今いるこの場所を、宇宙空間と呼んでよいのだろうか。 ここからはアニンの大陸の全貌を臨むことができる。大陸中央の山脈には、ヨーグルトを垂らしたような雪が白を成している。海はただの平面ではない。はっきりとは見えないのだけど、細かな脈動を感じとることができる。 あの砂漠には猛烈な風が吹いているのだろう。 あの平野では小麦やお茶が栽培されているのだろう。 森では昆虫たちが樹液をすすり、夜の街はいくつものドラマを紡ぎ出すのだろう。 全てが、生きている。 そう感じられるだけの塊を華茂は自分の視野におさめ、大きな唾を呑みこんだ。 「すげえ景色だろ。ま、お茶と一緒に楽しんでちょうだい」 ライラが白テーブルに準備してくれたのは、ハーブティーだった。お茶請けにはシナモンロール。華茂にとってはどちらも初めて口にするものだが、とても優しい味わいだと思った。お茶が喉を通過する際に、じんわりとした温かみを感じられる。異国感はあるのだけど、すぐになじめるような親密さがたっぷりと含まれていた。 ライラは椅子に座って脚を組み、華茂たちに魔女の歴史を語ってくれる。そのうちのいくつかは魔女学校で習ったものだったが、華茂は特に口を挟むことなく説明を聞くことにした。そもそも、忘れているようなところもあったわけだし……。 アニンに生命体が誕生するより、遙か昔のこと。 世界は『穢れ』で満ちていた。 穢れとは、華茂を含む魔女たちが祓っている黒い霧みたいなやつだ。こいつは星を食い物にする宇宙の流れ者。意思はもたない。穢れは星を弱体化させ、星から得た力をどこかへ飛び去るためのエネルギーに変える。かつてのアニンの姿は、黒幕ですっぽりと覆われたような状態だったという。 しかしエネルギーを吸い取られる側のアニンとしては、たまったものではない。このままではいかなる生命体も発生せず、恒星からの光を得ることもできない。 そこでアニンは、穢れに対抗する存在として魔女を生み出したのだ。アニンの力全てが注ぎこまれたその存在は穢れを浄化し、やがてアニンには、魔女以外の原始生命体が発生した。そして原始生命体は人間へと進化し、文明を築いたというわけだ。当初の魔女がどのような思考回路をもち合わせていたかについては詳しくわかっていない。これらの事実は魔女から魔女へ、口頭や伝説をもってつたえられてきたことだからである。 ところでこの穢れだが、魔法という触媒により、人間にとって有益なエネルギーに転化させることができる。例えば華茂であれば、穢れを祓うことで四季を呼ぶ風を吹かせ、神を奉る炎を絶やすことなく燃やし続けてきた。 「ライラは、人間の心に自信とやる気を与えてあげているんだけどね」 ライラは自慢げに言う。 とかく穢れは、なんからの形で人間のためになるものに変えることができる。つまり穢れはアニンや人間にとっての敵であると同時に、生きるため大切な要素でもあるのだ。 では歴代の魔女たちは、この穢れをどう扱ってきたのか? 魔女はアニンが生み出した存在であるため、通常の生命体がもちえない力を振るうことができる。穢れの浄化が自らの使命であることを、誰に言われずとも自然と理解している。魔女はどの時代においても世界の各地を分担し、穢れの浄化を行ってきたのだ。人間たちからは『超常的な存在』なんて呼ばれることもある。 華茂たちは十八歳ころまで肉体的に成長するが、十八歳あたりでその成長を止める(もちろん例外はある。十二歳くらいで成長を止める魔女もいれば、人間でいう三十路くらいまで成長する魔女もいる)。そして死ぬまで肉体が老いることはない。イアやリリーだってもう千歳くらいだったが、ともに絶世の美女だった。その寿命の長さは各々のもつ魔力に比例するが、いくら魔力が弱くても数百年は生きることができる。人間に比べて寿命が長い――そこが、魔女の悩みの種でもあるのだ。 「二つの夢、といえば、あなたたちにもピンとくるわよね」 ライラの言葉を聞いて、華茂はすぐにわかった。魔女が、穢れの浄化という使命以外にもつ夢のことだ。 一つは単純に、夢とか希望、という意味。