魔女のお茶会
第一章④(修羅)

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 リリー=フローレスという魔女について語るのであれば。  人間社会に与えた影響への言及を、避けて通ることはできない。  華茂かもが魔女学校で習った「蒸気」という発明。じつはこれには、リリーが深く関係している。  蒸気を発明したのは人間自身だ。しかし蒸気をもって産業改革を成し遂げるためには、国中に安定した火力を与える必要があった。  それを可能にしたのが、この魔女――リリーである。彼女は圧倒的な火量をもって、ただの島国を世界の一等国に押し上げた。リリーの担当する国の首都では、いたるところに彼女を模した像を見かけることができる。人々は朝昼晩、息をするようにリリーへと尊敬の念を送る。華茂の知る限りではたしか、リリーの国は魔女狩りに反対派のはずだ。  誰よりも人間に貢献し、底なしの魔力を有する希有けうな魔女――。 「遠野とおの、だめだ。今のお前ではフローレスに勝てない」  なのにイアは、眉根を寄せた横顔で言う。  勝てない? 勝つもなにも……華茂がリリーと戦うわけないのに……。  ぬるい風が吹き、そこかしこのやぶをさざめかせる。 「なぜ来た、フローレス。なぜここがわかったんだ」 「これだけの魔力の高まりがあれば、あたしの微睡まどろみを破ることなど必定」 「ばかな……。まだ遠野の魔力はその域に達していない。遠野より魔力をもつ魔女など、この世界アニンのあちこちにいるはずだ!」 「うふっ。力とは、その時点のものだけをさしません」 「そうかお前……魔力の上昇を感知したのか……」  イアは爪をギリッと噛む。 「見逃してくれ、と頼んでもだめだろうな」 「ええ。遠野さんはあたしたちにとって、面倒なリーフスに育ってくれそうですから」 「いい加減、それ、やめないか!!」  半身に構え、下から拳を突き上げるイア。しかしリリーは、射殺すような視線をイアに送るのみ。 「リーフスとかハーバルとか!! 今は魔女同士が一枚岩にならなきゃいけない時だろ。……いや、仮にだ。思想を二つに分けるというのは止められないとしよう。だが実際にぶつかってどうする。お前は魔女の悠久の歴史に、初の汚点を残したんだぞ!」  そこへ――強烈な落雷。  逆光になって、リリーの表情をうかがうことができない。 「メイサはあたしにとって、特別な魔女でございました」  だからただ――、影と化した口元がそうこぼしている。 「メイサはまぎれもなく無実。なのに人間はメイサを焼きました。よく笑い、あたしの手をとって花畑へいざなってくれたメイサを、ただの灰にしてしまったのでございます」 「それは……気の毒なことだと思う。しかしそれで人間を傷つけてどうなる? メイサはお前にそんなことをしてほしいだなんて、望んでいると思うか?」  イアは精いっぱいの力を言葉に込める。――と。影が、揺らいだ。  リリーの唇が、アシンメトリーに歪む。こころなしか首も傾いているように見える。  雷が、不意にやむ。  風が、声を抑える。  リリーのロングドレスは、銀のインゴットがごとく屹立した。  そしてリリーは、五指で顔を隠す。  いたいけに。  ゆるすように。  生きとし生けるものに、お詫びをするように。  ――五指を外し――そこに映ったのは。  修羅しゅら。 「逢魔掃討ジャム・ホルヴァルでございますッッ!!」  リリーが地を蹴ったかと思うと、イアとの距離は瞬く間にゼロに達す。それは上半身から突っこむ、錐状きりじょうの強襲だった。  指はかぎに。立てた爪で、イアの喉を一直線に狙う。イアは咄嗟とっさに自らも手を広げ、両者の指と指は轟音とともに絡み合った。 「ふ、フローレス! 貴様……!!」  歯を食いしばり、押し負けまいとしながらイアが漏らす。 「メイサがどうですって? 望むに決まっているでございましょう? あたしに人間を皆殺しにしてほしいと! あたしに一生をかけて復習を遂げてほしいと! 絢爛けんらんなる天上の国より望んでございましょうよ!!」 「遠野、に、逃げ、」  言い終わりを待たず、リリーの蹴りがイアの横腹に炸裂。イアは血泡けっぽうを吐き、地擦じずりに吹き飛ばされた。トーン、と軽やかな片足のステップはリリー。入り身転身、またも疾風のごときはやさでイアを追撃する。 『時の流れを示すユース首魁デルボルンと化し、運命を簒奪さんだつせよ――』  手のひらの上に複数の炎弾が現出、リリーは肩を鋭くひねることにより、イアの落着点に炎弾をつるべ落としに放った。