魔女のお茶会
最終章③(夕顔の花言葉、知ってる?)

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「さぁさ、どうぞどうぞぉ~~!!」  蘭麗らんれいが目を細め、開いた手でお茶を勧めてくる。  角に丸みを帯びた長方形のテーブルへ、華茂かもたちは招待を受けていた。テーブルの中央、トルコキキョウと手毬草てまりぐさのアレンジメントが実に涼しそう。月餅げっぺいというお茶菓子を皿いっぱいに出されたのだが、それはお腹いっぱいだからいらないと断った。 「どうしたの。久しぶりの再会を祝して、一緒に飲もうよ!」  蘭麗は変わらぬ笑顔で、きょろきょろと左右を見渡す。  だけど、と華茂は思う。  本当にこの歓迎に乗ってしまっていいのだろうか。蘭麗は華茂たちを見つけるやいなや、船橋せんきょうの上で大きく手を振った。まさに今から決戦、と身構えていた華茂にとってはとんだ拍子抜けだった。蘭麗は自分の船に華茂たちを導き入れただけでなく、こうやって急遽のお茶会を開こうとまで言い出したのだ。  しかしこの魔女、油断ならない。  華茂は蘭麗と、一度会ったことがある。そう、あれは、ライラの魔力が回復するまでの間に、つばめと大陸中央の町へと降り立った時のことだった。蘭麗は人間の振りをして華茂にキネトスコープを観せようとした。結局眠ってしまって観ることは叶わなかったのだけど、そこで不思議な夢を見たような気がする。蘭麗はなんのために華茂と燕をキネトスコープへと呼びこんだのか。そこで、なにをしたかったのか。  気まぐれ? ……いや。この魔女は、目的なく行動するようなタイプには思えない。おそらくなんらかの狙いがあったのだ。実害を受けたわけではないのだけど、蘭麗の思惑おもわくがわからない以上、お茶会の誘いにホイホイと乗ることはできない。  そんな華茂の心配を読んだのだろうか、蘭麗は自分のカップを左指で手際よく取り、その中身を小ぶりな唇へと運んだ。へぇ。この人、左利きなんだ。 「ほらぁ。毒なんて入ってないよ」  それでも華茂はカップを手に取らない。燕とライラも険しい表情のまま押し黙っている。  すると蘭麗は、唇にわずかな苛立ちを表した。 「そんなふうに疑うの? なら、レティシア=アルエを返さなくてもいいの? あっそう」  どうやら蘭麗の勧めるこのお茶を飲まなければ、アルエの奪還はならないらしい。どうすればいいのか。迷いが空気ににじみこむ中、口を開いたのはライラだった。 「まず確認させてほしい。あなたは、ハーバルなんだよね?」 「うん、そうだよ」  蘭麗はなにも気にしない感じで、あくまであっけらかんと答える。 「だったらライラたちが邪魔なはずでしょ? ここまでもてなす理由はなに?」 「一度、貴女たちと話し合いたかったのよ。レティシアをさらったのも、貴女たちにこのテーブルについてもらいたかったからなの」  そう言って、蘭麗は再びお茶をひと口飲んだ。 「魔女同士で争っても不毛なだけだわ。あたしはハーバルだけど、ハーバルって別に魔女の敵でいたいと思ってるわけじゃないんだもん」 「わかった。それはそれでいい。じゃああなたは、ライラたちになにを求めるの?」 「だから話し合いたいんだって。人間の扱いをどうするか、一緒に考えましょうよ」  蘭麗の言い分は、理にはかなっている。華茂も、魔女同士で戦いたくはない。もっといえば、誰とも戦いたくはないのだ。  蘭麗は涼しい目で華茂を眺め、微笑びしょうした。 「だけどいきなり議論をするのも野暮やぼよね。まずはお茶会を楽しんで、休戦のあかしとしましょう。話は明日、レティシアとリリー先生が起きてきてからでいいじゃない」  ……あ。そうだ。  華茂はバルーンバックのサロンチェアを引いて姿勢を正した。これは、訊いておきたい。 「リリーさんは、生きていたんだよね?」 「ええ、そうよ。なんとか命をとりとめた状態だったけどね。リリー先生をあそこまで追いこむなんて、貴女の魔力は見事としか言いようがないわ」 「怪我は……残ってない?」 「うふふ」  蘭麗は、口元を手で押さえる。 「華茂は、優しい魔女ね。あたしが回復させたから大丈夫よ」 「そっか……。さっき、リリーさんのことを先生って呼んでたけど、もしかして……」 「先生よ。あたしが魔女学校にいた時、魔法の使い方を教えてくださっていたの」  どうやら蘭麗とリリーの間には、ハーバルという立場だけでなく、長年に渡ってつむがれてきた親密な関係があるようだ。華茂は、あらためて安心の息をついた。 「でもさぁ、わたしと蘭麗さん、一度会ったことあるよね」 「そうね。どこかの町で会ったわね」 「あの時、なんで人間の振りをしてわたしと燕さんにキネトスコープを観せようとしたの?」 「リリー先生を苦しめた魔女がどんな子なのか、見てみたかったの。ただの興味本位。それだけよ」 「ふうん……」  とりあえず、といった感じで相槌あいづちを返す。そうなのだろうか。この言葉を信じてよいのだろうか。ライラが「会ったことあるの」と訊いてきたので、こちらにもうなずいておく。 「さぁさ!」  蘭麗がパァンと手を打つ。 