魔女のお茶会
幕間:結婚道場

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「うわぁぁぁぁぁあ~~! お、おれと結婚してくれ~~!!」  その男は拳を振り上げて、ドタドタバタバタと道場の床を走った。  こりゃ、だめだ。足さばきダメ。もうちょい、すり足気味に距離を詰めなきゃ。  男の突進をヒョイと横に避け、 「不合格!!」  ナンドンランドンは、男の首にしたたかな手刀を入れた。  男は途端白目を剥き、前方へと倒れる。 「新顔じゃね! もうちょい修行せられ!」  ナンドンランドンは自分の、くせのあるショートカットを五指でつかんだ。  その格好で敗者を見下ろす。これが、ナンドンランドンが勝利の後にルーティンとして定めているポーズである。  ナンドンランドンは道場の中を、見渡す。  木枠で組んだ、直方体の建物。200平米ほどの敷地には、村の屈強な男たちが左右にずらりと並んでいる。ひのきでできた床板は、村のみんなで協力しカンナをかけてつくったものだ。むぅ、と湿度高し。 「さ、今日のお次は誰じゃ?」  ナンドンランドンが腰に手を当てて問うと、一人の男がぬっと手を挙げた。 「おらがやる」  手を挙げたのは、村一番の怪力男――パチャラだ。ナンドンランドンの背丈も相当なものだが、パチャラはさらに頭一つ高い。パチャラの家は千年の昔から村の多くの土地を治めており、彼自身村人から尊敬を得ている男である。 「ナンドン、今日こそおらと結婚してもらうぞ」 「ええよ。ボクに勝ったら結婚したげる。嘘は言わんよ」 「なら……行くぞ……」 「ところでキミ、どうしてそんなにボクと結婚したいの?」  訊くと、パチャラはじろりと目を据えた。 「強い子を、産んでほしいからだ!!」  ……うん。その答え……。 「百点ッッ!!!!」  両者、時を同じくして跳ぶ。  2トンに及ぶ衝撃派が檜に走り、あぐらをかいている観戦者たちはぐらぐらと揺れた。  激突は道場の中央。ナンドンランドンが腰をひねって拳を突き出すと、パチャラは巨大な手のひらでそれを止めた。パチャラが肩の力で押し離す。たたらを踏む、ナンドンランドン。そこへ、パチャラの張り手が去来した。  両足を同時に空へ逃がし、距離をとる。着地の瞬間、胸がぶるんと揺れた。村の人間は「子供をたくさん育てられる、いい乳房だ」とか無責任なことをのたまうけれど、戦いを第一義とするナンドンランドンにとっては邪魔以外の何者でもない。  バッ、バッ、バッ!!  張り手の連打。それは花火のクライマックスがごとし。だがナンドンランドンは頭の位置をまったく変えることなく、すり足で後方へと下がる。かわす。いくら冷静に回避しても、胸だけは不規則に波打つ。実に困ったものだ。 「だぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁ!!!!」  パチャラの張り手がさらに激しくなる。  ――うん。  いいぞ。そうこなくっちゃ。  パチャラは毎日毎日樹を打ち、練習に励んできたのだろう。それこそが生き物のとるべき行動。強者への憧れ。ナンドンランドンの、賞賛に値する行為。 (じゃあ、こっちもちいと本気出さにゃいけんの――)  ナンドンランドンは床との接地面を、足裏の母指内転筋ぼしないてんきんのみに絞った。  スピードは、ぐんと増す。 「な、ナンドンランドンが!」 「何人もいやがる!!」  外野が騒ぎ立てる。あまりの高速移動に、分身が生じたのだろう。  さ、いくぞぉ――。 『十七日の記念日ファークスまで、あと五夜。固唾がお前の歯を越えていく。森の中では、据えたオーガニック。死への協奏。待て待て待て待て――わずか、五夜』  う、ううううううううう……、 「うがあああああああああああッッッ!!!!」  ナンドンランドン、叫び、跳ぶ。  パチャラは当然その隙を逃さない。空中に身を浮かせたが最後、平行移動は止まったも同然だということをよく知っているのだろう。