魔女のお茶会
最終章Final(約束の言葉)

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 きらきらと。  それはもう、きらきらと。  けがれが無数の粒となり舞い上がる。  華茂かもつばめは今、光の粒子の中にいた。  はかまが空気に揺れ、ふわふわと膨らむ。なんだか呼吸のできる水中に身を任せているような感覚だ。夢みたいにきれい。正面を向くと、すぐそこに燕の微笑みがあった。 「人のいのちって、輝いているんですね」 「うん。すごいよね」  二人でしばし、光の群れに目を奪われる。  すると燕が不意に華茂の手を握ってきた。華茂は心の中で、でへへへー、とだらしなく舌を垂らす。燕は遠くの空を眺めるように、視線にくさびを打った。 「でも、華茂」 「ん?」 「この世は、楽しいことばかりではないはずです。やりたいことができなかったり、うまくいかなかったり。誰かと争ったり、虐げられたり。それでも、どうしていのちは輝いているんでしょう?」 「うーん……」  難しいことを訊くなぁ。  華茂は空いた方の手を顎に当てて熟考する。  黙って考えを巡らせていると、どこかからたくさんの声が聞こえてきた。 (二人は仲良しですね) (おめでとう) (私たちのことを、忘れないで下さいね) (お母さん、ぼく、なんだか、眠たいよぅ) (待ちなさい。あの二人に、おめでとうと言ってあげなさい?) (うん。おねえちゃんたち、おめでとう! ……もう、眠っていい?) (ええ。えらいわね。おやすみ、しゅんちゃん) (さようなら) (ばいばい) (ありがとう) (ばいばい……)  それは、いのちだった。  まごうことなく、いのちだった。  この世は不思議なところ。宇宙の謎はけして解けない。だけど時折、少しばかりのヒントを与えてくれたりするものだから憎めない。 「この世ってさ」  華茂はこましゃくれた感じで、燕に言った。 「パズルみたいなものじゃないかな。どういう絵になるかは最初から決まってる。その中には、いくつもの色が入ったピースもあれば、真っ白なピースや真っ黒なピースもある」 「では、そのピースがいのちというわけですか? でも、真っ黒なピースになるのはちょっと……嫌ですよね」 「うん。そりゃね。だけど、どのピースが欠けてもパズルは完成しないんだ。完成しないパズルなんて、もうパズルじゃない。最初からないのと同じだよ。もしもいのちが一つでも欠けていたら、この世は存在しなかった。存在することができなかった。そういうのがわたしの答え……なんてどうかな?」 「つまり、この世を成り立たせるための存在ということ……」 「勝手な考えだけどさ! だってわたし、燕さんのいない世界なんて想像できないもん!」  その言葉は自然と出てきた。  華茂は燕の手を強く握る。  燕の唇がほころぶ。  難しいことはよくわからないけど、ちょっぴり恥ずかしいことを堂々と言えるくらいには成長したみたい! やるじゃん! ねっ?  すると燕が目を閉じた。  そしてそのまま相好そうごうを、華茂の顔へと近づけてくる。  あ、  あれっ?  いやもしかしてこれ、あのその……えーっと、ですね。  そういう、ことなのかな?  でへへっ!  華茂もまた、目を閉じる。  燕の唇の位置は、感覚でわかる。野に咲く花のように素朴で、職人によってつくられた百年家具のように凜然りんぜんとした唇。自分は今から、それを贈られる。自分も同じように、贈り返す。嫌われなかったらいいな。嬉しかったって、喜んでくれたらいいな――。 「よくやった、遠野とおの! 零式ぜろしきっ!」  がっくーん、と肩が下がったと思って目を開ける。  そこには、華茂と燕の肩を両腕で抱くイアの姿があった。……っていうか、めっちゃ胸が押し当てられてる。うわあうわあ。イア師匠、それは反則ですよ?  ニッコニッコと笑うイア。  いやあ、よかったことはよかったんだけど……。  このタイミングですかぁ……とほほほほ。  華茂が苦笑して周囲を見ると、ほぼ全ての穢れは消え去っていた。どこかへ、どこかへ。この世のどこかかもしれないし、この世ではないかもしれない彼方へと旅立っていった。  