魔女のお茶会
第二章⑪(風を司る魔女)

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 船尾せんびの硝子が、けたたましい音とともに散った。  陽光を映し、七色をまぶして舞う硝子片がらすへん。それは、マロンが飛行船に侵入したことを示すCAUTION緊急事態にほかならない。  華茂かもも迷うことなく、割れた窓へと向かう。突入するとそこはシャワールームだった。ズタズタに切り裂かれた扉がもの悲しく床に転がっている。どうやらマロンは、廊下へと進んでいったようだ。 「きゃああぁあぁあぁあ!!!!」  悲鳴と同時に、鈍い音が鳴った。船首せんしゅの方だ。  木片が風に流れ、船体の壁に寄る。その直上に、アルエの憤然とした童顔があった。 「行こう、レティシアさん!!」  シャワールームから出て、廊下を疾走する。左右には客室と思われる部屋がとおほど。行き止まりとなった部屋に飛び込むと、そこは四台のテーブルをようした食事室だった。だが、うち一台はひっくり返り、ドレスを着た人間たちが部屋の隅に追いやられている。  背面姿はいめんすがたのマロンがこちらを向き直る。  ぞっとするほど美しい犬歯が、鈍く輝いた。 「来たわねぇ、華茂」 「な、なにしてるのよあなた! 人間を盾にとってどういうつもりなの?」  華茂がビシイ! と指さすも、当のマロンはどこ吹く風。 「別にぃ。人間なんて、どうでもいいし」 「それならここから出ようよ! 話があるなら空でしてあげるからさ!」 「それはいいやぁ。ここだったら、魔法なしで話ができるじゃん?」  言うが早いか、マロンは深紅のカーペットを蹴った。  高速の上段横蹴り。華茂はこれを、腕を使って止める。骨が、ビリッとした。 「な、に?」 「ヤろうよ。魔法なしで」  マロンは高速で距離をとり、テーブルの上のフォークを四本ほど握る。それらを華茂目がけてぶん投げる。華茂は咄嗟とっさに手近なテーブルを倒し、その陰に身を隠した。ダス……ダスダスダス!! フォークがテーブルへと突き刺さる。  そうか。  そういうことか。人間が近くにいれば、危なくて魔法を使えない。魔力の差でいえば、アルエがいるためこちらに分がある。つまりマロンは肉弾戦――フラットな戦場へと華茂たちを誘いこんだのだ。 「そりゃー、いくぜ!!!!」  マロンがカーペットを引っ張る。途端に足場が崩れ、華茂とアルエは後転。頭を護ろうと首を曲げた先、マロンが突っこんできていた。  ドンッ! ドン!  マロンのスタンピングが華茂の顔面を襲う。華茂は側方へごろごろと転がりこれを避ける。たまらず椅子を蹴り飛ばせば、マロンは両指を絡めた拳でこれを粉砕した。マロンがからの瓶を投げてくる。華茂は瓶の旋回を凝視し、瓶の口に人差し指を突っこんで止める。そのまま打ち返せば、マロンもまた人差し指を入れてこれを止めた。  瓶と瓶が。  人差し指の間を十数往復する。  呼吸の方法を少しでも間違えれば、鼻頭に激突するだろう。  先に緊張を切ったのは、華茂の方だった。  カーテンをビリビリと破り、瓶の進行方向に放り投げる。瓶はカーテンに包まれて空中で停止。だが、一瞬閉じられた視界の奥からマロンの跳び蹴りがカーテンごと華茂を打ち抜いた。華茂は血泡けっぽうを吹いて、後方へスライド。さらにマロンが前傾で走ってきたので、倒れたままの下段回し蹴りでマロンの脚を払った。  ドッ、と尻餅の音。  そのまま組みかかろうとしたが、マロンは背中の筋肉だけで身体を起こしバク転でその場を逃れた。ニヤリと笑うマロン。なんだ、次はどう来る。  バァーン!!!!  マロンが裏拳で窓をぶち破る。またも人間たちの悲鳴がとどろいた。たちまちに生じる、風の引力。