その日は、瞬きをたくさん集めたような快晴だった。 いつもは落ち着いた庶民性をたくわえた郊外の町に、黒山がなされている。今日のお祭り『旅立ちの音楽祭』はこの国でも有名なようで、遠方からもスマイルに満ちた人々が訪れた。市役所通りでは、楽器、楽器、また楽器が、そこかしこに並んでいる。 ギター、フルート、縦笛からドラムスまで。 まったく違う音色と音階が入り乱れているこの空間は、初見だと混乱してしまう。だけど耳の肥えたこの地の民なら聴き分けることができるだろう――という趣旨のもと、まさにおもちゃ箱をひっくり返したような賑やかさが広がっていた。 だけどその人混みが、華茂にとっては苦しいやらありがたいやら。 「華茂、ぜっ――たいに! 手を離してはいけませんからね!」 「う、うん……むぎゅ……燕さ……ぎゅうう……いたたた!」 アルエを探し、ズンズンと突き進む燕。だけどこうやって合法的に手を繋げるというのはちょっと嬉しい。 しかし、すごい人だ。人、人、人。ジャングルを高速で突っ切る時の風景のように、入れ替わり立ち替わり人の顔が左右に分かれていく。 ていうか、燕は探す場所を間違っているんじゃないかな? あの大人しそうなアルエが市役所通りの中心部――駅前のロータリーにやって来るとは思えない。当初は人混みに紛れて燕の身体に密着する愚か者が現れるのではないかと気を張っていたが、この町の人たちは庶民であっても存外芸術的らしく、みんな単純に音楽をたのしんでいるようだった。 「いませんねぇ。華茂、どうですか?」 「うぎゅうう……! いないいない! いないけど痛い!」 ジャララン、ジャラーン。 ぴーぷーぷおー。 ズンタカズンタカ、ダダダダダダ、バーン! パチパチパチパチ!(トレビアーン!) なんだかもうわけがわからず、脳内が虹色になってきたところでようやく中心部を抜けることができた。消防署の脇を抜けて7番通り――横道へと入る。そこでも何人かの演者がリズムよく首を振っていたが、さっきの状態と比べるとまるで極楽だった。 でも、どさくさに紛れて燕の手は離さないのだ。てへぺろ。 ――って。 だめだめ。この前自分と約束したばかりじゃないか。けして燕を不幸にしてはならないのだ。そのためならもう一度喧噪に飛びこむことだってやぶさかではない。お祭りの取材用にやって来た飛行船をぐいと見上げ、決意を新たにする。 燕さん、今度は駅前で止まって見てみよう――そう言いかけた瞬間、 「ばあっ!!」 「ぎゃひいぃぃぃぃ――――っ!?」 なんと突然、前の前に老人男性の顔があった。 「華茂!? どうしたの!」 焦る燕を見ながら、老人は「やっひゃっひゃひゃ!」と笑った。薄くなった頭髪をツンツンに尖らせたこの老人に邪気はない。どうやら悪い人間ではないらしい。だけど、あまりにびっくりして燕と手を離してしまったのは失態だった。うーん……もう。 「あんたら、外国の人だな?」 「うん。やっぱりわかる?」 「そりゃそうさ! 変な格好しているからな!」 「へ、変……。わたし!? ほんとに?」 華茂が自分の白装束と袴をチェックすると、老人はまたくつくつと喉を鳴らした。 「しかしここの祭りはどうだね。あんたらには合わなかったかね」 「まあ……お祭りに参加するっていうか、人を探しに来たんだけどね」 「華茂っ!!」 むぐっ、と口を手で押さえられる。燕の指は、細く長い。 「やっひゃっひゃ。なにか事情があるようだな。ところでおれを見てなにも感じないのかい?」 「むぐぐぐ……なにも感じない……って?」 「ほら、めちゃくちゃ男前だ! とかさ!」 燕と二人、ぴしりと固まり。 大爆笑。老人も目を細めて首を振る。ああ、この老人はきっと、不穏な雰囲気を取り除こうと思ってくれたのだろう。 「まあ、こんなじじいでよければ話してくれよ。おれも、ああいう騒がしいところにはもう入っていけなくてね」 人当たりのよい笑みを浮かべ、老人は親指で人混みを差した。 もしかしたら、この老人からなにかヒントを得られるかもしれない。この老人はおそらく地元の人間だ。アルエのことを知っているのなら、老人の言葉からアルエの考えや行動を紐解くことができる可能性は十分にある。 そう考えた華茂は燕と相談し、老人にアルエのことをたずねてみることにした。ただし自分とアルエが魔女であるとは告げない。あくまで、かつての友人を探しにきたが無碍な対応を受けたということにしておく。 話が終わると、老人は軽くしわぶいた。 「悪く思ってほしくないんだけどな、そりゃもう、諦めたらどうだい」 「え……なんで?」 「人間っていうのはな、環境によって変わってしまうところがあるもんなんだよ。この町に住みだした友達は、もう昔の友達じゃないかもしれん。あまりしつこくして、いっそう嫌われても仕方ないだろう」 「でも、そういうわけには、」 「機を待つんだよ。機を、な」 華茂の言いかけを、老人は強く遮った。 いやまあ、たしかに突破口を見つけられているわけじゃない。今アルエと再会したとして、彼女の心を動かせる言葉を準備しているわけでもない。それでも、少なくともアルエの思いを聞かないことには、引くに引けないわけで。 華茂が考えこんでいると、老人の口が軽く開いた。 「おい、あれじゃないのか?」 「え?」 老人が顎で示す先に視線を向けると、そこには金色の髪をした女の子と楽しそうに歩くアルエの姿があった。 「つ、燕さん……」 「行きましょう、華茂」 素早く上半身をひるがえす――が、二人の袴を老人がぎゅっと掴んだ。 「うわっ!」 「きゃっ!!」 「――待て」 老人の声が、低く、重いものへと変わる。 「見てみろ。あれは、新しい友達と祭りを楽しんでるんじゃないのか? ほら、花屋の前で止まった。マリーゴールドを吟味しているぞ」 たしかに老人の言うとおりだった。 アルエの表情が華やいでいる。隣の、布地の少ない制服を着た女子も犬歯をのぞかせて笑っている。とても仲良しの二人に見えた。あれが、アルエがこの町で見つけた、たいせつなこと――。 華茂は、ふいと燕の様子を確かめる。 燕は熱いスープに口をつける直前のような、微妙な表情をしていた。 「燕さん、行こう」 華茂は強く言った。 「レティシアさんはこの町で幸せに暮らしているのかもしれない。だけどわたしたちは、そのたいせつなものを護るために旅に出たんじゃなかった? だったらちゃんと話をしよう。一度で諦めるなんて、わたしたちらしくないじゃない」 手を繋ごうとして……、 繋げなくて。 「…………はい!」 だけど、心の手は、たしかに繋げた。 老人には一つうなずき、アルエのところに急げばいいだろう。 すると老人はなにか感づいたのか、二人の袴から手を離してくれた。 「なぁ、行く前に。訊いて。いいか?」 「え?」 「おれを。見て。なにも感じないの。かい?」 老人はおもむろに、手のひらを自らの顔面へと寄せる。 「魔力を。感知する力は。なかったのね。ひたすら。幸運」 そして手のひらが顔の上を通り過ぎると、老人の顔は洒脱な女性のものへと変わっていた。桃色の唇。杏の形をした、瞳。 「ばあ」 刹那――。 閃光、迅る。
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