魔女も穢れの浄化だけをやって生涯を過ごすわけではない。花屋になりたい魔女もいれば、歌劇の舞台で活躍したいという魔女もいるだろう。人間によって惨殺された魔女メイサも、首都で手縫いの仕事をたつきとしていた。これについては、魔女は人間より長生きをするのでむしろ叶えやすいといえる。問題は、もう一つの『夢』の方だ。 魔女も恋をする。結婚をするのだ。 ただし魔女は生殖行為をしない(ま、その、愛を確かめる方法としてそういう行為がおこなわれたりはするのだけど……ごにょごにょ……)。だから魔女と魔女の恋愛や結婚というのは頻繁に見かけることができる。 しかし中には、人間と結婚しようとする魔女だっている。魔女も人間も心の通った者同士。そういう関係が築かれることにおかしな点はない。ただ、魔女と人間では寿命が違う。愛する人はどうしたって、魔女より先にこの世を去ってしまうのだ。ゆえに前述のメイサが皇太子と婚約を決めたのは珍しいことであって、普通の魔女なら人間との恋愛には一歩距離を置いてしまう。 さて、その『魔女と人間の関係』についてだ。 原始の時代。魔女は人類の誕生を(仲間が増えた)と喜んだらしい。魔女が穢れを祓う一方、人間たちは食文化を生み出し魔女たちを驚かせた。魔女はある時まで食事をとらない存在だったらしいのだが、人間の食文化に雀躍し、自分たちも人間の文化を模した調理を行うようになった。その食事というもので、魔女たちは穢れを浄化するためのさらなる力を手に入れることができた。ま、古くから魔女はくいしんぼうだったってわけ。 ここまで聞くと『魔女と人間は仲良しだ』と思うし実際そうなのだけど、中世における宗教の発展により、この関係には微妙な温度感の違いが生じてくる。 人間は、自分たちの寿命が有限であるということを意識し始めたのだ。そうすると、何百年も生きる魔女というのは、人間からすると異質な存在に捉えられる。魔女を差別する人間も現れたし、その差別を避けるために人里離れたところで暮らす魔女もちらほらと出てきた。もちろん、大半の魔女は依然として街で暮らしていたわけだけれど。 歴史が進むにつれ、高まる疑念。差別の感情。 やがて――。 「科学ってやつが、現れたんだよね」 そう言ってライラは、指をピンと立てる。 華茂はその科学というものについて、なんとなく知っている。リリーが一つの島国を強国へと押し上げるために使用した、蒸気。ラジオという名で人々に新しい文化をもたらしている、電波。イアは、これらが科学の分野に含まれるものだと教えてくれたはず。 そしてその科学は、とある重要なことを可能にさせた。 人間の手による穢れの浄化、である。 これによって人間は、魔女の存在を必要としなくなった。もっともまだ実用段階ではないらしいが、近い将来、魔女と人間の関係は大きく変化するといわれている。 さて、そんな時だった。 メイサが皇太子ファルクを焼死させたと疑いをかけられ、火刑に処されたのは。 これまで燻っていた『人間の、魔女への違和感』が爆発した。新聞がそれを煽った。人間は自らの手で穢れを浄化できるレベルに達している。だったら……。 魔女なんて、いらないんじゃないか――? こうして開始された、魔女狩り。幸いなことに、実際に狩りを行っている人間の方がごくわずか、という状況ではある。しかし魔女狩りの行われた地域は苛烈を極めた。地に残る魔女は人間の人海戦術によって刃を突き立てられ、空に逃げた魔女は人間の空撃砲により木っ端微塵にされた。人間たちは科学の力を用い、ありとあらゆる手段を講じて魔女を襲ったのである。 その人間の蛮行に対し、魔女たちは二派に分かれた。それこそがリーフスとハーバルである。リーフスは人間との共存を望み、ハーバルは人間の殲滅を望む。ともに、二つの月の名前をそのまま使用している。 リーフスとハーバルはお茶会で激論を交わすもまとまらず、やがて魔女同士の争いが開始された。ライラの話によると、なんと先月、魔女同士の逢魔掃討が発生したらしい。これは華茂の瞼を二、三ほどひくつかせた。