教室の中が、ざわめいていた。 皆、隣同士の生徒となにやら話し合いをしている。中には、椅子に後ろ向きに座りグループで意見を出し合う人たちもいる。 魔女、ロール=オブ=マロンも同じく、クラスメイトと机をくっつけてディスカッションに参加していた。 ホームルームで議決を求められているのは、文化祭での出しものについてだ。今のところモンスターハウスが有力。だけどミュージカルをやりたいという一派もいる。どっちがいいのかどっちでいくのか。マロンのクラスは今、大統領選の投票日前日のような賑わいを見せていた。 「モンスターハウスがいいよ。みんなモンスターに変身できるんだぜ? こんな機会はそうそうないと思うなぁ」 「あら。それならミュージカルでも衣装を選ぶじゃない。同じことでしょ」 「同じじゃないよ! それは結局人間が着る服に過ぎないじゃないか!」 「ノーウェイ。中世の人間はもはや、私たちからしたら宇宙人ではないかしら」 侃々諤々、喧々囂々。 で。その中、マロンはなにを考えていたかというと。 「ねえ、エミリー。帰り道にドーナツ食べにいかない?」 「……あのねえ、マロン。この議題が終わらないとあたしたちは帰れないの。アンダスタン?」 「アンダスタン! それよりキネトスコープって知ってる? 写真が動くのよ。うち、観てみたいなー。みたいなー」 「はあ……。あなたにも一票の権利があることを、あたしはとても残念に思うわ」 マロンは頬を膨らませ、ぶーたれる。 なんだいなんだい。モンスターやるならドワーフがいいわ。なんかかっこいいし。ミュージカルやるなら学校フケる。で、水着でお客を呼びこんでやりたい。ラララ~~なんて歌ってる奴らより一番目立ってやるんだから! その方が……ニシシシ……面白いもん。 「さて、そろそろ決をとろうか!」 クラスの委員長ケビンがすらりと片手を挙げる。クラス中の喧噪は潮の引いたように静まり、それぞれ投票カードにやりたいことを書き始めた。 なんだぁー、こりゃー。 マロンは机に肘をつき、手の上に顎を乗せる。 このままだとたぶんモンスターハウスに決まる。つまりは多数決。なんか面白くない。なにかみんなをびっくりさせるような提案はないだろうか。 ……ん。 そうだ! 「はいはいはいはいはいはいはいはい!!」 マロンは(自分ではチャームポイントと思っている)長い犬歯を輝かせ、勢いよく席を立つ。みんなの視線がマロンに集まった。そうそう。そうこなくっちゃ。 「モンスターが出演するミュージカルとかどうですかー。そういうの観たことないからお客さんも喜ぶと思うんですけどー?」 ……静寂。 静寂。静寂。静寂。 あらら、これ。すべっちゃったかな? と、思いきや。ケビンが爽やかな笑みで大きく拍手を打った。 その拍手は一人、二人と巻きこんでいき、やがて教室は拍手のオーケストラに包まれた。 「すばらしい、マロンくん! さすがはマロンくんだ。みんな、彼女の案でどうだ?」 ケビンが教室中を眺め回すと、みんな笑顔で「異議なし!」と言った。 をを……冗談のつもりだったのに通っちゃったよ、マイ案。 照れ顔で後頭部を掻いていると、ケビンがコホンと咳をした。 「だけどマロンくんには過ちが一つある」 「え、なにぃ?」 「その服装だ。きみの服装は校則違反だ」 ……はあん? マロンは大きく胸元が開くように改造した赤いセーラー服を着ている。さっき立ち上がる時、椅子に片脚をかけたから下着も見えちゃったような気がする。 だけど、なに? みんなはよくそんなことでマロンに注意をしてくれるけど、肌や下着が見えたからって不都合なことでもあるの? こっちの方が、絶対かわいいじゃん! 「しかしクラスの禍根はマロンくんの発案によって絶たれた! みんな、わがクラスを救ってくれたキュートな魔女に、もう一度拍手だ!」 