結論から先に言うと、恋人のフリをして一日中デートをしていても特に何も起こらなかった。 ストーカー男は表情を変えずにただ俺たちのあとをついてくるだけで、何もアクションを起こさなかった。 諦めて帰ることもせず、かといって話しかけてきたりすることもなかったので、俺たちは延々恋人のフリをしてデートをし続けた。 そして辺りも暗くなり、岸田さんももういいと思ったのか、 「帰りましょう」 突如そう口にした。 俺は時間も時間だったので、その提案に同意し、 「じゃあ家まで送るよ」 と最後まで恋人のフリを貫き通すことにした。 そして――今に至るというわけだ。 岸田さんの家の前で俺と岸田さんは顔を突き合わせ、 「今日はありがとうございました」 「いや、なんか役に立てたのか微妙だけどね」 「じゃあ、木崎さんも気を付けて帰ってください」 「ああ、ありがとう」 と別れの挨拶を済ます。 岸田さんが家に入りドアを閉めたことを確認しつつ、結局今日のデートは一体何だったんだろう。そんなことを考えながらきびすを返したまさにそこへ、 「お、お前、桃ちゃんのなんなんだよっ」 ストーカー男が俺の目の前に姿を見せた。 俺は虚を突かれて一瞬たじろぐが、すぐに気を取り直し、 「俺は岸……桃さんの彼氏だよ」 堂々と振る舞ってみせる。 「あんたこそ、誰なんだ?」 俺は努めて冷静に、そしてやや威圧的に訊ねた。 するとストーカー男は怯んだ様子で、 「か、か、関係ないだろ別にっ」 と声を上げた。 「関係ないことはないだろう。ここは彼女の家の前だぞ」 俺はストーカー男に対して毅然とした態度で詰め寄る。 それを受けストーカー男は何を思ったのか、 「し、しょ、勝負だっ! お、おれと桃ちゃんをかけて、しょ、勝負しろっ……!」 声を大にしてわめき立てた。 夜だというのに近所迷惑な奴だ。 「か、勝った方が桃ちゃんを幸せにするんだっ! そ、それで、ま、負けた方が桃ちゃんを諦めるんだっ! い、いいなっ! わ、わかったなっ!」 必死な形相で吠え続けるストーカー男。 言っていることがむちゃくちゃだ。 俺はもういっそ、何も考えずにぶっ飛ばしてしまおうか、そう思うも、いやいや、そんなことをしたらこのストーカー男は間違いなく死んでしまう。 そう思い、考えをあらためる。 いや、たとえ最小限の力で手加減してこいつに勝ったとしてもだ、このストーカー男が岸田さんを本当に諦めるとは限らない。 俺はこれ以上の面倒事はごめんこうむる。 さて、どうするか……。 そこで俺はもし自分が相手の立場ならどうされたら一番嫌かを考えてみた。 するとおのずとやるべきことが見えた気がした。 そして俺はそれを実行することにした。 「おい、あんた」 「な、なんだよっ! お、おれはいつも家で筋トレしてるんだからなっ! こ、こう見えても、す、すごく強いんだからなっ!」 格闘技など一切やったことがないのだろう、ぎこちないファイティングポーズをとってストーカー男は自分を強く見せようとしている。 俺はそんなストーカー男に近寄っていくと、次の瞬間、 「俺は桃さんを愛しているんだ! だからあんたには悪いけど諦めてくれ!」 地面に頭と手と膝をつけ土下座をしてみせた。 ストーカー男は、まさかそんなことをしてくるとは予想していなかったようで、 「な、な、あん、あなあえ、え、えっ……!?」 明らかに狼狽していた。 俺は駄目押しとばかりに、顔を一旦上げてストーカー男の顔を見上げながら「この通りだっ!」とまたも地面に頭をこすりつけた。 「必ず桃さんを幸せにするから、どうか桃さんを諦めてくれっ! 頼むっ!」 夜のとばりに俺の声が響き渡った。 どれくらいの時間そうしていたか――顔を上げてみると、もうそこにはストーカー男の姿はなくなっていた。 「ふぅ……まったく。これでちゃんと諦めてくれるといいけど」 俺は立ち上がると頭についた砂利を払う。 とそこへ、 「木崎さん?」 岸田さんの声が頭上から降ってきた。 見上げると、岸田さんが窓から顔を覗かせている。 「……今の、もしかして聞いてた?」 「聞いてましたし、見てました」 「あー……そう。言っとくけど今のは演技だからね」 俺はつい今しがた自分が言ったことを思い返して、どんどん身体が熱くなっていくのを感じた。 恥ずかしさで顔も真っ赤になっていることだろう。 「わかってます。ありがとうございます」 「うん。わ、わかってるんならいいんだ……」 「でもなんで戦って倒さなかったんですか? 木崎さんなら目をつぶっていても簡単に倒せたはずですけど」 不思議そうな顔で訊ねてくるので、 「ああいうタイプは負けても、というかむしろ負けたら余計に諦めきれずに付きまとってくると思うんだ。なんとなくわかるんだよ。俺もどちらかというと陰キャだからさ」 素直に答えてやった。 すると岸田さんは何かを考えるようなそぶりを見せたあと、 「……わたし、男の人を好きになったことがないって言いましたけど、もしかしたらわたし、木崎さんのことを好きかもしれません」 そんなことを平然と口にする。 「なっ!?」 「ではわたしはこれで。今日はありがとうございました」 それだけ言うと、岸田さんはさっさと顔を引っ込め、窓を閉めてしまった。 一人残された俺はその後も、呆けた顔でしばらくその場に立ち尽くしていたのだが、岸田さんはそんなことはきっと知るまい。
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