「お客様、申し訳ありません。今週一杯は貸切になっておりまして」 「ああ、マスター、こいつは良いんだ。向かいの美容室で働き始めた、例の義理の従弟だから。玲二、ここに座れ。マスター、水とお絞りを頼む」 「左様でございましたか。失礼しました、どうぞお入り下さい」 「……やっぱり」 窓際の席に座ってその場を仕切っている清人の姿に、片手でドアを押し開けた状態のまま、玲二は脱力して項垂れた。 「休憩に入ったんだな。お疲れ、玲二。何か食べるなら奢るぞ? 就職祝いの代わりだ」 清人が爽やかに笑いながらメニューを差し出して来たが、向かい側に座った玲二は、テーブル上の物に厳しい目を向けつつ問い質した。 「こんな所で、一体何をやってるんですか、清人さん!?」 しかし逆に鋭い視線を向けられて恫喝される。 「昼休みは時間が決まってるよな? 喚く前に、さっさと食う物を選べ。客の前で腹を鳴らす様な無様な真似は、あそこの店長が大目に見ても俺が許さん」 「…………」 有無を言わせないその口調に、逆らったら後々酷い事になると身にしみて理解している玲二は素直にメニューを開き、水とお絞りを運んできた初老のマスターに声をかけた。 「すみません、ピザトーストセットをお願いします。飲み物はブレンドで」 「畏まりました」 恭しく頭を下げたマスターがカウンターの向こうに消えたのを見計らって、玲二が小声で清人に凄んだ。 「それで? ここで何をしているんですか? 昨日から居ましたよね?」 それを聞いた清人がちょっと驚いた顔をする。 「気が付いていたのか? 案外敏いな。それにしては飛び込んで来たのが今日だが……」 「レンズの反射光で、今日やっと確信できたんです! 一体どうして店を覗く様な事をしてるんですか!?」 窓の外、正確には自分の勤務先に向きを合わせてスタンドで固定された双眼鏡をビシッと指差しながら玲二が叫ぶと、清人が平然と言い返した。 「浩一と真澄さんに『甘ったれで我が儘で自由奔放に育ってきた玲二に、客商売なんて務まるだろうか。職場にご迷惑を掛けたりしないかと心配で』と別々に相談を受けたんだ。調べてみたら俺のマンションの最寄り駅から、乗り換え無しで行ける所だったから、これは見に来て下さいと言っている様なものだろう」 そんな勝手な解釈まで聞かされた玲二は、両手をテーブルに付いてがっくりと項垂れた。 (しまった……。就職先を決めるのに、そこまで考えていなかったぞ) 当然と言えば当然の行為だったのだが、玲二は就職先を今の店にした事をチラッと後悔した。しかしすぐに思い直す。 (いや、この人だったら例え就職先が沖縄だろうが北海道だろうが、どんな屁理屈を付けてでも、様子を見にくる筈だ) そう思った玲二は、当面の問題を解決すべく、声を絞り出した。 「あの……、清人さん」 「何だ?」 「俺、もう子供じゃないから。第一、社会人として働き出した人間をそんな風に心配するのは、ある意味、俺に対して失礼だと思う」 しかしその控え目な拒絶を聞いても、清人は動じるどころか笑みさえ浮かべて言い返した。 「お前はあの二人から、少し年が離れているからな……。向こうにしてみれば、一方的にお前を世話した記憶から、抜け切れないんだろう。だから『そんなに心配なら、時々様子を見に行ってみる』と二人に約束したんだ」 「時々って! 勤務初日から張り付いて、何言ってんだよ!」 流石に玲二が憤慨して声を荒げたが、清人は真顔で反論した。 「何と言っても、初めが肝腎だろうが。流石に店内にカメラやマイクを仕掛ける真似は出来なかったからな」 「当たり前です! 真面目な顔で、何を言ってるんですか!?」 「だから取り敢えず、店内を観察できるこの店を一週間貸切にした。更にガラス越しでもちゃんと内部が見える、特殊偏光フィルター付きの双眼鏡も用意したしな。明良が詳しくて助かった」 (あ~き~ら~、後で覚えてろよ?) 知らずに清人の片棒を担がせられたであろう従兄弟に、心の中で悪態を吐いてから、玲二は懇願した。 「お願いですから……、家で自分の仕事をして下さい、清人さん……」 「してるぞ? それにここのマスターが淹れる珈琲が美味くてな、結構仕事がはかどるんだ」 傍らのノートパソコンを指差しつつ清人が評した言葉に、ちょうどカウンターからトレーを手に出て来たマスターが、顔を綻ばせる。 「ありがとうございます、東野先生。……お客様、ピザトーストセットをお持ちしました」 「……どうも」 「ああ、今度はサントスをお願いします」 「畏まりました」 もうこれ以上何を言っても無駄だと悟った玲二は、色々諦めて溜め息を吐き、マスターに短く礼を述べた。そしてしれっとしてお代わりを注文した清人に、神妙に問い掛ける。 「清人さん……、本当に一週間したら、ここから撤収してくれますか?」 呻く様に確認を入れた玲二だったが、コーヒーカップ片手に返された清人の台詞は容赦ない代物だった。 「一週間の、お前の勤務態度次第だな。真澄さんと浩一の顔に泥を塗る様な真似をさせる訳にはいかないから、客からクレームをつけられたり店長から叱責されたり、怪しかったら観察期間は延長だ」 「勘弁して下さい……」 「俺もずっと眺めているわけじゃない。偶々眺めた時にそんな場面を目にしたら、頻繁にそんな問題を起こしている可能性が大だからな」 「観察じゃなくて、監視じゃないか」 がっくりと項垂れた玲二に、涼しい顔で清人が促す。 「冷めるぞ? 温かいものは温かいうちに食え」 「……いただきます」 ※※※ 「……そうして俺は一週間監視されたんだけど、それで取り敢えず清人さんは納得してくれたみたいで、大人しく引き上げてくれたんだ」 そう言って、心底疲れた様に「はぁ……」と溜め息を吐いた玲二の姿を見て、浩一と真澄と明良は盛大に顔を引き攣らせつつ、謝罪の言葉を口にした。 「すまない、玲二。俺はちょっと不安を口にしただけのつもりだったんだ。そんな事になるとは夢にも思わず……」 「私も……、実の姉兄だと却って言いにくい事があるかもしれないから、何か言ってきたら相談に乗って欲しい、位の気持ちで……」 「悪かった……。まさか清人さんがそんな用途に使う為に欲しがってたとは、夢にも思わなかったから……」 「うん、三人に悪気が無いのは分かってたから。だから今まで口にしなかったし」 「…………」 心なしか暗い表情でグラスを傾けた玲二に、三人はとっさに次にかける言葉が見当たらず黙り込んだ。その周囲で、呆れ気味の声が次々と上がる。 「しっかし本当に、やるときはとことんやる男だね、清人さんって」 「あの人の辞書に、『限度』とか『節度』とかって言葉は無いのか?」 「確かに。変な所で負けず嫌いだし。からかうと楽しいけどね」 そう言って、何を思い出したのかクスクスと笑い出した友之を、周囲の者達は、何か不気味な物を見る様な目つきで見やった。 「からかうって……」 「お前、そんな恐ろしい事、何やったんだよ?」 「そんな事して、無事に済んだのか?」 「身体は一応無事だけど、流石に財布は無傷じゃ済まなかったな」 そう言って小さく肩を竦めた友之は、周りからの無言の催促を受けて、静かに語り出した。
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