華茂のバランスが崩れた。そこへ待つは、マロンの強靱きょうじんな蹴り。  ――――もう、それは。  身体が自然反応を起こしたとしか言いようがない。  華茂は両手をかぶせるようにマロンの蹴りを受けると、その反動で前転した。膝を曲げ、きびすの一点に神経を集中させる。極限まで溜めたエネルギーをただ一点に、この一点に捧げる――――、  幽天ゆうてんからの、かかと落とし。  ご、  づぅっ!!!!!!  もろに入った。  マロンの僧帽筋そうぼうきん。マロンの腕が、ぶらんと伸びる。 「はぁ……ん?」  最初は驚いただけの、マロン。だがやがて鈍痛どんつうが到来したようで、マロンの眉間に深い皺が寄った。ツーステップでバックアウェイ。この隙を逃すまいと思ったが、マロンは破れた窓にためらいもなく頭を入れた。  だがマロンの脚が、ももが、見えている。華茂はマロンの足首をつかむ。するとマロンはこちらをギロリと睨み、手首を振った。それは――、小さいけれど、受けてはならぬ、  風の刃。  入り身反転、ミリ単位の危うさでこれをかわす。マロンの刃はそのまま空間を直進し、食事室の壁を貫いていった。  途端、ガガ――――ン!!!! と奇音きおんが立つ。 「な、なにっ?」  そしてぐらりと傾く、飛行船。  目を凝らす。隣の部屋から尋常ではない量の煙が巻き起こる。そうか、あれは――、操縦室だ。飛行船の操縦機器が、マロンの風で斬られてしまっている。  傾斜がひどくなり、人間たちが壁際から別の壁へと滑ってきた。手が脚が絡まり、もう団子状態だ。華茂は魔法で浮いてみせるが、人間たちのパニックはすいを極めている。  マロンの姿が、もうない。窓から外へと逃亡を開始したのだ。……どうしよう。でもまずは、人間たちを助けないと!  そこで、またも、ぐらり。  今度は床が水平へと戻った。人間たちの絡みがほどけ、親しい人同士が無事を確認し合っている。え、どうして。煙はまだおさまっていないのに。なにが、どうなった。  華茂も窓を抜けて外に出る。するとそこには。  血だらけになりながら、飛行船を船底せんていから支えるつばめの姿があった。風に、風に、血が遊ばれている。 「つ、燕さん!!!! なにしてるの!?!?」 「華茂! 早く、マロンさんを追ってください!!」 「そ、そんな……だめ、だよ。燕さん……」 「早くっ!!!! 私も頑張りますから……どうか、この力を無駄にさせないでください!!」  燕の、覚悟を決めた瞳。  そうだ。  なにを迷っている。燕は身をていして華茂に追撃の機会をつくってくれた。  ならば。 「行くわよ」  華茂をたしなめるように、アルエの身体が浮上した。肩には「ニーウ」と、白猫の影。遅れるわけにはいかない。華茂も燕に目礼もくれいを入れて、アルエに続く。  華茂は元々飛行魔法が得意ではない。イアとの修行により、少し開花したくらいだ。アルエの像はみるみるうちに粒と化していく。それでも手負いのマロンに追いつくのは、それほど難しい問題ではなかった。  ボロボロになった制服。そしてあちこちの肌が見える、マロンの背中。  華茂がマロンに追いついた時、ちょうどマロンの進行途上にアルエが浮いていた。マロンは行き場所を失い、ただ空中に漂うのみ。すなわちこれは、挟み撃ちの格好だ。 「マロンさん、もう逃げられないよ」  華茂が言うと、マロンは荒い息をつきながらこちらを見た。 「逃げられないって……うちを、どうしようっての?」 「リーフスのお茶会に来て。あれだけ暴れたあなたを、このまま放っておくことはできないよ」 「へっ……。うちを、お茶会に……はは」  マロンの声に、力はなかった。  実際、彼女からはもう抗うような気持ちが感じられなかった。チャーミも遁走とんそうしたことだし、ハーバルの脅威はここで終焉を迎えたのだと。