魔女のお茶会
最終章⑦(この世の全て)

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 リリーの頬に哀しみが滑った。  華茂かもはリリーではないのだから、ほんとのところどうなのかはわからない。  だけどやはり、リリーは残念そうな顔で華茂たちを見下ろしていたのだ。それは、最後までとっておいたハンバーグを食べ終わった後のような表情だった。 「狭いわ」  リリーはバイオリンを消し、貝殻の模様に似た穹窿きゅうりゅうに人差し指を向ける。  その指先から一つの火球かきゅうが出現。火球はゆっくり、ゆっくりと馬鹿にするような速さで穹窿へと進んでいく。音はない。全員で、光の源を見つめる。  そして火球が天井に到達し、そのなめらかな表面で舐めた途端――、  ドボゥゥオオゥォォオゥゥ!!!!!!  漆喰しっくい一面に炎がはしり、柱梁ちゅうりょうもたちまちのうちに崩壊する。あーっ、とあくびをするように落ちてくる溶解石ようかいせき。華茂たちの斜め上に現れたのは、すっぽりとした穴だった。穴から星屑が瞬きをする。ほんのわずか、あおみがかかる。リリーは、まだパチパチと燃えるおきをのんびりとした目で見やった。 「遠野とおのさん。あたしとあなたが踊るには、此処は少々狭すぎるのでございます」  リリーは、燕にもライラにもアルエにも、まったく注目していないようだった。目もくれない。まるで無視。華茂とリリーだけが、瞳水晶ひとみすいしょうで会話する。 「参りましょう」 「……どこへ」  リリーは自らの唇を、舌でわずかに湿らせた。 「ともに、宇宙そらへ」  リリーが舞い上がっていく。早く来いと。ずっとずっとお前を待っていたのだと。その泰然たいぜんとした目で語りかけてくる。  蘭麗らんれいもリリーに続く。強敵二人が、闘場とうじょうの高度を上げていく。  華茂は昔から、戦いというものが嫌いだった。  魔女学校の攻撃魔法の授業でも、華茂だけがいつも居残りをさせられていた。  だって、嫌なんだもん。  痛い思いをするのは嫌だ。誰かを傷つけたくはない。皮膚を少し切っただけでも、一日中そのことばかりを考えてしまう。痛みは生きる気力を浸食する。みんなが笑って生きるためには、戦う以外の解決策をとるべきだ。模索すべきだ。  しかし今の華茂の喉は、こう奏でた。 「行こう――」と。  一拍の後、背中の向こうのライラから「そ、そうだな。島の人間に迷惑がかかるもんな……」という答えがあった。わずかな、ためらいの気配を乗せて。  この気持ちはなんなのだろう。  なんというか、手紙の返事を書く時に似ている。  リリーと蘭麗は華茂との時間を求めていたのだ。それに応えなければならない、という思いが胸を焦がす。少しずつ、少しずつ。地面から足下が離去していく。  その速度が、増した。  増した増した増した増した増した増した増した。  この胸を打ついのちの音と、呼応するように。  増した増した増した増した増した増した増した。  もしかしたら華茂は、リリーの心を読んだのかもしれない。  寂寥せきりょう黒天こくてんへ向かって。  進め進め進め。  華茂の高度がリリーたちに追いついた。互いに攻撃せず、牽制けんせいせず、存在を認め合ったまま昇っていく。風が縦に流れる。それはさながら急流のよう。島はもう見えない。半島が見える。大陸も臨める。雲叢くもむらが喝采を上げる。  空気、温度、そして弱音――。  全てが零と化した宇宙にて、華茂はリリーと対峙した。はっきりと、確実に。  決戦の時が、訪れた。  そしてリリーは、そっと口を開いた。 「このリリー=フローレス。大魔女と呼ばれて幾年月いくとせつき。その名を手放しに喜んでいたわけではございません。年増扱いを受けているようで」  リリーは、おかしむ、といった感じでおかしんでいる。 「ですがその名に恥じぬ自信はございました。……あなたと、会うまでは」 「わたしも……あなたと会うまで、本気で怒ったことはなかったよ」  そこに、ようやく燕たちが追いついてきた。  全員で横並びし、リリーと向き合う。 「ふふ。零式燕ぜろしきのつばめ、ライラ=ハーゲン。魔女学校の主席かなにか知りませんが、ともに赤子同然。魔力だけが自慢のレティシア=アルエも経験不足で戦術などからっきし」  アルエの奥歯がぎりっと鳴る。  