パチャラはアッパーカットの軌道で、肘をねじったとどめの張り手を放ってきた。  ――――が。  ガシュリ。 「……あ?」  パチャラの開いたまなこを見て、ナンドンランドンは鈍く笑う。  ナンドンランドンの手首から先だけが虎の姿と化し、その爪がパチャラの手のひらに突き刺さっていた。 「あぎゃあああああああ!!!!」  血を流し、床を転げるパチャラ。勝負は、あった。 「なんじゃ、そんなにきつうやっとらんじゃろ?」 「うぐ、うううう……ナンドン、そんな技を、もってたのか……」 「ああ。でも、この技を出させるほどキミが成長したってことじゃ。えらいえらい」  ナンドンランドンが髪に指を添えながら笑むと、パチャラも気を抜かれたように鼻の穴を広げた。 「まいった。さすがは、魔女」 「ふふ。修行しんせい、修行」 「だけどおらは諦めてねえぞ。いつか、結婚してもらうからな」  さぁ、次の相手を定めようと視線を上げたその時だった。  道場の扉が、乱暴に開かれた。  ぬうと現れる、ブーツ。誰かが……蹴り開けたのだ。  道場に土足で入ってきたのは、二人の男だった。  一人は知っている。サーマートだ。後ろ髪以外は禿げており、まぶたの上にこぶがある。パチャラと双璧をなす、村の富裕層だ。過去に何度もナンドンランドンに挑んできたことがあるが、はっきり言って話にならないほど弱い奴だった。あまりにもしつこいし、これ以上やらせても無駄だと思ったので今後の試合の禁止を言いつけておいたはず。なのに今の奴は、勝機を得たように目を光らせている。  そして隣にいるもう一人の男。こっちは初顔だ。麦で編んだテンガロンハットをかぶり、グレーのチョッキを着ている。白い皮膚の色からしてこの村の人間ではなさそうだが、彼はいったい……? 「おい、サーマート! 道場の扉を足蹴あしげにしてどういうつもりじゃ!」  とりあえずすごむも、サーマートは不気味に唇を歪めるのみ。 「ひひひひ。ナンドン、今日こそ結婚してもらうぜぇ」 「なに言っとるんじゃ? キミの態度では一生勝てんよ。修行してから言いんせぇ!」 「それが、結婚……できるんだな、幸福なことに」  白い男はそう言って懐に手を入れ――、一丁の銃を抜き出した。  銃。この村の者は誰も持っていない。そしてその存在も、知らない。  しかしナンドンランドンは魔女学校で習ったから知っている。あの筒から金属の玉を発射させ、生物を死に至らしめる道具だ。  こめかみから汗を垂らす、ナンドンランドン。だがパチャラはあの道具に気づいていないのか、重い足音を立てながらサーマートに近づこうとした。 「サーマート! なにを寝ぼけたことを言っているんだ! さっさとこの道場から……」  そのパチャラを、ナンドンランドンは腕で制する。  棘を含んだ目で、白い男とサーマートを睨んだ。 「ふふ。お嬢さんはよくわかってるじゃないか」  白い男は、不敵に笑う。 「さ、今から教会へ行こうか。サーマートさんとの結婚式だ」 「……っ。牧師が、いないよ」 「私が牧師を務めよう。初夜の解釈人もな! ふっはっはっは!!」 「ぐふふふふ。シェルさんになら、見学してもらっても結構ですぜぇ」 「サーマート殿、大変恐縮。さぁ、お嬢さん! 行くか、行かないのか!?」  サーマートたちの狼藉ろうぜきを目にして、ざわめき始める道場内。パチャラも信じられないような視線をこちらに送ってきた。 「私はこの銃に自信がある。もしお嬢さんに当たらなくても、村の方々の誰かに届けることができるだろう。いつでも、どこからでも」  それは脅迫だった。  ナンドンランドンがサーマートと結婚しなければ、村の誰かを殺すと言っているのだ。その取り引きの射程は今日だけではない。この先、ずっとだ。ならば――、  この憂いは、今この場で、断つしかない。  ナンドンランドンは胸を張って、歩いた。 『一人、歌っていた。神に捧げる曲を奏でていた。隣には誰もいない』  こちらが覚悟したと悟ったのか、サーマートは口が裂けるほど笑った。  