腕が勝手に動いた。リリーの腹部に拳をねじこむ。「う、ぷっ」と声が聞こえた。知らない知らない知らない。そんなものは知らない。 砂の嵐を抜け出す。リリーが距離をとるように遁走の飛行を開始していた。高速で。それはもう、音の速さをも超えていくほどに。 逃がさない。 …………。 逃がさないッッ!!!! 「勝負だ、リリーさん!!!!」 腕を横一線に振る。 たちまちに生じたるは、風の刃。それらが自動追尾となってリリーに襲いかかる。 腕をクロスして防ごうとするリリー。その両腕から、鮮血が舞い上がった。 (お、おめー。それは、うちの魔法じゃんか!!) えらく楽しそうな、明るい声が聞こえた。 華茂はその隙を縫ってリリーへと流線を描く。そこへリリーが砂弾を射出。 ドウン! ドウンドウン!! 華茂の航跡で、砂の爆発が生じる。それは華茂を撃墜すべく放たれる砂の爆薬。だが強く念じれば、それらの砂は華茂の身体へと吸収された。 (ニーウがいなくても使えたのね、それ) 深みがある、それでいて幼い声が頭に響いた。 するとリリーは両腕を掲げた。 華茂の頭上に、炎の気配。高熱のマグマがぼとりぼとりと降ってきた。 華茂はマグマに向けて、炎の波を発射する。その波をマグマの吐き出し口でクロスさせる。カカッ、と光が輝き、大爆発が生じた。おびただしい煙が塵を散らす。 (やったぁ、ブースト! 今度、ライラが秘密特訓してあげるよ!) 開けっ広げで、それでも思慮深い声が心に届いた。 その時、チッ、という舌打ちの音がした。 「あたしの邪魔をするなぁあぁぁっ!!」 蘭麗が四本の番傘を投擲してくる。ぎらつく刃。華茂がそれらを順番にかわすと、後方で番傘の開く気配がした。 軒紙から吹き出す、酸の雨。 華茂は炎を纏った手を、酸にスウッとかざす。ある一点を通過した瞬間、炎は氷へと変化した。酸の粒は凝固点へと落ちこみ。中空にてその動きを止める。 (炎という。一つの魔法だけを。見て。油断する。馬鹿の。見本市) 冷酷だけれど、どこかに夢を宿した声が耳朶を打った。 「くそっ! くそっくそっくそっ! まだか! 早く燕を取りこんでしまえ!!!!」 蘭麗は右手を斜め上に、左手を斜め下へと伸ばす。 刹那、無数の番傘が、 バン! バン! バン! バン! バン! バンバンバンバンバン! と開いた。そしてそれらは、リリーと蘭麗の姿をすっぽりと隠す。 (あはははは! どれか一つでも突いてみな! そしたら大爆発だよっ! あははは!) どこかから、蘭麗の勝ち誇った声が聞こえる。 でもね――――。 【その未来は、不採用】 「うっ!?!?」 蘭麗の番傘が瞬時にして消えた。 ……いや。元々なかった世界へと移行したのである。 華茂は蘭麗の驚愕を。 滑り飛びながら、聞いた。 蘭麗の頬の、わずか数センチ隣。 華茂の拳が、あった。 ボギィィィィィッッッ――――――――!!!!!! 渾身のストレートが蘭麗を殴り抜いた。 華茂に迷いはない。それと同じように、蘭麗に身構える暇はいっさいなかったのである。 蘭麗の魔力が弱まっていく……。 今の一撃は芯の芯を捉えた。蘭麗は口端から血を流しながら、宇宙空間を自然遊泳する。間違いなく捉えた、という確信が、華茂にはあった。 ――――その時。 「ぎぃぃぃぃぃぃっっ!!!!」 黒い炎が華を咲かせた。 圧倒的、かつ圧殺的なその衝動。華茂は、注目せざるをえない。 その正体はやはり、リリーだった。怨嗟、憤怒、憎悪。それら全てをぶつけるがごとく、ぎろりと目を剥いた。 「あたしの魔力の粋、喰らうがよいでございましょう!!!!!!」 リリーが身体を、くの字に折る。 必然、手と足がこちらを向く格好となる。 そしてリリーは両手両足全ての指から、砂弾を発射した! さっき火龍の連打で回避した量の、二倍。……違う。