おそらくアルエはリリーの黒魔法で連れ去られたという事実を思い出し、そのふがいなさを自らに叩きつけているのだろう。  そしてアルエは、音もなく華茂の前に出た。 「あ、アルエさん?」 「いくらなんでも失礼だわ。今の言葉、取り消しなさい」  次にもう一人、アルエの隣へと並ぶ。  ライラのツインテールは幾分、怒りのために逆立っていた。 「華茂ちゃん、悪いけどここはライラにやらせてもらうわ」  そして最後。  燕が、華茂を護るように両手を広げた。 「華茂にはもう二度と手を汚させません。汚れるなら、私の手だけで充分です」  三人は無言でコンタクトをとり、三方へと散った。 『静かな湖だった。そこにはなにもなかった。私が水面みなもを指でつつけば、水たちは揺らぎ、やがて暴れ出した。水が歴史を変える。ゆえに私は、歴史の創造者である』  アルエの両肩から、著しい砂塵さじんが巻き起こる!! 『雲の峰。音色が、りぃん、りぃん。蝉の鳴く音を越していく。どうかまだ、アムトを呼ばないでおくれ。今宵、私の街は燃え尽きてしまうのだから』  ライラの両手の指が振動し、その先から炎波えんぱが姿を現した! 『ラクト音楽ディッフェが聞こえるかしら。その先端で貴女の胸を突くかしら。私は横から眺めていましょう。ラクトが貴女を仕留め損ねた時、ホルンの刺突を贈れるように』  燕の頭上に、何者をも貫く氷槍が像を結ぶ!  そしてそれが、合図だった! 『いざなうわ! 駆逐くちくせよ――――不退転セオリアンッッ!!!!』 『Ignition of Wonderland暁のワンダーランドおおおっッッ!!!!』 『氷舞ひむらァァァァァァ――――ッッ!!!!!!』 「雑魚クソガキどもがッッ!!!! 身の程をわきまえながら泡になりなさい!!!!!!」  ニーウの吐いた砂が薔薇の模様へと変わる。ぐにゃぐにゃと揺蕩たゆたっていたが、突如として急旋回した。緩から急。薔薇は、リリーという餌を発見したらしい。  ライラからは、二つの炎波が完璧なリズムで放たれた。まるで炎の毒蛇。サイドワインダー。リリーの側方を狙い、一分の迷いもなく進んでいく。  それらの魔法より前に、さらなる駿足で飛び出したのは燕だった。片腕を大きく振ると、氷の槍は一直線に空間を割る。燕自身も前傾姿勢で飛びこんでいく。  まずリリーに到達したのは、燕だ。  上段回し蹴り。  ビシッ! ――とリリーは腕で止め、  重心を入れ替えて、逆側の脚で上段回し蹴り。  ビシッ! ――やはりリリーは、逆側の腕で止める。  そこで炎波が分岐ぶんきする。左右に分かれた炎は、挟みこむようにリリーへと襲いかかった。リリーはバイオリンの弓だけを魔法で現出げんしゅつ。一方の炎を弓で払い、もう一方をかがんでかわす。二つの炎は真空をクロスする形となり、リリーとの邂逅かいこうに失敗する。 「はあっ!」  気合一発、燕の下段蹴り。しかも燕はリリーと同じくしゃがんでいる。屈伸した者同士、同一線上からの急襲だ。その脚は鞭のようにしなる。蓄えに蓄えた弾性エネルギー。脚の像がブレる。 「逢魔掃討ジャム・ホルヴァルッ!」  リリーの前に、四本の火柱が立つ。燕は慌てて脚を引っこめた。しかし勢いを殺すことはできず、燕はいわゆる空振った状態で脚を上に向けた。そこを見逃すリリーではない。火柱の方向を水平に変え、唇からフッと息を一つ。火柱は光線のごとく燕の脇腹を目指す。  がぎゃ ―― ぁああぁぁぁぁ ―― ああぁっっ!!!!  その火柱を喰らったのは、アルエの魔法――薔薇だった。燕はすんでのところで火柱との直撃を避ける。その顔には、九死に一生を得た思いが描かれている。  薔薇はまだ満足をしない。リリーを包みこむように接近。だがリリーが弓でビュン! ビュン! と十字を描くと、その形の光線が薔薇の表面へと沈んだ。光は粒となり、果てる。同時に、ニーウが「にいひっ」と小さなげっぷをした。 「単純でございますね。また、先日と同じ結末を味わいたいのでございますか?」  リリーの挑発を受けて、アルエの顔に悔しさが滲む。  ――そうか。  リリーはあえて、ニーウに魔法を食わせたのだ。  アルエの魔法は無から有を生み出し、有を無に還す強力な魔法。その魔力だけなら他の魔女の追随ついずいを許さない。それはたとえ、相手がリリーであったとしてもだ。  