うおおおー!! ピィーピィー!! と口笛混じりに拍手の渦がわき起こる。なんか、ごまかされた気もするけど……まあいいっか! ケビンはマロンに向けて、軽いウインクを一つ。 彼の優しそうで整った顔を見ていると、なんだかマロンの胸がきゅんと締めつけられた。 マロンは犬歯を露わにして腰に手を置き、えへん、と鼻息を吐いたのであった。 放課後。マロンはケビンと一緒にメインストリートを歩いていた。 しばらく前までは、乗り物といえば馬車くらいしかなかったのに、いつの間にか自動車や路面電車があちこちを走っている。もちろん、馬車からも馬の低い鼻息が聞こえる。人間たちは今、まだ見ぬ世界に向かって突き進んでいるのかもしれない。空を隠すように電車の高架線が伸びている。わずかに漏れる空冥の光を目に受けて、マロンは思わず手のひらをかざした。 数十階建てのビルが並ぶ中、ケビンはいくつかの路地を縫い、バフ色をした建物へとマロンを先導してくれた。そこかしこに黒ずみが目立っている。古い、というか、誰も使わなくなって手入れが失われてしまったようなレンガ壁だ。 「やぁ、みんな。お待たせ!」 ケビンがドアを開けると、そこには六組くらいのラウンドテーブルがあった。それぞれに男子学生とおぼしき人たちが座っている。部屋の照度は低く、三つの白熱球でようやくフロアの明かりを保っているというような状態だった。 「こんにちはー、マロンで~~す!」 上半身を前に倒して、手をふりふり。 今日はドーナツ食べたいという欲求を我慢してまで、ケビンについて来てやったのだ。ダンスカフェでパーティーがあるのだけど、一緒に行く相手がいないのだと。仕方ないわねー。いつも学校で良くしてもらっているのだし、このくらいは助けてあげないと。いやその、別に望んではいないんだけどね? 誰も、ケビンと踊りたいなんて……その……。 「……ん?」 そこで、マロンの笑顔が張り付いた。 おかしいな。 カップルで参加できるパーティーのはずなのに、フロアには男子しかいない。女の子は後で来るっていうことかなぁ? 「やぁ」 テーブルに座っているいかつそうな男子が手を挙げたので、マロンも「いえーい!」とブイサインをしてみる。 だけどまた、沈黙。 なんかやりづらくてもじもじしていると、その男子はくふふふ、と笑った。 「ケビン、かわいいコじゃん」 「だろ? うちの学校で一番かわいいと思うよ」 え――――っ!? まじ、まじ、まじっすか! 「いいおっぱいしてるな。服もエロい」 「たぶん本人もエロいんだと思うよ」 「ああ、じゃあ今日は合意ってわけ」 「ん~~、そう、ではないんだけど。まあいいんじゃない?」 …………。 …………ん? なにか今、変な言葉が聞こえたぞ? おっぱい? エロい? 「俺、ちょっと巻き髪入ってんの好きなんだよな」 「いや、やっぱりふとももだろー。このコのふともも、ぷにぷにしててめっちゃいい!」 「ケビン、今日はいつもより多めに払っていいぜ!」 男子たちが下卑た笑いを合わせて盛り上がっている。 いや、まさか、と、思うけれど……。 後ずさりをしたマロンの背中が、ケビンにぶつかった。 「け、ケビン?」 「んー?」 ケビン、驚かせるのはもうやめてよ。こういうの怖いんだから。まじで勘弁して。そう思ってじっとケビンの顔を見つめていると――、ケビンは、薄く笑った。 「だいじょうぶ。たくさんドーナツ買えるからね」 そのひとことが合図だった。 男子たちがぞろりと立ち上がり、早歩きでマロンに近づいてくる。最初に手首を掴まれた。腕を絡めとられ、受けた体重のまま地面に転がされる。呼吸は止まっていた。腕、胸、ふともも、足首……身体の各所は、すべからく誰かに掴まれている。 「ちょ、ちょっと……!!」 「じゃあ、早速いくぞー!」 と言った男子が、マロンの制服の胸元に力を入れた。