お昼時間。 何やら社長と野室さんが話し合っています。 「ふゥむ……」 腕組みながら下を向く社長。 野室さんは頭をポリポリとかきます。 「どうする?」 「どうするって言われてもな……」 「そうだな……本人が決めたことだし」 「急にどうしちまったんだろうな」 「わからん」 社長は天井を見上げました。 「フゥ……」 何だか暗い様子です。 私は一緒にデスクワークをする山村さんにそっと尋ねます。 「どうしたんですかね?」 「ん、んん? ちょ、ちょっとね……」 山村さんは気まずそうな顔をします。 すると、コーヒーを手にした粟橋さんがやって来ました。 「やめるんだとよ」 「やめる?」 「加納が一昨日、退職届を出したんだ。勤務は今月まで」 「ええ~~ッ!?」 加納さんが退職!? 私は加納さんの席を見ました。 「加納は休みだぞ」 「あっ……そうか……」 そうでした……。 今日は体調不良を理由にお休みでした。 「ついでに片桐君もね」 山村さんがポツリと一言。 そう、今日は片桐さんもお休みされています。 理由は加納さんと同じく体調不良……。 ☆★☆ オフィス街から離れた小さな喫茶店。 古めかしい店で客は少ない。 若い女が1名、学生らしき男が1名、サラリーマンらしき男が1名、高齢者2名ほど。 その隅の席に若い男女が対座していた。 「我々はお待ちしております」 「はい……」 加納と片桐である。 店内には客が少ないが、二人は隅の席に座していた。 「まだ迷われているのですか?」 「えっ……」 「理解るものなのですよ」 片桐は眼鏡を外し、涼やかな笑みを浮かべる。 「私は武道家。武道とは戦い――戦いとは駆け引きをするもの」 「か、駆け引き?」 「人の心を読めずして、戦いは臨めませぬ」 「はァ……」 片桐は黒い眼は加納を見据える。 加納は、その黒い瞳に吸い込まれそうになっていた。 「加納さん」 「はい?」 その瞳――紫金紅葫蘆。 呼びかけたものの身を吸い込む。 「私はあなたが来られることを望んでおります」 ☆★☆ 空は黒くなり、三日月が浮かんでいる。 時刻は21時を過ぎていた。 加納は夜道をとぼとぼと歩く、その顔は赤く染まっていた。 酒を飲んだのだ。 「はァ……」 ため息をついている。 その表情は空よりも暗い。 自宅のマンションへと戻り、ドアノブにカギを差し扉を開ける。 「フゥ……」 加納はまだため息をつく。 ゆっくりと部屋へと入り、明かりを点けた。 部屋は白い光に照らされた。 棚にはロボットのフィギュアが置かれ、壁にはアニメのポスターが貼られている。 「俺、何やってんだろ」 高校、大学と有名校に進学。大学では理工学部に入った。 そして、迎えた就職活動。もちろん第一志望はアスマエレクトニックだ。 応募人数が多い中での就職試験。筆記、面接と見事にクリアして採用。 希望の部署は――BU-ROADバトル事業部。 花形とは言い難い。会長である不二男の道楽的な部署だからだ。 普通の新人なら配属されるのに難色を示すが、加納はこの部署を強く志望した。 「ガキっぽいよな……」 加納は子供の頃から「ロボットに関わる仕事がしたい」と夢見ていたからだ。 それもただのロボットではない。アニメに出て来るような力強いロボットを作りたい。 BU-ROADバトルはその夢を実現できる場所――のハズだった。 「本当に戻るのか? アスマエレクトニックに――」 そう呟いた時だ。 「あれ?」 インターホンの音が鳴った。 こんな時間に誰だろうとカメラを見た。 「あっ!」 カメラには野球帽を被った女――いや小柄な男が映っていた。 服装は黒いスカジャンにジーンズを履いている。 「やっぱりそうだ……」 加納はこの人物を知っていた。 顔はよく見えないが、誰であるかは想像出来る。 シュハリの正体が彼なのは間違いない。 その彼が一体どういう用件で訪れたのだろうかと思案していると。 「開けてもらっていいかな?」 そう言われた。 加納は少し迷うも、扉を開けた。 「よっ!」 「覆面被らないでいいんスか?」 「ハァ? お前、何言ってンだ」 加納は混乱した。 シュハリの正体があいつだと思っていたが違う。 そもそも、あいつなら素顔を隠す必要もない。 背格好は同じだが、よくよく聞くと声が微妙に違う。 シュハリの正体は誰なのか? 「眼鏡をやめてコンタクトかい? 髪も染めて、耳にはピアス。大学デビューかよ」 その疑問の答えを導き出す間もなく、男が言葉を続けた。 「これはイメチェンで……」 「イメチェン?」 「やってみたかったんス」 「あっそう。邪魔するぜ」 男は興味なさそうな顔をすると、部屋に足を入れた。 「お、おい! 勝手に――」 「別にいいだろ。俺とあんたの仲だ」 男は部屋に入ると、棚にあるフィギュアや壁のポスターを見た。 「相変わらずオタクだな。彼女いる?」 「うるさいっスね!」 加納の特徴的な語尾使いに男は笑った。 「ははっ! ムキになる性格は変わんないな」 「いつ日本に戻ったんスか」 「最近」 男はそう述べると加納を横目で見た。 「てっちゃん、アスマを辞めたって?」 てっちゃんとは、男が加納を呼ぶ際の愛称である。 「な、何で知ってるんスか」 「爺さんから聞いたよ。今は紫雲電機で働いているのも」 男は棚の方へと向かい、フィギュアを手にした。 「……アスマに戻りたがっていることも」 「紫雲さんを技術者として尊敬してるっス……だからこそ……」 「誘われて、ついていくことにした」 「でも、自分の本心は――」 「ロボット作りをしたいと思っている」 男は静かにフィギュアを置いた。 「――殺人マシンを作りたいんだ」 その言葉に加納は強く否定する。 「ち、違う! 自分はただ……」 「あそこに戻るっていうのは、そういうことなんだよ」 男は加納の横を通り過ぎる。 歩く先は扉だ。 「女性にはご用心」 「どこへ……」 「また会おう」 男はそう述べると去っていった。 加納はこの突然の出来事に混乱しているが、 (神谷颯――シュハリじゃなかったんスか?) シュハリの正体が外れたことだけはわかった。 ☆★☆ 同刻。 紫雲電機のオフィスは誰もいない時間帯である。 照明は消され、部屋の中は暗いが、 (ここにもない……) 音がした。 (あるはずなのに……) キーボードを叩く音だ。 (烈風猛竜の設計データはどこに…… ) 暗闇の中でディスプレイの光を浴びるのは、 「何をしているんだい。泥棒さん」 片桐結月。 「あ、あなたは!」 その後ろには――シュハリが立っていた。
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