交戦中のグループもいればお茶会を継続しているグループもいると聞いたが、それでもリリーが乗り出してリーフスを各個撃破し始めていたことを考えると……事態は極めて深刻だ。 「そこであなたたちに頼みがあるのよ」 ライラが手のひらを向けると、燕は「さっきのレティシアさんを味方につけたい、ということですね」と言ってジャスミンティーを喉に滑らせた。 「そ、そうだよ! よくわかるね!」 「どうして魔女の歴史の話をされているのかと思いましたが、そのお話は最近発生した機密にまで至っていました。おそらく、私たちになんらかの任務を依頼するために話されたのでしょう?」 「そうそう。だから行き道にアルエさんの顔を見せてあげたというわけさぁ!」 「さらに言うなら私はおまけ。本命は華茂の方でしょう。まだお茶会に出たことがなく、ハーバルに顔を知られていない華茂を使いたい、というわけですね」 「ザッツライトの、エクセレントさぁ!!」 ……すごい。 華茂はただただ、感心する。 イアを失った直後だというのに、リーフスの次の行動を示そうとするライラ。 そのライラの意図を読みとり、お茶の香りを悠々と鼻孔に含む燕。 いや、ほんと、どっちもすごすぎ……。 二人の頭の回転に圧倒され気味の華茂だったが、それでも自分の心の中には、たしかに残っている言葉がある。 「これからどうなるかはわからん。もちろん私としてはリーフスとハーバルの戦いを止めたいし、ハーバルを落ち着かせる必要があるとも思ってる。だけど、どうなるかわからないからこそ、力が必要なんだよ」 それは、華茂が修行を始めるにあたり、イアにかけてもらった言葉。 だから華茂は、一人で強くうなずいた。 「わたし、探しに行きます。レティシアさんを」 シナモンロールをポンと放り、むしゃむしゃごっくん。イアの思いを継いでいくのは自分だと思うし、それに、やっぱり弥助とか人間とはこれからも仲良くしていきたいし。 「華茂……」 「燕さん、心配しないで。わたしは、わたしのやれることをやりたいから!」 「だ、だったら……私も行きます。華茂についていきます!」 燕が立ち上がって自らの胸を押さえると、ライラは拍子の抜けた顔をした。 「え? そりゃそうだよ。ライラは情報の発信と受信をやらないといけないからここに残るけど、零式さんはついていってあげてね」 あ。らららら……。華茂はまだ信頼の域には達していないようで、ちょっと残念。 だけどこれで百人力だ。イアに力を授けてもらった華茂に、強くて賢くて優しくてめっちゃ美人でめっちゃかわいくてめっちゃ麗しくてめっちゃ美人で……な、燕。きっと助け合って役目を果たすことができるだろう。ていうか、燕は絶対に護ってみせる! 心を引き締めたその瞬間、燕が顎に指を添えて言った。 「でも、探すもなにも、レティシアさんは強力な魔女なのですよね。だったら、すぐに居場所がわかるのでは?」 言われてみればそうだ。 だけどライラは唇を内側に丸めこませ、困った顔をした。 「いや、じつは……アルエさんの魔力が……消えちゃってて……」 「それって……レティシアさんは無事なのですか? もしかして、もうすでにハーバルの方々か人間の手によって……」 「無事、だと思うんだよなぁ。だってアルエさんの住んでいるところって魔女狩りが起こってない国だし。それに、彼女の魔力を撃破できる魔女ってまずいないはずなんだよ」 つまりはあれだ。 アルエの魔力が消えてしまったのはなぜか。 アルエをリーフス側に引きこんで、ハーバルへの防波堤にすることができるか。 このあたりは、行ってみないとわからないというわけか。 「うん。行こう! 行ってみましょう!」 腕を大きく振って、ずんずんずん。 進もうとしたところ、華茂はライラにぐいっと肩を引かれた。 「え、なんですか?」 「いいからいいから、ちょっと来て。あ、零式さんはそこで待っててね!」 わけもわからず、ライラと一緒に巨大なボードの上を歩いていく。 燕から100メートルほど離れたところで、ライラは華茂にずいと顔を近づけてきた。 