔を上げ、縋る様な眼で見つめて来た清香に、聡が優しく笑いかけながら請け負う。 「ああ、それにこれからは兄さんの代わりに、俺が色々教えてあげるから」 「ありがとう、聡さん」 「どういたしまして。じゃあそろそろ出すから」  そうしてブレーキを踏み込みつつ、ギアに手をかけてドライブモードにした時、視界の隅に鮮やかなピンクの物が映り込み、強い香りと共に左頬に僅かな柔らかい感触を感じた聡は、思わずそのままの姿勢で固まった。  そして一瞬遅れて、左手をギアから離し、頬を軽く押さえながら、呆けた様な表情を助手席に向ける。 「……え?」  その視線を受けた清香は、逃げ場が無い助手席で難儀そうに片手で大きな花束を抱えつつ、片手で口許を押さえながら真っ赤な顔で喚いた。 「ああああのっ! この間の事は、ちょっと自分でも大人げ無かったと思いますし、結構思ったより強く叩いちゃったみたいですし、ちょっとしたお詫びですっ! こんなの、お嫌かもしれませんけどっ!」  それを受けて、聡が些か呆然自失状態で呟く。 「いや、嫌じゃないよ。嫌じゃないけど……」 「な、何ですか?」  不自然に言葉を濁した聡に清香が恐る恐る声をかけた所で、何故か聡は視線を逸らし、両腕をハンドルに持たれかけさせて突っ伏した。そして清香に聞こえない程度の声で、忌々しげに呟く。 「まさかこうなる事まで予測して、門限を十九時設定にしたわけじゃないよな、兄さんは……」 「え?」  そこで盛大に溜息を一つ吐いてから聡は顔を上げ、自分の反応を窺ってビクビクしている清香にいつも通りの笑顔で笑いかけた。 「何でも無い。じゃあ、ちょっとお茶してから、十九時前には家に送って行くよ。兄さんが清香さんが頑張ったご褒美に、清香さんの好きな物を作って待ってるって言っていたから」 「本当?」 「門限を守ったら、俺にもお相伴させて貰えるそうだし」  途端に目を輝かせた清香に、聡が苦笑気味に付け加える。それを聞いた清香は一瞬目を丸くし、次いで笑って断言した。 「それじゃあ、遅刻できないですね」 「ああ、そう言う事。……ちょっと残念だけどね」  その聡の台詞に清香は僅かに首を傾げたが、聡は笑って前方に視線を戻し、車を再度発進させた。

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