零れた欠片が埋まる時
第29話 女達の策動④

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 そして清香が夕食を作り終わり、二人で向かい合って食べ始めたから暫くした頃、如何にも四方山話のついでという感じを装いながら、恭子が慎重に言い出した。 「……そう言えば清香ちゃん。留守番もそうだけど、携帯の設定とか大丈夫?」 「え? 何がですか?」  急な話題の転換に清香が怪訝な顔をすると、恭子は用意しておいた台詞をスラスラと述べた。 「先生が清香ちゃんを一人にさせるのを嫌がるなんて、何か変な事でもあったのかと思って、少し心配になったの。以前から泊まりがけの取材旅行の時、ここに泊まる様に頼まれてはいるけど、夕方から数時間家を空ける位で、留守番を頼まれるなんて初めてだったし」  それを聞いた清香は、溜息を一つ吐いてから申し訳なさそうに答えた。 「うぅ……、ごめんなさい恭子さん。何か年明けからお兄ちゃんがちょっと変で。情緒不安定って言うか、妙に心配性って言うか」 「そうなの? それなら別に良いの。ストーカーの気配とか、無言電話や悪戯メールとかあったのかと思ったわ」 「勿論、そんな事無いですよ」  慌てて否定した清香に対し、恭子は神妙な顔つきで話を続ける。 「それでさっきの話に戻るけど、携帯なんて個人情報の塊だから、きちんと管理しないと危ないと思ってね。ちゃんとセキュリティーロックをかけている?」 「大丈夫ですよ。恭子さんも心配性ですよね?」  そこは余裕の笑みで返した清香だったが、恭子は先程勝手に清香の携帯設定を確認した事など微塵も感じさせずに、笑顔で念を押した。 「それなら勿論、ロックナンバーは自分や家族の誕生日とは違う番号に設定しているのよね?」 「……え?」  途端に笑顔のまま固まる清香に、恭子が疑う様な視線を向ける。 「え? って、清香ちゃん? まさか、ひょっとして……」 「いえ、あの、でもっ! お兄ちゃんの誕生日だし!」  必死になって弁解する清香に、恭子はわざとらしく溜息を吐いてみせた。 「清香ちゃん。それ位ある程度付き合いのある人は知ってるし、先生はプロフィールで誕生日は公表しているのよ? そんなに親しく無い人でも、清香ちゃんと先生の関係を知っている人なら、容易に推察できそうじゃない」 「駄目?」  恐る恐るお伺いを立ててきた清香に、恭子は語気強く言い切った。 「携帯が、未来永劫悪意を持った人間に渡る可能性が皆無では無いし、私としてはこの際是非変更を勧めたいわ」 「う~ん、それならどんな番号にしようかな」  最早食事そっちのけで、悩み始めてしまった清香に、とんとん拍子に事が進んで嬉しい為、緩みそうになる顔を何とか引き締めながら、恭子は冷静に問いかけてみた。 「誕生日以外で、そうそう忘れない日付とか、番号とかは無い?」 「えっと……。あ、そうだ! 0612にしよう!」  そう宣言してから再び箸を動かして料理を口に運んだ清香を、恭子は微笑ましく思いながら、自身も箸を動かしつつ小さな疑問を口にした。 「確かに二人の誕生日では無いけど、何か忘れられない意味がある数字なの?」 「あれ? 覚えてない? 六月十二日は、恭子さんが初めて家に来た日だけど?」 「え? そうだった?」  何気なく言われた言葉に、恭子は目を見開いて手の動きを止め、清香は清香でしみじみと語り出した。 「もう、あの時は本当にびっくりしたんだから。夕方帰ったら家に知らない女の人が居て、お兄ちゃんに『暫くこの人と一緒に暮らすから』って言われた時には」 「……ごめんなさいね。相当驚かせた自覚はあるわ」  うんうんと頷きながら話をする清香に、恭子は如何にも申し訳なさそうな顔になる。 「おまけにその頃、まだ客用布団を揃えて無かったから、『明日布団を買うから、一晩一緒に寝てくれ』って言われて」 「私は床やソファーでも良かったんだけど、先生が『ちゃんとしたベッドで寝なきゃ駄目だから、床やソファーを使うなら俺がそこで寝るから俺のベッドを使って下さい』と強固に主張されて、あの時は本当にどうしようかと思ったもの」  そこで女二人は顔を見合わせ、申し合わせた様に同時に溜息を吐いた。 「本当に、訳が分からない主張だったなぁ。私、義理のお姉さんになるかもしれない人を、ベッドから蹴り落としちゃったらどうしようって、凄く緊張したんだから! でも後でよくよく考えたら、恋人だったら一緒に寝るだろうし。その時、誰かと一緒の布団で寝るなんて凄く久し振りで、ホカホカしてすぐ寝ちゃった様な気がする」  当時を思い出しつつそう述べた清香に、恭子は思わず苦笑してしまった。 「ええ、緊張してた割には、布団に入って五分で熟睡してたから、凄く羨ましかったわ」 「だって両親が死んでからはいつもお兄ちゃんと二人きりで、泊まりに来る人とかも皆無だったから、なんだか家族が増えたみたいで嬉しかったんだもの。そうか、お兄ちゃんが結婚したらお姉さんができるんだ。この人だったら仲良くできそうだな、って。だから忘れられない一日なの」  にこにこと説明された内容に、最近では殆ど忘れかけていた当日の事を思い出した恭子は、その顔に心からの笑みを浮かべた。 「……私だってそうよ。ありがとう、清香ちゃん」 「どういたしまして。……ところで恭子さん、本当にお兄ちゃんと結婚しないの?」  どこかからかう様な口調で尋ねてきた清香に、恭子も余裕で笑って答える。 「だから、その話は今更よ。あれから五年以上経っているのよ? もし本当にそうなら、とっくに清香ちゃんの義理のお姉さんになっているわ。先生とは、あくまで雇い主と雇用者の関係よ」 「そうなのよね。残念」  本心から言ってくれていると分かる言葉を恭子は嬉しく思い、半分照れ隠しに箸を動かしながらつい余計な事を口走った。 「それに、先生には先生の、お考えがあるみたいだし」 「なあに? それ」  清香に問われて自分が口を滑らせた事に気が付いた恭子は、にっこり笑って誤魔化す。 「秘密。私が勝手に推察しているだけだし」 「えぇ? ずるい!」  盛大に抗議してきた清香だったが、ここで恭子が話を逸らしにかかった。 「それに、先生の結婚云々の話以前に、偶には清香ちゃんの恋バナとか聞きたいわね」 「うえ? 恋バナって」  途端に動揺した声を上げる清香に、恭子はテーブルに肘を付きつつにっこりと微笑してみせる。 「この前、大学祭で顔を合わせた小笠原さん。この際、その後どうなっているのか、是非聞きたいわ」 「ど、どうなってるのかって……」 「うふふ、清香ちゃんとこんな話ができる様になるなんて、本当に感慨深いわね。ほら、お姉さんに何でも話してみなさい」 「うぅ……、恭子さんの意地悪!」  小さく手招きする仕草を見せた恭子に、清香が顔を真っ赤にしながら拗ねる。それを見ながら恭子は何とか噴き出しそうになるのを堪えた。   (ありがとう、清香ちゃん。今夜はぐっすり寝られそうだわ……)  清香との会話で、思いがけずこの家を初めて訪れた時の事を思い出し、恭子の胸の内はその時と同様に、温かくなっていた。

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