華茂は、そう感じた。  だが。 「…………!?」  気配がした。  それは、青という青をらう、たしかな漆黒。  雲が蠢動しゅんどうした。なにかによってかき混ぜられているような痺れが勃発ぼっぱつしている。  華茂は気づいた。  アルエが下方を確認し、こめかみからひと筋の汗を垂らしていることに。 「…………え。レティシア、さん?」 「そ、んな」 「レティシアさん? どうしたの? なにかおかしいことあるの?」 「アルエは、たったの三日前に、はらったはずなのに……」  そこでようやく、華茂も異常の正体に気づく。  これは間違いない。華茂もよく知っている……いや、魔女であれば誰もが知る、致死の存在。  そいつは、ゴ、ゴゴゴゴゴ、ゴゴゴッゴゴゴゴゴ…………と、渦を巻きながらやってきた。  けがれ――――。  一歩遅れた。  対応が、ただの一歩遅れた。  華茂はガアアアアアアアアアアアアアア――――ッッッ!!!!!! と吹き上げてきた穢れの竜巻に、容易くその身をさらわれた。アルエもだ。 「なぜ、 た つ まき  三日 おかし」  アルエが喋っているが、その声も途切れ途切れ。  う   ず が   かも の み を    ふり     まわ す  こ え は    でな い   め が たしょう  き   く      だ け  混乱が混沌こんとんを呼び、消炭色けしずみいろちた視界。  しかしぼんやりと、上方にマロンの像を捉えることができた。どうやら、マロンだけはこの竜巻を回避することに成功したようだ。  マロンは、腰に手を当ててわらっていた。 「神だな!」  マロンの周囲に白いさざ波が奔る。 「こいつぁ、うちにとって神さん! 全部……全部全部全部全部!! こいつで終わりだぁああぁぁああぁぁ!!!!!!」  そのさざ波は、豆腐を両手で潰すように圧縮されていく。  透明さをともなっていた波は、マロンの正中線せいちゅうせんの前で一本の鉛白えんぱくと化した。  神、とマロンは言う。  だが華茂にとって、その時のマロンの荘厳さはまさに、風の神ではないかと感じられたほどだった。 (全てを無にかえす――――遠大なる、かみ) 『円環フラッシュライト、最大出力!!!!!! 一波輝線いっぱきせんッッッ!!!!!!』  なたがごとき風の刃が、マロンから放たれる。  それは豪速。  そして、確殺かくさつ。  穢れの渦をものともせず、一直線に華茂に向かって進んできた。追尾の機能があるのか、渦の流れも計算に入れて、確実に華茂へと近づいてくる。  受けようがない。  魔法で返すこともできない。  ならばせめて、この身を炎にくるめ、減殺げんさいを狙うしかない――。  後のことは燕に託そう。このままここで泡と消えるか、ライラの回復魔法まで持ちこたえられるか。それはわからない。わからないから、やるしかない。  刮目かつもくして炎を念じたその時――――、 『にゃうぁああぁあぁぁぁぁああぁっぁぁあぁぁっっっ!!!!!!』  ニーウの、ひと鳴きだった。  小さく開いた、いとしい口。  ニーウは全てを呑みこんだ。  穢れの黒も。竜巻も。  ……そして、マロンの魔法の最終形も。 「にー、にー、にぃ!」  あっけなかった。  ほんとうに、あっけなかったんだ。  全てが過ぎ去った後、そこに残ったのは、親指を頭に当てたアルエ。そして、小さなげっぷを一つする、ニーウの姿だけだった。 「ばか、な。……ないでしょ。そりゃ、ないよ」  マロンが半笑いになっている。だがその唇は、細かく震えている。 「ばかなばかなばかなばかなばかなばかな!!!! そりゃない。そんなのーないよー」  アルエはマロンに涼しい視線を送り、ニーウを肩へと呼び戻す。 