だが残った穢れが、竜巻のように回転し始めた。かと思うと、一本の線になって下方へと伸びていく。その行く先を熟視する。穢れの帯は、銀色の瞳をようする魔女――、 「ああっ!!」  胡蘭麗フーランレイの身体へと絡みついた。  蘭麗は穢れに締めつけられ、しばらくもがく。  しかし抵抗が無駄だとわかると、彼女は力を緩めた。拘束された状態で、華茂たちをうらめしそうに見上げてくる。 「ふ。あたしにも、帰る時が来たみたいだわ」  誰に発せられたともわからない、やけっぱちのひとこと。  華茂は宙に身体を遊ばせ、蘭麗の前へと近づいた。 「蘭麗さんは、どこに帰るの?」 「さぁて。もう一つの地獄にだろうね」 「…………」  華茂はすぐに言葉を返せない。  そこへ、何人もの魔女が集まってきた。  桎梏しっこくから解放された、ライラとアルエ。  リリーに受けた傷をなまなましくさらす、マロンとチャーミ。  そして、華茂を追ってきた燕とイア。  みんなで黙ったまま、蘭麗の身体を見る。彼女の胸から下は完全な黒に封じられていた。もう身体の七割方が穢れの中だ。残った部位も、少しずつ少しずつ呑みこまれている。  蘭麗は「あっはっは!」と笑った。投げやりな笑いだった。今から彼女はどこかに帰るという。その場所は彼女にとっての地獄。おそらくこの魔女は、その地獄を認めたくないがために華茂たちの前に現れたのだろう。  そう考えると、華茂にはなんだかやるせないものがあった。これまで自分たちをひどく痛めつけ、最後にはアニンに住む人間の全滅を企てた、とんでもない魔女。だけど華茂は、心の底から蘭麗を憎む気にはなれなかったのだ。  それでも、華茂から蘭麗に与えられるものはない。  ただ、蘭麗の狂ったような高笑いが響くのみ。  誰もが眉をひそめたその時、蘭麗の前に一つの影が悠然と落ちた。  パッシ――――――ッッ!!  全員の視線が集まった。  蘭麗の頬に平手を打ちつけたのは、リリーだった。  蘭麗は一瞬、目をまんまるにする。そしてすぐに元の眼光を取り戻し、リリーの顔を見やった。 「あ、はは……。あたしの魔法、解けちゃったか」  ……『あたしの魔法』?  そうか。今のリリーからは、狂気を感じない。リリーは蘭麗の魔法で戦わされていたということなのだろう。きっと、心の傷を肥大化させるような魔法で。  蘭麗はリリーに対し、悪びれずに続けた。 「貴女とも、お別れね。いやぁ、それにしても、リリー師匠はよく働いてくれたなぁ」  挑発するような言い方だ。捨て台詞みたい。それでもリリーはただ真っ直ぐに蘭麗を見つめている。自らの愚かさと怒りを、目をもって蘭麗にぶつけているようでもある。 「最後にいいこと教えてあげるわ! 貴女の大好きなメイサが殺されたのは、あたしが仕組んだことよ! まあ、殺されるとまでは思っていなかったけど、結局はあたしが殺したのと同じ。それなのにあたしの魔法に引っかかってさ! 心を操られてさ! ほんとよくやってくれたよ。あっはははははははは!」  するとリリーがもう一度手を振り上げた。  リリーはさっきよりも強烈な一撃を蘭麗にお見舞いするに違いない――。  華茂はそう確信した。いや、華茂だけではない。その場にいる魔女全員が同じ未来を予想していたことだろう。  しかしリリーは、その手を。  そっと、蘭麗の頭に乗せた。 「……なんのマネよ」 「蘭麗」 「なに、よ……」  そしてリリーは、蘭麗の頭をゆっくりと撫でる。 「弟子の失態は、師匠であるこのあたしの責任でございます」 「はっ……今更、師匠とか。あたしはね、自分の出自をつくるために魔女学校に入ったのよ。全部……全部ね、嘘だったんだから」 「そうでございましょうか……?」  そう問うて、リリーはバイオリンと弓を出現させる。そしてバイオリンを肩に構え、透明な音色を丁寧に奏でた。  疾風はやては春の祖となるも  そのひと吹きに春あらじ  珂雪かせつは冬の祖となるも  そのひとひらに冬あらじ――  演奏を終えたリリーは、新雪しんせつのように柔らかく笑む。 「蘭麗。あなたがどこから来たかをあたしは知りません。