リリーがその魔力を限界まで注ぎこんできたわけだから、どこまでの威力になるのか想像もつかない。 それでも、やはり。 やはり。 ――――勝負だ。 華茂が肩をいからせて構えるのと、その隣を鋭い風が通り過ぎていくのは、同時だった。 『突き刺せ時空ェェェェ――――――――ッッッ!!!!!!』 ……わずか。 わずかの細い線上。それは少しでもずれると、なにもかもを台無しにしてしまうほどのタイトロープのようだった。しかし二枚の風の刃は寸分のズレもなく進み、 進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み進み!!!!!! 砂塵を次々と吹き飛ばし――、 リリーの両肩へと、鮮やかに突き刺さった。 「きゃあぁあぁぁぁああぁぁぁっっ!!!!」 高らかな悲鳴とともに、リリーの魔力も消えていく。 あの、大魔女の魔力を一瞬で無に還した。 そんな偉業を達成できるのはこの世で、ただ一人。 ただの一人しかいないだろう! 「遠野! がんばったな!」 「し、ししょおおおおおおおおぅぅぅぅ!!」 もう一人の大魔女――イア=ティーナが、指で鼻をすする真似をした。深紅のドレスは、宇宙においてまるで薔薇のよう。切れ長の瞳。こぼれんばかりの胸。なにもかもが……なにもかもが、懐かしい。 「借りは返したよ、フローレス」 イアはサムアップして、小さく笑う。 その仕草がもうかっこよすぎて、華茂はイアに抱きついてしまうところだった。 だが二人の再会に、低くよどんだ声が水を差す。 「もう一人の大魔女様まで、来てしまったんじゃ、仕方、ないわね……穢れは、ある程度、燕の魔力を取りこんだ、でしょうし……」 苦しそうに、苦しそうに言葉を漏らすのは、蘭麗だ。 「ナンドンランドン、いいわよ。人間に穢れを祓わせなさい」 途端、華茂の全身が寒くなった。 いけない。 そうだ、蘭麗は人間虐殺に向けて二つの手段を準備していたはず。 一つが、穢れに燕を取りこませること。 そしてもう一つが、人間に穢れを祓わせて、穢れを暴走させることだ。 しかしここからナンドンランドンの担当する地域までは距離がある。今から彼女を止めに行っても間に合わない。このままでは、人間が……そしてアニンが終わってしまう。 なにかないか。 なにか。自分のできること。対抗策。たとえ、どんな代償があってもいい……。 暫時……経過する。 (あ、蘭麗!? こちら、ナンドンランドンじゃけど!?) ナンドンランドンの声が、華茂の頭の中に響く。これは、通信魔法だ。 「よく聞こえるわよぉ。どう? 人間どもはちゃんと穢れを祓ってくれた?」 (い、いや、それが……) 「なにをグズグズしてるのよ。うまく穢れを祓えたら、貴女の国の人間を世界中に紹介してあげるって約束したでしょう。貧しい貧しいと、いつまでも蔑まれたままでいいの?」 (違う……やろうとしとるんじゃが……) 「じゃあ、さっさとやってよ。なにがあったのよ」 蘭麗のその問いを受けて、ナンドンランドンは声を震わせた。 (おかしいんじゃ! 何度やっても元に戻っとる! 誰かが、ボクの魔法を乗っとっとるんじゃ!!!!) 「……え?」 (じゃから! 穢れを祓うっちゅう未来を! 全部、祓わんかった未来に変えとる奴がおるんじゃって。どういうことじゃ、蘭麗? キミ、なんか知っとらんか?) 蘭麗がゆっくりと、華茂の方を見る。 そして視線を、一点で定めた。 (蘭麗? なんか知っとるんじゃったら教えてん! 蘭麗? 蘭麗? ら……) ナンドンランドンとの通信魔法は、そこでプツリと切れた。 蘭麗は頬を押さえながら、その瞳に本気を宿す。 「貴女ね」 華茂は、大きな唾を飲みこんだ。 「貴女がナンドンランドンの魔法を、彼女自身にかけた。だからもう、あの子の魔法は発動しない。そういうことなんでしょう」 蘭麗の推測。それはまさに、そのとおりだった。 