「疑問も解けたところで、お茶を楽しみましょう! あたしたちの未来に乾杯!」  勢いに負け最初にカップの持ち手に指を通したのは、華茂だった。二秒後に燕、恐る恐るの表情でライラが続く。  全員で、同時にお茶を飲む。  最初は酸っぱい感じがしたが、その酸っぱさが歯と歯茎の間に染み渡ると口の中に夕暮れが広がった。一日の頑張りを労うような優しさ。一つ呼吸をすると、香ばしさを含んだ湯気がほのかに漏れた。 「……ん。旨いな」  ライラが少々寄り目で呟く。近距離からカップの中をのぞきこんでいるのだ。燕もしばらくは幸せそうな顔をしていたが、目を大きく見開くと首を傾げた。 「華茂、あの」 「どうしたの、燕さん」 「私、このお茶を、どこかで飲んだ気がするんです」 「そうなの? わたしは、飲んだことないなぁ」  言いながら正面を見ると、蘭麗はいつの間にか手に棒のようなものを握っていた。 「これはね、水仙茶っていうの」 「へぇ。やっぱり初めて聞く名前だね」 「水仙って、毒なのよ」  蘭麗がそう言った瞬間、ライラがドン! と机を殴り立ち上がった。華茂の肩が痙攣けいれんし、燕は鼻をひくひくとさせる。 「あっはは!」  蘭麗は猫のような目で爆笑した。 「冗談冗談! 毒を飲ませるわけないじゃない! 面白いわねぇ、貴女たち」  いや、蘭麗はちょっと前まで敵だったのだし、こんなの冗談にならないだろう……。華茂は身体全体で息をし、ライラは舌打ち一つで再びチェアに座り直す。 「もう! そういうのやめてよ!」 「あはは! はは。もし毒だったら、あたしが飲めと言われた時に困るじゃない」 「そりゃ、そうだけど……って。蘭麗さん、それ、なに持ってるの?」 「ああ、これ」  蘭麗はゆるりと立ち上がり、棒から手元ロクロを押し上げる。軒紙のきがみが優雅に広がった。これは……、番傘だ。べにの軒紙には渦巻き状に、白い夕顔が描かれている。  船の中でなぜ番傘を差すのかはわからない。  タイトなドレスを着た蘭麗が柄を肩に乗せると、斜めに構えられた番傘と相まってぞっとするようなつややかさが感じられた。 「夕顔の花言葉、知ってる?」  蘭麗が軒紙をこちらに向け、くるくると回す。半分が傘に隠れたその顔の上部で、彼女の瞳は銀にきらめいた。 「罪よ。今から、貴女たちの罪が裁かれる」  ――えっ。  視界がぼける。  蘭麗の姿が、番傘が、四つにも五つにも見える。  ライラが椅子から転げ落ちた。テーブルを掴んで立ち上がろうとするも、やはり倒れた。隣の燕は華茂の肩におでこを当て、そのままずるずると崩れていく。 「あ、な、た、」  華茂は必死に声を絞り出すが、それ以上が喉の奥でシャットアウトされる。 「うふふ。お茶には注意したみたいだけど、まだまだ経験が足りなかったわねぇ。あたしは貴女たちの利き手まで、ちゃーんと調べていたのに」  そ、うか。  蘭麗は……お茶に毒を混ぜていたのではない。  カップの片方側のみに毒を塗っていたのだ。  だから、左利きの蘭麗だけが毒を飲まなくて済んだ。こんな初歩的な戦術に引っかかるなんて本当に愚かだ。……でもお茶を飲んでいる間、華茂は毒の味を感じなかった。なのに、どうして。 「そりゃ、致死の毒なら味で見破られるかもしれないからねぇ。罰の執行はもう少し先にしてあげたから、人生を振り返る時間はまだあるわ。その時間を、どうぞ楽しみなさい」  番傘の回転が速くなる。  白の渦はまるで、死の舞踏リンド。  眼前の色覚は急速に失われていき、やがて、闇と化した。  ……。  …………。  ……ん。  んん……。  華茂の二の腕と骨盤が、なんともいえない固さを覚えた。  眠りたい。  だけど、眠ってはいけないと、自分で自分に警笛を鳴らす。  脳に一枚もやがかかっている。振り払え……振り払え……。 「んぅ」と声を出した。  まだ覚醒しない。  手を伸ばす。震えている。その手で自分の頬をはたいた。頭の中が燃える。手の甲をつねり上げる。意識はまだ、途切れ途切れ。「あ、あ、」声を出す。四つん這いになった。もう一度頬を叩く。じいん、と痛みがきた。肘を床にこすりつける。こする。こすりつける。 「あああああああああ!!!!!!」  叫んだ。  力の限りに叫んだ。そして立ち上がった。どこだ、ここは。  眼球に命じる。見よ。視認せよ。  華茂は、四方を石の壁に囲まれた部屋に閉じこめられていた。斜め上、正方形に開いた空間から月の光が差している。だがその穴も、華茂の身体が通る面積ではない。かすかにかすかに、波の音が聞こえた。  正面を見る。道があった。扉は設けられていないようだ。ここから脱出することはたやすい。道の先には、直角に交わる広い通路があるらしい。  とりあえず、動こう――。  そう思った瞬間、通路の端がパアッと瞬いた。  ……え。  ええ……っ?  ドオオオオォォォオオオォォンンン!!!!!!  龍のあぎとのような火柱が、水平に奔った。輻射熱ふくしゃねつが華茂の顔面をチリチリと焦がす。  今見つけたばかりの、脱出路。  その道は赤熱せきねつ虎口ここうにより、即座に封じられた。

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