あっけなく破れ、マロンの下着が露わになる。慣れない裁縫。みんなにかわいいと思ってもらいたくて、何度針で指を刺しても頑張ったのに。 マロンの黒い下着に男子たちの視線が集中する。 この時まで、マロンは肌を見られることに嫌悪感を覚えたことはなかった。胸を見られるのも髪の毛を見られるのも、身体の部分を見られていることに違いはない。だったら女子たちはみんな、どうして胸や下半身を見られることを恥ずかしがるのだろう。下着なんかはなおさらだ。そんなふうに、思っていた。 だけど違った。 なにかが、違った。 ひたすらに漂う不明感。この人たちは今からなにをしようとしているの? 胸を乱暴に揉まれる。股の間に手を入れられる。 どうして、どうして。 こんなことをして、なんの得があるというのだろう? 「やめてよっ!!」 パアンッ――――!! ……じょう、だん? じゃ、ない。 男子が、マロンの頬を張った。だんだんと熱くなり、やがてヒリヒリとした痛みをしたがえてくる左の頬。今日初めて会ったばかりの知らない男子に、殴られた。なにも、悪いことなんてしてないのに。 「うっ……うっ……」 ひたすらに屈辱だから我慢していたのに、涙があふれてきた。 天井の方を向いた目尻はその水分を受けきれず、ついに、こめかみの方へと涙が流れていく。鼻がヒクヒクとなった。歯茎が緩む。 そこで、身体中の力が抜けた。 「やろうぜやろうぜ!!」 「スカート脱がしていいか!?」 それらの声は、どこか遠くで聞こえた気がした。 マロンの唇は、静かに言葉を探し出す。 (森の薫風に誘われ、旅人たちは靴を新たにした――) 誰かがマロンのほっぺを触る。 誰かが、スラックスを脱ぎ始めている。 (樹幹と梢、漏れ来る光。貴方に光を捧げよう。鎌風とともに――) その時、ケビンのひくつく顔が、視界の端に映った。 「うっ、いけない!! みんな、離れ――」 『円環フラッシュライトォォォォォ――――――――――ッッッ!!!!!!』 いくつかの空間が、カットされた。 その空間は速度を有して射出。男子たちが悲鳴のひと文字目を発すると同時に、フロアにあるグラス、テーブル、小麦袋をありとあらゆる角度から切り裂いていった。 斬り殺し――。 男子たちの肩、頬、首、腕、脚などに切傷を入れた風の刃はそのまま、一室の壁へと突き刺さる。 ザン!! ザスン!! ザン!! ザン!! マロンの発した刃は次々に壁を破壊し、爆着とともに土煙を舞い上がらせた。 その煙の中、ゆっくりとマロンは立ち上がる。 野太く、間抜けな呻き声。 マロンは半裸と化したわが身を見て、だらりと頭を落とす。 そこで入口の扉がゆっくりと開いた。 太陽の光の中、孤影が映る。 「マロン。バッドラックだった。わね」 影が近づく。やがてその容姿が明らかになってくる。 地面にザザザと音を立てるほどの、長いローブ。透明感のあるセミロング。常に見下すような視線を擁したこいつは……マロンの魔女学校の同級生、エントレス=チャーミだ。 「ちゃ、チャーミ? なんでここに?」 「アナタの魔力に。紐を張っておいた。のよ。人間の学校に溶けこんでいるはずのアナタが。魔法を使ったら。すぐに空間転送できる。ように」 やはりこの変な話し方は、まごうことなきチャーミ本人にほかならない。 チャーミは足下で呻く男子の腹を一つ蹴飛ばし、片目を開いて言った。 「なんとなく。状況はわかったわ。アナタはもう。人間を信じるのをやめなさい?」 「別に、信じてるとか、そういうのじゃないけど」 「人間など。所詮、こんなもの。なのよ」 「こいつら、うちになにをしようとしてたの……?」 「そりゃ。性交よ」 「せいこう……?」 「授業をよく休んでいたマロンには。わからないわね。ちゃんと。出ていたらよかった。のにね」 「…………」 それから、チャーミは教えてくれた。 