もし華茂がナンドンランドンと会っていなければ、未来を変える魔法――『夏の逃げ水』をコピーすることはできなかっただろう。だけど華茂は、ナンドンランドンの魔法を曲げることに成功した。これで、人間と文明が即座に終わることはない。 しかし。 「まあわかってると思うけど、あの穢れが燕を吸いこんだら結局は同じことよ。穢れはこれまでにない力でアニンを攻撃するでしょう。でも、もう、やめにしない?」 意表を突かれる。 訥々と語る蘭麗の声は、本気の色に満ちている。 「アニンが滅茶苦茶になったら、人間は死ぬでしょう。ただし、魔女なら生き残れるかもしれない。いえむしろ……魔女だけの世界をつくれるかもしれないわ。迫害も魔女狩りもない。魔女同士で恋をして結婚をして、楽しくやっていける。貴女の好きなお茶会だって続けることができるわ。もう、それでよくないかしら?」 蘭麗の申し出は、けして一方的に有害なものではなかった。 人間にいじめられている魔女は少なくない。今まで街に住んでいたのに、山や森の中に追い出されたという話もライラから聞いた。魔女はこれまで人間を護ってきたのに、科学が少し進んだだけで全ての過去を忘れられたかのような扱いを受けている。 だから、もしかしたら。 蘭麗は、全ての魔女の代弁をしていたのかもしれない。 「……違う」 だけど華茂はポツリと返す。 たくさんの、これまでに出会ってきた人間の顔を思い返しながら。 人間は魔女を、迫害しようとしてきた。 人間は魔女と、仲良くしようとしてきた。 どちらの可能性だってあるのだ。だったら、その未来を切り開くのは自分たちの問題だ。悲しい過去があったからといって、未来を閉ざしてしまうのはあまりにも単純だろう。 それはやはり、愚かな行為なのだと思った。 そして華茂にとっては、どうしても失いたくない人がいる。 蘭麗の描く未来には、その人がいないのだ。 「燕さんは、死んじゃうじゃない……」 半分泣きながら華茂が呟くと、蘭麗はあっけにとられたような顔をした。 それから。 どうしてか。 「負けたわ」 緩やかに、笑った。 それは、無人の草原に吹く、あゆのような笑みだった。 「あたしもリリー師匠も、もう戦えない。あの穢れに入ることができるのは、心を司る魔女である貴女一人。だったら、行くんでしょうね」 「……うん」 強く、うなずく。 それは決意の心。華茂は、腹を括ったのだ。 「でも、死ぬわよ」 蘭麗が、再び唇を引き結ぶ。 「あの中で渦巻くのは、百億の心。それに巻かれたら、貴女も燕も死んでしまう。それでも行くの? 貴女は、どうしてあの子のことをそこまで好きになれるの?」 蘭麗が、目で問うてくる。 しかしそんなものは愚問だった。 どうして好きか、って? どうして好きになれるの、って? そんなこと。 そんなこと…………、 「好きなんだから、仕方ないじゃないっっ!!!!!!」 叫んでやった。 宇宙の全てを、ぶっ飛ばしてやるくらいの勢いで。 喉の底から、声を張り上げてやったんだ! 「あはっ」 なのに蘭麗は、つまみ食いを見つけたかのように笑う。 「なにが、おかしいのよ……」 「いちおう言っておくけど。貴女の声、あの中の燕にも聞こえてるから」 蘭麗が指さすのは、邪悪にうごめく穢れの塊。 つまり。 つまり……その……、 そういう、ことで。 「ひええっ!」 華茂は頭を激しくかきむしる。その様子を眺めていた蘭麗はもう一度、「ははっ」と笑った。 くぅー、と声を漏らし。 こんなのも自分らしいかな、と諦める。 華茂のボブカットで、アニンからの光が燦々と輝く。 全ての外連味を一気に真実へと変えてしまいそうな。そんな、光だった。 ――行こう。 この世界の、分岐点へ。
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