「なにか、疑問でもあるかしら?」 「いやだってさ! あははは! うちの、最強の魔法だよ? あはは?」 「簡単なこと。マロンちゃんに実力がないからでしょう。アルエよりも」  そこで、マロンの笑いがふとやむ。  マロンは元々大きい目をさらにぎょろつかせ、ぐう、と両の拳を握った。 「華茂ちゃん」  アルエが、横目で言う。 「マロンちゃんの魔力は、もうほとんどないわ」  ――そうだろう。  回復魔法というのは相当魔力を食うと聞いたことがある。それに加えてあれだけの風魔法を放ったのだから、当然といえば当然だ。 「アルエはね、マロンちゃんと友達だった時もあるの。つい最近のことだけど、アルエはすごく楽しかったわ」  華茂の脳裏に、花のように笑い合う二人の姿が映った。  あの笑顔に、嘘はなかったのだ。 「だから最後は、華茂ちゃんに委ねる。決着は……あなたにつけてほしい」  華茂は、うん、とうなずく。  いつも優柔不断なのが悪いくせ。  だけど今は、迷ったりはしなかった。  こころを、もらった気がしたから。  華茂はグゥ――――ンと上昇する。マロンをこのままにしておいては、また次の事件を引き起こしてしまう。人間を護るためにも、あの魔女を放置することはできない。  マロンもこちらに目を向けた。しかしその目はなぜか、落ち着いていた。笑みさえ見えた気がした。そのままマロンは急降下。華茂とともに、半直線で結ばれる。  マロンが、来る。  最後の力を乗せて。  腕を振りかぶった。華茂も、拳に炎を宿す。 「うちは、負けない! 人間に馬鹿にされて、裏切られて。負けて、負けて、負けて、負けて……まだ負けてたまるもんか。…………たまるもんかあぁぁぁああぁぁぁぁぁぁあぁっっっ!!!!!!」 「わたしは一人じゃない! だから、負けないんだよぉぉぉぉぉっっっ!!!!!!」  さすがは、風の魔女だった。  風を司る、強い強い魔女だった。  最後の最後の最後は……やはり、手刀できた。  そしてそれを、華茂はわかっていた。華茂がマロンという魔女の矜持プライドを信じることができたからこそ、マロンの手刀を屈伸でかわし――――、 『火龍ひのたち――――――ッ!!!!!!』  マロンの腹部に、炎熱の拳を叩きこむことができたのだ。  厳罰と化したほむらが、マロンの内臓を通過した。と、華茂は感覚で知った。  固めた拳を、ぶるぶるぶるぶると震わせる。まぶたに、涙をにじませて。  マロンは完全に意識を失った。ぐらりと身体を傾け、そのまま地上へと降っていく。金髪で明るい、そして風を司る魔女ロール=オブ=マロン。しかし彼女の身体は、途中で柔らかく止まった。  アルエの両腕、だった。  アルエが抱える腕の中、マロンは半口を開けてぐったりとしている。 「しばらくおやすみ。マロンちゃん」  アルエは目を閉じると、マロンのぷっくりとした頬に小さくキスをした。  時が、失われる。  華茂は、ふにゃっと笑った。  ――笑えた。 (わたしも行きたい。早く行きたい。大好きな、燕さんのところへ)  よたよたと体勢を整え、ゆっくりと下降に入る。  だが、その時だった。  全天が白群びゃくぐん――遙かなる水色へと染まった。  神話のような空。目を凝らして見ると、それらは全て氷で形成されている。  バキン、と音が鳴り。氷に稲妻のごときひびが入る。 「く。ら。えぇええぇえぇぇえぇぇぇえ――――――ッッッ!!!!!! キャーハハハハハハハハッハハハハハハハハハハ!!!!!!」  血を垂らした武器が、狂った回転音をがなりたてる。  チェーンソーをかつぎ面の格好に構えたチャーミが、氷の隙間から銀閃ぎんせんを描いた!

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