ナンドンランドンはまだ歩く。銃口は、ナンドンランドンの心臓に向けられている。 『ブラックチェリーの香が漂う。果たして開闢かいびゃくか、宿痾しゅくあか』  白い男の集中は切れない。銃を操る敵ではあるが、その目つきはまるで剣豪のそれと酷似していた。 『依然、ようとして……ONLY SINGまだ見ぬあなたへ』  ナンドンランドンは、静かに瞼を閉じた。  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ナンドンランドンは銃を背に突きつけられた格好で、サーマートと教会に向かった。  二人で愛の誓いをした。唇を交わした。  そして夜、ナンドンランドンはサーマートに抱かれた。  白い男はいつしか部屋から消えていた。  ナンドンランドンがサーマートを裏切るようなことがあれば、その日中に村人を殺すという手紙を置いて。  それからサーマートは毎晩ナンドンランドンを抱いたのだが、子供をもうけたくないらしく、避妊をしたままナンドンランドンの身体をもてあそんだ。  十年の年月が流れたある日に聞き出したのだが、白い男はサーマートから定期的に金銭を得ているらしい。一生をかけての用心棒契約だと教えてもらった。  さらにさらに、長い年月が経った。  サーマートは老いた。ナンドンランドンの身体はずっと、若いままだった。サーマートは死ぬ三日前までナンドンランドンの身体を汚した。彼は心筋梗塞で倒れるその瞬間、まるで人生を全うしたような笑みを浮かべていた――。  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ――――ガチャッ。  白い男の手から、銃が落ちた。  ……いや。落ちざるをえなかったのだ。  なぜなら白い男の手の人差し指は、根元から折られていたのだから。 「…………が。がぁああぁぁあぁぁッッ!?!?」  目からバシャバシャと涙を破裂させ、うずくまる男。  そしてサーマートはナンドンランドンの正拳をくらい、失神していた。  白い男は、顔を苦痛に歪めて言う。 「な、なぜだ!? どういうことだ!? サーマートはお前を喰らい、俺は大金を手に入れた! なのになぜ……なぜあの日に戻っているんだ!?!?」 「さぁ? 夢でも見たんじゃろ?」 「ゆ……夢じゃない! 夢じゃねえ!! 夢なら覚めた時、あれは夢だったってわかる! だから間違いねえ! あの時間は……三十年は、夢なんかじゃなかった!!!!」 「とりあえず、キミの指はもう二度と引き金をひけないように折っておいたけえ。これで家業はお終いじゃの。残念残念」  ナンドンランドンは唇を吹いて、やはり自らの髪を掴む。 「じゃがの、キミの腕はやっぱり悪うなかった。ボクは左に横っ飛びをして、そのまま片手で跳ね上がり後ろに下がるようにフェイントをかけてから前に突っこむしかなかったんじゃからね。ほとんどの道筋はキミが殺しとった。反射神経はええんじゃから、ちゃんと修行させたげたかったのう」  すると男の目は洞穴ほらあなのようになり、やがて、彼の肌の色と同じになった。  首を左右に振って、軽く鳴らす。  その音に、誰かの小さな叫び声が混じった。  村の男が、女が、叫んでいる。  その声はだんだんと大きくなる。道場の中にいる村人が外に出て行く。なんだ、どうした。ナンドンランドンも、道場前の階段を七段ほど下りた。  あ……。  答えは遠方にあった。地を舐めるように、遙か彼方から黒い塊が進行してくる。時折内部から沸き立つシグナルレッドのぬめる泡。あ、れは……。 「溶岩だ!!」 「もうすぐ村が燃えるぞ!!!!」 「みんな逃げろ!!!! 巻きこまれるぞ!!!!」  みんな、なにも持っていない。もう、貴重品や生活品など抱えて逃げる暇がなかったのだ。溶岩流の速度は人間の歩く速さ程度だ。しかし一度巻きこまれてしまえば、その粘性をもって大抵のものを跡形なく溶かしてしまう。 「あ、あの方向は、うちの……」  ナンドンランドンの隣で、パチャラが血の気をなくす。  