「あのさ」 「なんでしょう?」 「あなた、零式さんのことが好きなんでしょ?」 「ぎょ、ぎょっ!!」 待った待った。 いや、いきなりなんで!? 「見てたらわかるよぉ。ねえ、告白したりしないの?」 「し、し、し、しないですよ!」 「したらいいのにー」 「……だって、燕さんはすごい人なんですもん。わたしなんか、絶対だめですもん……」 唇を突き出す華茂。なんだか残念な感情が頭を支配していく。 燕は魔女学校でも「美人」だと噂されていた。燕に憧れていた魔女もたくさんいた。もちろん、告白だって何回もあったらしい。 だけど燕は、自分は魔法の研鑽をしなければならない未熟な存在、ということを理由にあまたの告白を断ってきた。華茂は昔から燕と一緒に遊ぶ仲で、まあ幼なじみみたいなものだから仲良くしてもらっているけど、ほんとは燕の隣にふさわしい魔女ではないのだ。 「ふーん。じゃあ、ライラなんてどう?」 「ほへっ?」 なんか、近い。 さっきよりもライラの顔の位置が近い。吐息の甘さも感じられるくらいに。 「ライラ、華茂ちゃんみたいな子、好きだよ。もちろん華茂ちゃんと零式さんが結ばれるのがベストだけど、もし無理だったらライラを選んでくれたらうれしいな」 「そ、そ、そんなことっ!!」 華茂の頭から、ポピュー!! と音を立てて湯気が噴き出す。よく見ればライラはすごくかわいい。桃色の髪、アーモンド型の瞳、瑞々しい肌に利発そうな歯並び。こんな美しい人が今、な、なに言った!? 「こういうとりまとめみたいな役割をしてると、なかなか恋もできなくてさ。ごめんね、困らせて。でも、華茂ちゃんみたいな子が好きなのは、ほんとだからね!」 いやー、もう。 このままここにいたら恥ずかしさと照れくささで燃えちゃいそうだったので、華茂は走った。全力疾走だ。「ありがとうございます!」と返事をするのも忘れずに。でも応えられない申し訳なさがある。だって自分はやっぱり、燕のことが……。 首を上げる。ハーバルとリーフス――二つの衛星が、深閑とした宇宙を漂っている。 「あ、華茂。なんの話をしてたの……」 「行こ、燕さん!」 華茂は強引に燕の手をとって、魔女のお茶会からひらりと飛び降りたのである。 ☆ ★ ☆ ★ ☆ 全ての気配が過ぎ去ったお茶会に、ライラは一人たたずんでいた。 テーブルの上にはカップが三つ。どれもからっぽになっているということは、華茂と燕がジャスミンティーを楽しんでくれたという証拠である。よかった。 魔法でカップとお茶菓子を片付け、少し瞼を伏せてみる。 さっき二人に魔女の歴史の説明をしたが、意図的に話さなかったことが二つある。 一つは、魔女の死についてだ。 魔女は寿命や事故で死ぬ時、泡になる。泡から生まれ、泡へと消える存在なのだ。 しかしイアは泡にならず、透明になった。つまり、イアの魂はまだどこかに揺蕩っているということだ。そして、望ましくはないが……、リリーの魂も同じ。 華茂と燕は、アルエ探しに気を砕いていた。昂然としていた。イアの死を認識したからこそ、自らのやるべきことを定義づけることができたのだ。だからライラは、その事実についてあえて黙っていた。 加えて、もう一つの真実。 リーフスがたとえハーバルの企みを押さえこんだとしても……。 人間の『魔女狩り』を止めない限り、未来はない。 それはリーフスだけでなく、ハーバルも、人間も。 人間の魔女狩りこそが、もっとも恐るべき事態を引き起こす。 嘘のような真実が自分を待ち受けていることを再認識し、ライラの息は少し荒くなる。頭の中にはなぜか、華茂のくるくると変わる表情が浮かんだ。 そこで、緑茶を飲んでみようと思い立った。 トポトポトポ……。 湯気が立つ。初めて嗅ぐ香り。口に含む。 それは自然そのものの、味がした。 まるで泰然自若――。 ライラの胸の時計が、その速度を少しずつ緩めていく。 【⇒いつも楽しんでくれてありがとう! いざ、第二章へ続く!】
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