あなたがどのような道を歩いてきたかも知りません。だけど、蘭麗。……胡蘭麗」  リリーのロングドレスがかすかに揺れる。それはまるで、泣いているみたいだった。フォグブルーのドレスが泣いている。震えて、震えて、涙を流しているのだ。 「あなたはあたしを、師匠、と呼んでくれたでございましょう。あなたはあたしの弟子。ゆえにあなたの罪は、全てあたしが引き受けました。あなたのゆく先に大きな幸せが待っていることを、あたしも……それから、メイサも……願っていることでしょう」  そしてリリーは、バイオリンの弓を振った。  ビシッ! という音が、華茂の耳を震わせる。 「どれだけ苦しくても歩きなさい。幸せを目指して歩き続けなさい! 胡蘭麗!」 「う、うっ……」  蘭麗の唇が引き結ばれる。  彼女の首から下はもう、穢れに吸いこまれた。  蘭麗は瞼を閉じようとして……、  なにかに気づいたように、もう一度目を開けた。 「……こ、これはっ!?」  蘭麗は魔女たちの顔を順番に見て、最後に、華茂のところで視線を止めた。 「貴女ね……」  蘭麗はおそらく気づいている。この穢れが、かつての構造と異なっていることに。  ならば、語らねばなるまい。 「わたしじゃないよ」 「い、いや、これはあたしを連れてきた穢れじゃない! だからあたしは元の時代に戻れない! 貴女、なに? あたしをどこへ転送しようっていうの?」 「だから、わたしじゃないって。それに穢れを変えたわけでもないよ。クラントっていう人にね、穢れに力を分けてほしいって頼まれたんだ」 「どうして、その名前を……」 「穢れの中で、会ったんだ。クラントさんは言ってたよ。もう一度会いたい人がいるって。それってきっと、蘭麗さんのことでしょ?」  華茂は確信に近い形で訊く。穢れたちは光の粒となり宇宙に消えた。しかし一部が残り、蘭麗にまとわりついた。つまりクラントが乗り移っているとするならその先は、目の前にあるこの穢れ以外に考えられない。 「うっ……」  しかし蘭麗は、華茂の問いには答えなかった。  喉の奥からうめき声を上げるのみ。それらは悔恨かいこんの声のようにも聞こえたし、クラントを想って導かれた声のようにも聞こえた。 「クラント……まだ、こんなあたし、を……こんなふうになった、あたしを……!!」  蘭麗の瞳から、水分があふれた。  それは直ちに頬から顎へかけ、銀の線を滑らせる。  蘭麗の顔が、くしゃくしゃになった。涙はだらだらとあふれ、蘭麗の目尻からほっぺにかけてを赤く赤く染めていく。 「うわぁん。クラントぉ。また会いたいよう。うわぁん、うわぁん……また遊んでよう。折り紙つくってよぅ。いやだよういやだよう。ぐすっ、ぐすっ。会えないのは、いやだよう……ああん、うっ、ああぁん…………」  蘭麗の身体が、穢れごと透明になっていく。  彼女の帰る時間が、きたんだ。  蘭麗はずっと泣いていた。子供のように、泣いていた。目を強くつぶったまま、大きな口を開けて泣いていた。白い、きれいな歯並びだった。  それを見て、華茂の眼球にも薄い膜ができた。だけど今泣くわけにはいかない。華茂は防波堤を守ろうと、袴の袖で自分の瞼を押さえつけた。蘭麗だって元から誰かを傷つけたかったわけではないと思う。きっと彼女も幸せを求めてきたのだろう。なのにどうして、蘭麗は他の人にいじわるをしてしまったのだろう。罪を、背負ってしまったのだろう。どうして。どうしてなんだろう……。  華茂の涙が目から鼻へ、鼻から舌の根へと落ちた時。  蘭麗の姿は透明になっていた。気配ごと、完全に消えていた。  でも、最後におかしな光景が見えたんだ。  それは幻だったのかもしれない。クラントが蘭麗に、ひと粒の飴を渡していたんだ。 (はい、蘭麗ちゃんの分もあるよ) (ありがとう、クラント――)  その直後、だった。  目に強い刺激を受けた。涙が喫水線きっすいせんを越えてしまったのだろうか。華茂はそんなふうに思った。だけど、涙は晴れていた。その刺激の正体は、アニンの海の向こうからゆっくりと現れた、恒星の光だった。  アニンの、夜明けだ。  華茂たち、その場に残った魔女たちは全員で同じ方へと身を向ける。  