この村では数年に一度、溶岩が発生する。しかし少量なので、いつもは山の中腹で固まってくれる。  だが今回の量は……こんなの、見たことがない。まるで地獄。いや、地獄から這い出てきた悪鬼魍魎あっきもうりょうの類いを想起させる。 「逃げよう、ナンドン」  パチャラが、ナンドンランドンの肘を引く。 「なんで? キミはまだ、ボクと結婚する資格をもってねえんじゃよ? じゃったら、まだ他人じゃろう。ボクのことなんか気にしなくてええんじゃよ?」 「そ、そうじゃなくて……」 「ほれ。はよう、逃げんせえ」 「なんだかな! お前を死なせたら! 耐えられないんだよ、おらが!!」  その時のパチャラの目は、真剣だった。よくわからないけど、彼が強い意思をもっていることだけは明らかだった。そこでナンドンランドンは、ピーン、と閃いた。そうだ、以前から火山をほしいと思っていたのだ……。 「のぅ、パチャラ。ボクがあの溶岩を止めたら、火山をボクにくれん?」 「ば、ばか言ってんじゃ……」 「ええからええから。くれるか? くれるの?」 「ううう……」  パチャラは、ひどくうなった後、 「お前が助かるなら、火山なんかくれてやる!!!!」 「よし、契約成立じゃ!!」  ジャンプ一発、階段を十段ほど飛び降りる。  ほうほうと広がる田園を左に眺め、砂地の道へと仁王立ちする。  その脇を、ナンドンランドンの視線とは逆方向に人々が走り逃げていく。 「ナンドン!!!! 逃げよう!!!!」  パチャラの懇願が聞こえる。  うん、まだ修行が足りないな。  そこで網膜に焼きつけておくがいい。  溶岩が流れなかったという、もう一つの未来を――――。  ナンドンランドンの瞳が、銀色に瞬いた。 『夏の逃げ水エーレンッッッ!!!!』  ナンドンランドンがスゥと指を上げると。  その先では、溶岩が消滅していた。  一度吹き出した溶岩が消えたのではない。  途中で冷え固まり、落ち着いたのでもない。  そもそもの存在が、きれいに空へと消えていたのである。それはまるで、陽炎かげろうのまぼろしのように。  逃げ惑っていた人々の足が止まる。  道場の男たちの呼吸も止まる。  全てが静寂と化したその直後――。 「ウワァァァァァァ………………………………!!!!」  村人全員の歓喜が爆発した。 「ナンドン! ナンドン!」 「ナンドン! 無敵の魔女! ナンドンランドン!」  ナンドンランドンを称えるコールが発生。それらは直ちに伝播し、ナンドンランドンの名前が波となってうねった。  ま、まあ、嬉しい。  嬉しくないわけじゃないのだけど、その、むずがゆいというか。  なんというか、あはははは……。 「アホかぁあぁぁぁぁぁぁっっ!!」  ナンドンランドンのひと声で、再び辺りは静まった。  みんな、きょとんとした顔でナンドンランドンに視線を送る。 「溶岩ごときで騒いでおってどうするか! この村は特別な村じゃからボクがついてやっとるんじゃないか! けがれを人間の手ではらう!! その目的を忘れたんか!?」  あちこちに逃げていたみんなのプライドが、また舞い戻ってくる。  村人たちは瞳の輝きを整え、右拳を突き上げた。 「おおおおおおおお!!!!」  そしてその右手を、ひたいへと。  それらはナンドンランドンに対する、心からの敬礼のポーズだった。  麦風ばくふうが吹く。やがてその震幅は、増していく。  ナンドンランドンはそこで、何者かの魔力を察知した。  誰かが近づいてきている。  ナンドンランドンを目がけて、近づいてきている。 (誰じゃ? もしかして、リリー=フローレスか?)  考えながら、あることを一つ思い出した。  パチャラのもつ火山が、これで自分のものになったということを。  道場の前にいるパチャラに、強力なピースを送ってみる。  パチャラは渋く笑いながら、大きな肩を狭めてみせた。

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