魔女のお茶会
第一章⑧(小さな幸せ)

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 華茂かもの足にはもう、力が入らない。  普通に立っていることもできず、そのまま眠りに落ちてしまいたかった。 「おっと」  そう言って肩を絡めてきたのは、ライラだった。 「あなたはほんとによく戦ったと思うよ。それっ――」  先ほどつばめにかざしていた青い光が、華茂の肩口にも当てられる。途端に、肩が楽になった。ライラの腕をほどき、自らの足で踏ん張ってみる。肩をちょっと動かしてみようと試みると、腕はグルグルグルと楽に円を描いた。 「これ、まさか、回復魔法ですか……?」 「うん。まあいちおう、ライラの得意なやつ」  自分のことを名前で呼ぶライラという魔女は、あっけらかんと笑う。  しかしだ。  回復魔法――。  華茂は思い出す。村の子供たちが『魔女ごっこ』をしている時のことを。  子供たちは攻撃魔法(っぽいもの)を撃つ練習をしていたが、回復魔法も当たり前のように使っていた。まあ、そういう設定だった。  だが華茂は知っている。物にダメージを与える攻撃魔法より、物をかつての状態に戻す回復魔法の方が何十倍も難しいということを。魔女学校でも、回復魔法の授業を受けられたのはほんのひと握りの魔女だけだった。 「あなた何者なんですか?」 「とりあえずライラはリーフスだから安心しな。それからほかのこともお茶会で全部教えてあげるから。さ、行こ行こ」  そんなこと、言われても。  華茂はもう一度、周囲の草むらに目をやった。  どこかに――どこかにイアが倒れているかもしれないと、思って。 「イアさんはもう、いないよ」  華茂の心を読んだのか、ライラが簡単そうに言ってくる。その言い方に、華茂の中でこらえられないものが生じた。 「……あなた、悲しくないんですか」 「まあ、仕方がないことだよ」 「仕方がない、なんて……そんな、ふうに……」 「これからもっと厳しくなるよ。悲しんでる暇なんか、ない」  華茂は、静かにライラを睨む。ボーダーのTシャツにハーネスベルト。黒いスカートにニーソックスという装いは、明らかに異国を担当している魔女であると感じられる。  華茂はライラのベルトを、ぐっとつかんだ。  彼女に恨みがあるわけではないけれど、どうしてもやりきれない思いがあったから。 「華茂、やめてください!!」  横を向く。立ち上がった燕が、両方の拳を胸の前で構えていた。 「燕、さん……」 「華茂、これは異常事態なのですよ。ティーナさんがここにいることも変ですし、リリーさんが現れたのだっておかしい。どうして大魔女が、二人も……」 「燕さんは悲しく、ないの?」 「悲しいですよ……」  燕の鼻がヒクヒクと動き、やがて、理知的な瞳は水分をたくわえていく。 「でも、華茂がこの先危険な目に遭うのが一番悲しいです。もしライラさんがこの異常の意味をご存じだというのなら、私たちは、ついて行かなければ……なりません」  燕の目から大粒の涙がこぼれる。  華茂はよたよたと燕に寄り、そして、燕を強く抱き締めた。 「燕さん、燕さん、燕さん。わたし、悲しいよぉぉぉぅぅ……」 「うん、うん。私も悲しい。悲しいですよぅぅぅぅ……」  二人で、抱き締め合った。涙をぼろぼろと流した。顔がくちゃくちゃになってもかまわない。ただただ抱き締め合った。身体を、できる限り一つに近づけようと。太陽の光が天使の梯子はしごをつくり、華茂たちを輝かせる。子供みたいに、わんわん泣いた。馬鹿みたいだった。馬鹿みたいでよかった。ずっとずっと泣いた。わんわん泣いた。  やがて気持ちのよい風が吹いてきて、華茂の頬を乾かせた。華茂は燕と、そっと身体を離す。それまでずっと、ライラも弥助やすけたちも黙って華茂たちを見守っていてくれたようだ。華茂の目はもう、決意を秘めたものに変わっていた。  ライラは儚げに笑い、「ライラ、そういうの、好きだよ」と言った。  ライラによると、お茶会は惑星アニンの遙か上空、宇宙空間との境目で行うらしい。華茂は魔力で燕に劣るため、お茶会に出席するのはいつも燕の役目だった。まさか自分がお茶会に出席できるなんて、今が緊急時だということをかんがみても信じられない。 「みんなにお別れの挨拶をしときなよ」  ライラはそう、助言した。 「お別れ?」 「うん。しばらく帰ってこられないし、これからのことを考えたら何十年もかかるかもだし」  ライラの声は真剣だ。つまりお茶会を行った先、華茂はなにかの役割を担うことになるのだろう。華茂は、弥助たちの方を振り返った。 「華茂ねーちゃん、お別れなの?」  弥助の眉毛も髪も、白髪の方が断然多い。おでこには皺が目立つ。華茂は、かつてつやつやとした肌でまきを割っていた弥助の姿を思い出した。 (あなたね、最近わたしのおしり触るのなんで?) (いや、なんとなく……) (次やったらゲンコツだからね!!)  