(確かに皆、別れた後も、仕事上では普通にやり取りしてくれてるけど……) 「そこで突っ立ってると、通行の邪魔なんだがな」 (私、付き合ってみたら相当がさつで可愛げが無いと思われたと思ってたんだけど……、それ以上に気が付かないうちに、相手に失礼な事をしていたのかしら?) そこまで考えた真澄は、思わず呻き声を漏らした。 「……最低だわ」 「うん? 体つきは最高に近いと思うが?」 「え? ……きゃあぁぁっ!!」 第三者の声が割り込んだと思ったと同時に、真澄は胸とお尻を服の上から撫で下ろされ、悲鳴を上げながら反射的に一歩後退った。そして往来のど真ん中で痴漢行為を働いた人物を睨み付けようとして、その目を丸くして固まる。 「お嬢さん、どうした? おや? その顔は何だか見覚えがあるが……」 そう言って怪訝そうに腕を組んで考え込む、上下紺色のジャージを着込んで、額にヘアバンドを付けた白髪頭の老人の姿に、真澄の思考回路はほぼ停止状態に陥った。 (え? 何? 今、このおじいさんが私の身体を触ったわけ? と言うか、繁華街のど真ん中で、どうしてこの格好……。それに私もこの人に何となく見覚えが、有るような無いような……) そこで次に割り込んできた声に、真澄の心臓が止まりそうになった。 「大刀洗会長! 何をやってるんですか、見ていましたよ! 往来のど真ん中で、痴漢行為は慎んで下さい!!」 「相変わらず固いな~、きよポンは。じゃあ老い先短い老人がこの世に悔いを残さない様に、おさわりパブにでも連れて行って貰おうか」 「どこが老い先短いんですか!? それだけ元気があれば、あと五十年はピンピンしてますよ、この妖怪変化! これ以上俺に迷惑をかけないで、寧ろポックリ逝って下さい! ……すみません、連れのエロじじいが失礼を」 「清人、君? どうしてここに?」 「え? 真澄さんこそ……」 連れが不始末を仕出かした相手に頭を下げようとして振り返った清人は、予想外の相手に固まり、真澄も同様に絶句した。しかしその横で、のほほんとした声が発せられる。 「おう、思い出したぞ。総一郎のとこのみぃちゃんだ」 「はぁ?」 緊張感の欠片も無い声に、清人と真澄が揃って顔を向けると、老人は如何にも人の良い笑顔で真澄に問い掛けた。 「最後に会ってから、二十年近く経っているからな……、覚えているかな、真澄ちゃん。私は総一郎の友人で大刀洗雄造だ。昔、家で何回か顔を合わせた事があるが、惚れ惚れする位美人の上、撫で回したい良い身体になったな~。うんうん、立派に成長して嬉しいぞ」 「爽やかな顔で、セクハラ発言は止めて下さい!」 すかさず突っ込んだ清人の声も耳に入らず、真澄は記憶の中で該当する名前を必死で漁った。 (確かに見覚え聞き覚えが……、ちょっと待って。この人にちゃんとスーツとネクタイを身に付けさせて、ふざけたヘアバンドを取って髪を整えて……。名前は……) 「大刀洗…………、って!? まさか結城化繊工会長で、経興連会長の大刀洗会長ですか!?」 思い当たった内容に、真澄が思わず相手を指差しながら絶叫したが、大刀洗はその非礼は咎めずにブツブツと不満を漏らした。 「つまらん肩書きだがな。他にも幾つかあったと思うが。……欲を言えば、昔みたいに『ゆぅじいちゃん』と可愛く呼んで欲しかったな~」 「いえ、あの……、すみません。でも、その、ですね……」 自分に痴漢行為を働いた人物が祖父の旧友であり、国内でも有数の企業の元トップ、かつ有力経済団体の現トップでもある人物だった事実に、真澄の判断力は限界に近付いた。そこで真澄の混乱に、更に拍車をかける発言が重なる。 「おい、きよりん、雄の奴は居たんだろ? 何突っ立ってんだ?」 「年寄りを放り出して行くとは……、敬老精神が欠如しとるぞ? キンキン」 「お、美人だな。雄、知り合いか? 紹介しろ」 「確かに俺も知り合いだが……、きよポンの方が良く知ってるみたいだぞ?」 「何だ、きよとんも隅に置けんな~。俺に彼女を紹介してくれ」 「あ、ずるいぞ、助の。俺が先だ」 「出来るわけ無いでしょうっ!!」 「あの……、何なんですか? 皆さん、さっきから清人君の事を、変な呼び方で呼んでいるみたいですが……」 わらわらと周囲を囲んだ老人達を認めて、真澄は盛大に顔を引き攣らせながらも、何とか質問を繰り出した。 (何なの……、ジャージに続いて現れたのが、羽織袴と、売れない演歌歌手のド派手なステージ衣装も真っ青なスーツと建築作業現場のニッカポッカ姿って……。何の仮装行列? 普通のスーツ姿の清人君の方が、異質に見えるわよ。それに全員どことなく見覚えが……) 一人、盛大に冷や汗を流している真澄に対し、周りの男達が淡々と説明を始めた。 「ああ、それは売り言葉に買い言葉で、清人の奴が『勝負に負けたら自分を好きな様に呼んで構わない』と言ったから、勝負に勝って以来こいつの事を『きよポン』と呼んでるんだ。なあ、きよポン?」 「……お願いですから止めて下さい」 静かに凄んだ清人だったが、周りは誰一人として恐れ入る者は無かった。 「何だ? 女の前だからって格好つけようとしても無駄だぞ? きよりん」 「…………」 ピクリとこめかみに青筋を浮かべた清人だったが無言を貫き、逆に真澄は好奇心に負けて口を開いた。 「あの……、因みにどんな勝負をなさったんですか?」 「あっち向いてホイじゃ! なぁ、キンキン?」 「…………」 予想外すぎる単語を聞いて唖然となった真澄の横で、清人が盛大に吠える。 「社会的地位があるにも係わらず、あんなえげつない汚い手を使って勝ちに行こうとするなんて、あなた方は恥ずかしく無いんですかっ!!」 いきなり激昂した清人に真澄は驚いたが、周りは歯牙にもかけなかった。 「生意気な若造の鼻っ柱をへし折ってやるのも、年寄りの仕事だからな。俺達を恨む前に、自分の未熟さを反省するんだな。きよとん」 「…………っ!」 (凄い……、流石だわ。清人君が勝てない相手が居るって事が、初めて分かった。一体、どんな卑怯な手を使ったのか、興味があるわ……) 呆然と歯軋りする清人を見ながら、真澄が素直な感想を頭の中で思い浮かべていると、中の一人がすかさず声をかけてきた。 「ところでお嬢さん。こんな所で一人で立ち尽くしてどうしたのかな? 声をかけてくれと言ってるようなものだと思うが」 「あ、えっと……、すみません」 反射的に頭を下げた真澄に、相手は如何にも人懐っこい笑顔を見せる。 「いや、謝らんでも良いが……。雄造ではなくても声をかけたくなるぞ? どうかな? 良いホテルを知ってるから、儂と一緒に夜明けの珈琲を」 「年寄りはさっさとくたばるか、寝て下さい! 真澄さん! こんな色ボケじじいを、まともに相手にしないで下さい!!」 さり気なく真澄の手を掴んだ老人を、血相を変えた清人が二人の間に割って入り、ベリッと音がしそうな勢いで引き剥がした。その途端、周りからブーイングが沸き起こる。 「人のナンパを邪魔するとは……」 「何とも無粋な奴だな~」 「やはり色々、躾直しが必要とみた」 「あなた方に躾られた覚えは皆無ですし、直される必要はもっとありません!」 清人が怒りながら喚いていると、真澄が横からボソッと口を挟んだ。 「どうして私をナンパしたいのか、理由をお聞きしても良いですか?」 「は?」 「どうしてそんな事を聞くんだ?」 「ナンパなんか、されまくってるだろう? お嬢さんなら」 不思議そうな顔になって面々が真澄に視線を向け、思わず清人も怒りを静めて真澄に意識を向けると、真澄は言いにくそうに口ごもった。 「だって私、そんなに魅力的じゃありませんから……。ナンパなんて滅多にされませんし。それに……、大刀洗会長に声をかけられる直前に、付き合ってた人から別れを切り出されて、別れた所なんです……」 「………………」 流石に次に続ける言葉が出ず、その場の皆が黙り込んで気まずい雰囲気に満ちると、真澄は益々落ち込んで心の中で密かに清人に八つ当たりした。 (全く、来て欲しい時に顔を出さないで、寄りによってこんな顔を合わせたく無いこんな時に、どうしてひょっこり現れるのよ、この最低男っ!) そんな事を考えながら、だれも口を開かない為に真澄が俯いたまま話を続けた。 「……だから私、同年代の男性には好かれないタイプだと思うんです」 「あの……、真澄さん?」 躊躇いがちに清人が声をかけて来たのが分かったが、真澄は下を向いたまま敢えて無視した。
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