負けん気の強そうな瞳の、ライラ=ハーゲン。  いつだって眠そうにした、レティシア=アルエ。  豪快な笑みを爆発させる、イア=ティーナ。  風に遊ばれる髪を撫でる、リリー=フローレス。  かわいい犬歯で唇を噛む、ロール=オブ=マロン。  冴え冴えとした面持ちの、エントレス=チャーミ。  そして。  零式燕は華茂の方をじっと見やり、両手を腰の前で結ぶ。 「お、おいおい、どうなっとるんじゃ!? なにやっとるんじゃ? みんなであかつきの見学会か? ええっ……?」  そこへ地上から、ナンドンランドンが猛スピードで到達。要領を得ない顔で首を振りまくっているものだから、みんなして笑った。  華茂はアニンを一望する。  青い青いその星の清天せいてんには、マシュマロを溶かしてこぼしたような雲が流れている。  あの赤茶けた色は、それぞれの大陸の大地だ。鮮やかな緑色も見える。寂寞じゃくばくの中で朝露あさつゆを点し、あらゆる生命の睡夢すいむの紐をほどいていくことだろう。  誰もが喜びを求め。かけがえのない一瞬を生きる。  そんな試みが可視となったもの。  それこそがいのちであり、華茂の愛するこのアニンなのだろうと思う。  耳が少し、冷たくなっている。  その耳に、燕の手がそっとかかった。  二人して向き合う。  ちらりと周りを確認すると、誰も茶化すような魔女はいなかった。ライラは、あちゃー、というように自分の後ろ髪を掴み、イアからは意味深なウインク。なんだかよくわからないけど、合格のご褒美をもらっているような気がした。 「華茂」 「燕さん」  互いに名前を呼び合う。  ただ、それだけでよかった。  それだけで、華茂はいつも満たされている。  また燕が、しとやかな瞳を閉じた。  だけど今度は待たせない。  華茂は呼吸を止めて――、  止めて止めて止めて止めて。  えいやっ! の勢いで、燕の頭を両手で押さえ、  燕のひたいに、小さなキスを贈った。  唇に、生きる温度が伝わってくる。 「ええー」  燕はちょっと文句を言っているようだけど、これが今の自分のせいいっぱい!  燕は、仕方なさそうな顔をした。華茂は燕の手に自らの手を寄せた。だけど偶然、彼女も同じことをやっていた。二人の手が、中間点で結ばれる。  見えないノートに、約束の言葉を書いた。  必ず明日を生きる。  そして、必ず今日を生きる、という絶対不滅の約束だ。  華茂の心に、アニンからたくさんの声が届く。  その多くは感謝であったりねぎらいだったりしたのだけど、その中によく知った声を見つけた。 (華茂ねーちゃん、おめでとうおめでとう!)  弥助やすけは何歳になっても、元気な声をしている。 (小娘ロワンエが無事でよかったよ。みんな、あんたを待っているからね)  この声はたしか、アルエと一緒に住んでいたサジャンノのものだ。 (ナンドン。おらたちはもう、穢れをはらわなくていいのかな……)  パチャラがほっとしたように言う。ナンドンランドンの村人が過失の大罪を負わなくてほんとによかった。  やがて、アニンからの声は引いていく。  みんな、新しい一日を始めるのだろう。  だったら……自分たちも、今日のために、今日を始めていかなければならない。  新しい世界と、挨拶を交わして。 「とりあえず、魔女のお茶会、しよっか!」  誰かが言った。  たまらずに言い放った、という感じだった。  誰だ?  誰だ誰だ誰だ?  華茂は魔女の顔を、一人ずつ確認する。  みんな、さっきの提案に反対しているようには見えなかった。  さっきまで生死をかけての戦いを繰り広げていたというのに、なんて不謹慎な!  だけどそれを簡単に提案した、ポンピキウィードゥーな軽い魔女。  それは。  それは、それは。  よく考えたら。  自分、だった。  遠近感を狂わせてくれるほどの光の束はまるで。  華茂の頭をポカポカポカと叩いているようで。  そして、華茂の鼻をキュウとつまんでいるようでもあったのだ。  さあ。楽しい楽しい、魔女のお茶会の、準備をしなきゃね!

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