ゲンコツを入れる振りをすると、弥助が頭を抱えるものだから笑った。二人で笑いながら薪を割って、割った薪に火を入れた。いいやつだった。とっくに過ぎた日々だというのに、あの時の弥助も今ここにいる弥助も同一人物だと信じられて仕方がない。こいつは弥助。いつも失敗ばかりしてしまう華茂とたくさん遊んでくれた、弥助なのだ。  華茂は弥助の背中に腕を回した。それは骨の目立つ、背中だった。 「絶対、帰ってくるからね」 「うん」  そして華茂は、弥助の手のひらを肩甲骨の下で感じる。 「僕はここで、やっちゃんと一緒に待ってるから」 「うん」  やっちゃん。……そう、八千代やちよという娘だった。弥助の初恋の少女だ。  村に妙な疫病が流行った年、八千代はその病に感染した。だんだん痩せ細り、何度も血を吐き、最後は隔離された場所で死んでいった。  皆はその八千代のいる小屋に近づかなかった。だけど彼女がこの世を去る日まで小屋に通い続けたのが、この弥助だった。弥助は結局感染せず、その時の勇気を認められ寄り合いでは重要な地位に就くことができたのだ。弥助は毎年、ではない、毎日八千代の墓を護り続けている。きれいに、ぴかぴかに。八千代の愛らしい笑顔が、いつまでもそこにあるようにと。弥助は今も、独身のままだ。 「行くぜ――」  ライラが人差し指をくいと曲げると、華茂の身体が浮き出した。慌てて、弥助の身体を離す。弥助は最後に華茂のおしりにタッチしてきた。 「このやろー、帰ってきたらゲンコツだからね!!」  弥助が、ばいばい、と手を振る。  その姿が、すぐに飴玉のように小さくなっていく。  村の全景が見えた。それは山に囲まれた、田舎の集落だった。  遠野とおの華茂かも、十九歳の頃。魔女学校を卒業し、担当として割り当てられたのは、このなにもない村だった。それでもワクワクした。一人前の魔女として、この村からけがれを払っていこうと。山や野、そして風の全てから始まりの香りを感じたものだった。  それから色んなことがあった。偉い侍が落ち延びてきたことから戦に巻きこまれたこともある。大きな火事もあった。たくさんの誕生と死を見てきた。だけど、どんな辛い人生の中にも、小さな幸せはたしかにきらめいていたのだ。だから華茂は人間が好きだった。いつまでも元気なままでいられた。そんな自分もやはり、幸せな一人であったのだ。 「しかし、フローレスさんの技を盗むってすごいな」  飛びながら、ライラが華茂を褒めてくる。風が、だんだんと冷たくなる。 「わたし、盗んでなんかいませんよ? リリーさんは自分の魔法を受けただけです」 「そうじゃない。攻撃魔法が自分に返ってくるなんてありえない。なにをやったかはよくわからないけど、あれはたしかにフローレスさんの魔法だったよ」  そうなのだろうか……。  あの時は頭に血が上っていたので、よく覚えていない。  華茂たちはさらにさらに、そらへと近づく。島で構成された国の形を臨んだ。華茂の暮らしていた国はこういう形をしていたのか。でも、そうだったような気がする。華茂は211年前の記憶をたどり、一人で納得した。 「あ、もうちょいかかるから。これ読んどいてちょうだいー」  ブオンと音を立てて、いくつかの長方形と顔が描かれた映像が華茂の前に現れる。上部に書かれた説明によると、長方形の高さは魔力の強さを表しているらしい。  指で触ると、画面が動いた。なるほどこれ、魔女たちの魔力を順番に並べたものだ。ざっと見て、感覚的に千人分くらいのデータが集まっている。魔女の数はもっともっと多いはずだから、ライラが集めることのできた分だけ、ということなのだろう。  ちょうど上位五分の一くらいのところに、燕の美麗な顔があった。燕の方をチラリ見る。燕は恥ずかしそうに笑っていた。さすがは燕。で、自分は?  残念ながら華茂の顔は下位十分の一以下のところに記されていた。いやー、まあそうだよね。わかっちゃいるけど……わかっちゃいるけど……なんだかビミョー。  悔しいから、興味本位で上位の魔女を調べてみる。第二位にイア、第三位にリリーの引き締まった顔が。ていうか、華茂はほんとにこの魔女に勝ったのだろうか? そりゃ、魔力だけで勝負は決しないのだろうけど……とはいえ、信じられない。  そして、一位。  そこには、眠そうな顔をした金髪碧眼きんぱつへきがんの魔女が映されていた。画像を見る限り、とても長そうな髪の毛。だけど髪質は整っていて、荒れたところが一つも見当たらない。 「見つけた? その子が、レティシア=アルエだよ」  ライラが風塊ふうかいを吹き飛ばしながら、華茂に教えてくれる。 「まだ、十八歳の魔女」  …………え。  目を凝らし、もう一度画像を見てみる。  やはり眠そうにした、幼げな顔がそこにあった。

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