しかしリリーはアルエの弱点を逃さなかった。リリーもまた、強大な魔力をもった魔女である。例えるなら、リリーが雨でアルエがつつみ。堤は水の進行を許さない。しかし豪雨に次ぐ豪雨を叩きこめば、いかなる堤防も決壊してしまう。 「魔女学校の頃を、思い出しますわね」  リリーは自らのドレスを手で払い、たたずまいを正す。 「あなたはあたしの生徒でした。そしてあたしはあなたの才能を見抜きました。それがゆえ、あなたに与えなかったものがあるのでございます。それがなにか、わかりますか?」  アルエは答えない。本当にわからないように、小さく首を傾げる。  その仕草を見て、リリーは不敵に笑った。 「自信。生きていく中で、最も大切なものの一つ。自信のない天才は、自信のある凡人に到底敵わないものなのでございます。あたしがせっかくあなたから牙を抜いて差し上げたというのに……」  リリーの黒目が、燕、ライラ、華茂の順に射貫いていく。 「余計なことを……」  リリーは再び薔薇に目をやり、  やり、  やり――――、  ギュウゥゥゥウウゥウゥゥゥゥンンン!!!!!!  ――――ぱしっ。  薔薇の下をくぐってリリーに伸びてきた氷槍ひょうそうを、足裏だけで鮮やかに止めた。 「なんとあざとい。零式さん、あたしの痴呆ちほうにでも期待したのでございますか?」  燕の口から吐息が漏れる。そして、不自然な瞬きが繰り返された。  きっと燕は……、氷槍を打ち出すタイミングをはかっていたのだ。そしてリリーが雄弁になった今こそがチャンスだと思った。しかしリリーは忘れていなかった。かつて自分のふとももを出血に至らせた忌まわしき氷を、けして忘れてなどいなかったのだ。 「で、お次はここでございましょう……ねっ!!」  リリーが弓で薔薇の中心を突く。  そのままぐるぐるとかき混ぜると、刺突の点からザァアアアァァァ!! と砂が散った。それらはマーブル状となりながら、リリーの身体を避ける形で宇宙に溶けていく。  今のはおそらく。燕の――、土魔法。 「これも芸がございません。砂の中に砂を隠す。レティシアとの連携は見事でしたが、こんなものを見抜けないようでは、あたしはあたしになれませんから」  そこでアルエの魔法が解け、薔薇はただの砂粒と化した。アニンの重力にその身を委ね、バラバラバラと瓦解がかいする。  リリーは燕たちに向かって、弓を厳しくしならせた。 「さぁて、誰から泡にしてあげましょうか。蘭麗、誰がよいかしら?」 「そうね。じゃあ、レティシアなんてどう? あたし、幸せなのに孤独ぶっている子ってどうも好きになれないのよねぇ」 「なるほど。では、これまで働いて下さった蘭麗にねぎらいの意を込めて――レティシアから、即死でございましょう」  リリーはアルエに照準を合わせる。  もちろん燕とライラは傍観ぼうかんしない。華茂もそこに加わり、三人でアルエの身体を護るように浮いた。誰一人、死なせない。みんなでお茶会に戻るんだ。帰るんだ。  絶対に――。 「ふっ。あまり近づいていると、一緒に溶けてしまいますわ、  リリーが指先に炎を点した、刹那。  よ」  リリーの顔が、ぐにゃりと歪んだ。 「この気配……」  うつむき、なにかを感じとろうとするリリー。 「この気配は……そして魔力は……」  同時に、華茂の頭にも電流が走った。  ビィーン! とくるこの感覚。温かさ。強さ。ほがらかさ。冷静さ。美しさ。  この世の全てに興味をもち、この世の全てを信じた、この懐かしさ。  そう。  そうだったよ。  イア師匠はたしかにたしかに。そういう、魔女だった。 「リリー師匠! ティーナさんがここに近づいている! 急いで!」  蘭麗が叫ぶ。 「やかましい!!」  リリーが一喝で返す。  ……なんと頼もしい。ただの気配だけで、敵二人の優勢を打ち崩すなんて。  イアは、生きていたんだ。  生きて、生きて、生きて。  そしてまた、華茂たちを護ろうと高速で近づいて来ている。  なんて、魔女。  華茂の目尻から、ぽろりと涙がこぼれた。戦いの真っ最中だというのに情けない。喜びの言葉も、仲間を鼓舞こぶする言葉も唇を離れてくれない。ただただ、涙が涙があふれてくる。  だけど華茂だけじゃなかった。  燕も泣いていた。ライラも瞼をこすっていた。  みんなの希望。希望が間もなく――、ここへやって来る。 