大地に火柱が立ち、土塊つちくれが舞い上がる。 「イア師匠!!」  叫ぶ華茂の前に、ブオン、とリリーの実像が生じた。瞳に、炎が宿っている。 「あたしは静寂を好むのでございます――」  こめかみ付近を平手で払われる。  ただ、それだけの仕草で視界は暗転した。刹那せつなにして訪れた景色は、うなる闇雲、木々の群れ――滝煙たきげむり。全てが、激しく円を描いている。  ゴバッ、と鈍い音とともに華茂は滝壺に着水。よもや水と接触したとは思えない音。背骨が悲鳴を上げた。皮膚が破れたかと思った。四肢に力は入らない。  だけど、このままじゃ。 「プハッ!」  無理に息を吹き出し、身体を縦にする。岩陰の向こうから異常な熱波が回折かいせきしてくる。イア、イアはどうなった。イアが危ない。 「だ、だめですっ!!」  水面に拳の側面を叩きつける。すると拳が水を弾く感覚を覚えた。水の中に取りこまれていくのではない。自分の力は明らかに、異質な物質を押しのけている。 「えっ」  その勢いを得て、飛翔。  濡れた身体から水分が抜けていく。無数の大粒が、華茂から雨のように降って落ちた。  眼前。俯瞰ふかんした景色が広がる。昼間だというのに夜の底に似た、深い闇。地の果てには薄らと晴れ間が見える。落雷が、上手に華茂の身体をかわしていく。  空中で二回転だ。直ちに透明な羽根がこぼれていく。地面への接近が加速度を増す。奥歯を強く噛んで、脚を伸ばした。  ズダッ! 膝を曲げて前傾へ。ごろごろごろと転がり、立ち上がったところはまさに灼熱地獄の爆心地であった。リリーが、ゆっくりとこちらを振り向く。 「あなた、いつの間に」  ゲホッ、ゲホッ、と咳きこむ。喉を手で押さえたまま上目で睨むと、そこには驚愕きょうがくの面持ちをしたリリーの姿があった。 「おかしいわ。あなたの魔力では、あの一撃で終わったはずでございます」 「終わってないから、ここに……ゲホッ! いるんですけど?」 「では、効率的ではございませんが、もう一度終わりましょうか」 「あなた、敵、なんですね」  ――どうする。  どうやってこの強大な魔女を倒せばいい?  さっきの攻撃は致命的だった。イアは無事なのか。少なくとも、相手が死んでもおかしくない振る舞いを、この魔女はやったのだ。  では、ここぞ華茂のけんほう。華茂は腰だめに構える。さっきの拳の威力……は、イアが開花させてくれた能力だったのだろう。だったらあれをぶちこむしかない。拳でも、あるいは蹴りでもかまわない。リリーをこちらの射程圏に誘いこむ。そして、邀撃ようげきだ。  しかし決意する華茂の頬を、すずろ風が撫でた。  わずかに斜をなす山肌の向こう、一陣の風が、炎の壁を左右に開けていく。 「……師匠」  煤だらけになり、片目を閉じている。前髪から、血が滴り落ちる。  だがたしかにイアは生きている。 『チースを彷徨う者を捉えたら、時津の風に感謝せよ。チースを汚す者を崩したならば、旅ゆく薫風くんぷうに剣を贈るべし――』  イアが腕を八の字に操る。周囲の風は、一点を目指して吸いこまれていく。  これは魔法学校で華茂がイアに師事していた時、一度だけ見せてもらったことがある。  イアの、一射絶命いっしゃぜつめいの秘技。  そういえばいつだったか、つばめと語ったことがある。  大魔女イア=ティーナと、同じく大魔女、リリー=フローレス。  もしも戦えばどちらが勝つだろうか、と。  それは神々の決戦のごとく夢のような話ではあったのだけど、燕はたしかにこう言っていたはず。  力強く。そして、自信に満ちた声で。 (イア師匠に決まっているでしょう)と。 『突き刺せ時空ソルエ――――――――――ッッッ!!!!!!』  風が刃となった。それは、触れる者全てを切り裂くであろう、鋭利な刃。  その風が通り過ぎると、一泊を置いて、樹木の幹に、ザン! ザン! ザン! と爪痕が走った。ジグザグの傷がこう告げている。(笑いなさい。心地よい風の中で最期を迎えられることを。そしてゆっくりと瞳を閉じなさい)と。  轟音が――やむ。  心臓の位置から、粘性のある血がこぼれていく。  命を、少しずつ、少しずつ、元いた自然へと還していく。 「…………!!」  身体に風穴を開けたのは。  イアの、方だった。

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