リーフスとハーバルが逢魔掃討に至ったこと。 そしてチャーミはハーバルに所属していて、マロンの協力を必要としていること。 チャーミとは魔女学校の同級生だったが、彼女との間にあまりいい思い出はない。基本的にマロンがふざける側で、チャーミのランチからおかずを頂戴することもしばしばだった。その都度チャーミは静かに怒っているようだったが、マロンからすればそんな些細なことで怒るチャーミのことを過敏だとすら思っていたのだ。 マロンはメイサの事件の報を受け、人間に対して憎悪を感じた。だけどあれは、人間の方にも言い分があると考えるようにしたのだ。皇太子ファルクが謎の死を遂げた。だから魔女を疑い、焼き殺した。それは人間がファルクを慕っていた証拠であると。そう思うようにしたのだ。 だからマロンは人間の本当の姿を知りたくて、ハイスクールに通った。友達はみんないい奴らだった。マロンが魔女だからと差別せず、それどころから新しいファッションや遊びを教えてくれたりしたものだった。そこに演技があったとは思わない。 しかし……。 「ぐうう……悪魔……悪魔め……」 「壁に傷をつけやがるなんて……クソ悪魔め……」 さっきまでマロンを襲おうとしていた男子たちは、マロンのことを『悪魔』と呼ぶ。ダンスパーティーでみんなと遊ぼうと思っていただけの、マロンのことを。 しばし言葉を失っていると、チャーミがケビンの前へと近づいた。ケビンも側頭部をやられたようで、頭を押さえる手の隙間からは血液が漏れている。 「いい。こと。教えてあげるわ。マロンは今。壁に傷をつけたんじゃないの。壁を全て。破壊して。いるのよ……ウフフフ」 「そん、な。じゃあ……もしかして……」 「いけすかない魔女。だけどね。彼女の刃は。本物なのよぅ……」 そして、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――、と振動が始まった。 地震ではない。ビル全体が揺れている。マロンの魔法は壁の向こうまで切り裂いており、支えをなくしたビルはまさに今、崩壊せんと蠢動しているのだ。 「うう……」 「あ、あ……」 男子たちは逃げようにも、腰が立たないようだ。 「ウーフフフフフフ!! 無様は。美しい!! 博物館の目玉に。なるわ!!」 そこでマロンは――、両腕を広げ――、 指先を、しなやかにくねらせる。 『風閉――』 マロンの指から風が生じ、それらの風は壁の切れ目へと向かう。ズタズタになった壁は、風のひと吹きひと吹きが織りなす回復魔法により、元のように接着していった。 チャーミは残念そうな顔をして、ため息を一つ。 「なんで?」 その問いには答えない。マロンはケビンに寄り、辞書三冊分の厚さほどの距離に顔を合わせる。 ケビン。 (うちは、おめーのことを、悪く思ってなかった) ケビン。 (いつもうちを褒めてくれて……嬉しかった) ケビン……。 (だからこれは、うちの最後の、お礼なの) ケビンは眼球を震えさせたまま、ずっとマロンの顔を見ていた。 「で、どこに行けばいいの?」 チャーミに訊く。まずはチャーミたちの狙いというものを詳しく知りたい。そのためにはまず、彼女について行く必要がある。 「そうね。じゃあ一緒に。レティシア=アルエという魔女を。探してほしいの」 「レティシア=アルエ?」 「行き道で。話すわ。ウフフフフ――」 「……相変わらず不気味だねー。ま、別にいいんだけど」 「あたしからすれば。アナタのその淫らな格好の方が。気になるけれど」 「うっせーな」 「唇に。人差し指を」 マロンは決めた。 次にこいつと食事をとる機会があれば、必ずおかずをスティールしてやろうと。 ――メインストリート。 次の時代を探し、荒波にもがく人間たちの街を、二人の魔女が闊歩する。
コメントはまだありません