「時間がないので、ございますか」  リリーはためらいもなくバイオリンを出した。ルーレットのような動きでバイオリンに弓を構える。あの魔法は、あの魔法は……っ! 「みんな、集中して!」 「……あっ!」 「え?」 「…………?」  華茂は神経の全てを集中させた。たちまち忍び寄ってくる死の影を知っているから。  かげりに負けるな。  血液よ。一瞬だけでいい。  ――――止まれ。  疾風はやては春の祖となるも  そのひと吹きに春あらじ  珂雪かせつは冬の祖となるも  そのひとひらに冬あらじ――  リリーの、流麗な演奏がその場を満たす。  ジ……ジジジ……と、磁場が生じる。  探るような目でリリーを見ていたライラ。その身体が、ドクン、と跳ねた。 「ぐ、ぐ……? ああっ?」  そして歯同士を合わせたまま、ライラの唇が開かれる。 「ぐぎゃぁああぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁ――――――――――っっっ!!!!!!」 「な、なにっ?」  異常事態に驚くアルエもまた、胸郭きょうかくを震わせた。 「ああああ……あつ、あっ、熱い……うぅぅぅぅぅぅぅうううう!!!!!!」  二人は両手の指を第二関節で曲げ、なにもない空間を掻こう掻こうとする。  しかしいくらもがこうとも、身中の毒からは逃げられない。 「ライラさん! レティシアさんっ!!」  華茂が疾呼しっこするのと蘭麗が詠唱えいしょうを始めるのは、ほぼ、同時だった。 『龍が如く希望を押し流す水に告ぐ。敵の慧眼すいがんを、黒く塞げ――』  灰色の手が二つ、実像を得る。  手首から先だけの手。それはおそらく、蘭麗の魔法だ。  その二つの手は最短距離でライラとアルエに接近し――、  彼女たちの心臓を、邪悪に捉えた。 「戦意喪失確認! リリー師匠、今だっ!」 「蘭麗、見事でございます! はっ!」  リリー上方の空域から2メートルほどの板とU字型の桎梏しっこくが現れた。それらは目にも止まらぬ速度でライラとアルエを囲い、二人の手首を襲った。  壁にべとりと張りつけられ、両手を挙げた状態で自由を塞がれる。ライラとアルエは完全に身動きがとれなくなってしまった。黒魔法の波動を受けていた華茂には、二人を助ける余力などまったくなかった。完全に、やられた。 「う、く……」  しかし、華茂はあごに力を入れる。  自分の二の腕を、バアン! と一発殴る。  耐えた。  耐えたのだ、華茂は。  そして横を見れば、燕も拳を構えていた。  一度受けた技は二度くわない。それはリリーだけの特権ではない。  もう一度、言おう。  華茂と燕は、耐えたのだ。  全身の血液を沸騰させる、恐るべき魔法――『青銅のSleeplessスリープレスNightナイト』に。  あの演奏を聴いてもなお、この身から力は消失しない。  あるのだ。  ――――ある。  惨めに倒れたりする心はもう、永訣えいけつした。戦うだけの気持ちがあふれる。明日のために。そして、今のために。お前など微塵も怖くないのだ――、大魔女リリー=フローレスよ。 「へぇっ」  蘭麗は華茂を見て、意外そうな顔をした。 「あれが効かなかったんだ。すごいね、ほんとに」  そんなふうに誉められても嬉しくはない。だって、耐えることが目的ではないから。打ち勝つことが目的なのだから。  燕のために。すなわち、愛する人のために。  華茂がゆっくりと、身体の芯に力を注ぎ始める。そんな、時。  影が、現れたんだ。  そいつは、瞬間移動をしたというわけじゃない。  光ほどに速かった。そういうわけでもない。  だけど華茂はかわせなかった。  ドムッ! 「かはっ!?」  影は前蹴りを華茂の下腹にめりこませる。  ず、むっ……。 「げ、おおおおおおおおっ……」  影の正拳突きが、鳩尾みぞおちに決まった。  止まる呼吸。喉奥からせり上げてくる、胃液。  しかし、ギラリと輝く致命の一撃だけは首をひねって避けた。  それは華茂の顔面を紙一重で捉えず、宇宙の奥へと消えていく。  その正体を、華茂はたしかに見た。  鋭利な、氷の円錐。 「華茂……」  大好きな大好きな魔女が。  その柳眉りゅうびを、どこまでも高く、いからせていた。

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