華茂には見える。 それは真円であり、ドーム状の空域。 今ここで対峙する燕、チャーミ、マロンのそれぞれが自らの戦闘空域を有している。きっと自分も、その覇なるオーラを纏っているのだろう。そして、見えているのだろう。 それらの戦闘圏の臨界面はわずかに波打っている。心を崩せば、その隙を撃たれる――。えもいわれぬ緊張感が、異国の郊外にある小さな町で展開されていた。 初手で緊張を破ったのは、マロンだった。 端麗な眉毛をわずかに上向かせ、一歩、一歩、じりっ。 ウインドウショッピングを楽しむような足取りで華茂に近づいてくる。だがまだ静寂は解けない。魔女側にも人間の中にも、言葉を発しようという者は誰もいない。空域の接触まであとわずか数秒。ピーピヨーピィー、というメジロのさえずりを合図として――、 低空で突っこんできたのは、チャーミ。 「ダミーで。失礼!」 「えっ!?」 完全に虚を突かれた。マロンの影からぬうっと現れたと思ったら、もう金属の焦げ臭さが鼻腔を占拠している。チャーミのチェーンソーが逆袈裟で一閃。鎖骨の上5センチ付近のところでかわせば、チェーンソーはすぅぅぅ――と曲線を描いた。これは、いわゆる燕返しだ!! ギャァ――――ン!!!! ギュゥ――――ン!!!! ギャアン!!!! それはまさに死の舞踏。波状攻撃。チャーミは痩躯にもかかわらず、力任せにチェーンソーをぶん回す。触れれば切創、当たれば致命傷。華茂の汗が複数、ピピン、と飛ぶ。その汗をも、でたらめな旋回が切り裂いていく。 「や、やめなさいっ!!」 偶然見た。華茂の真横。燕の跳び蹴りがスローモーでやって来る。左右の膝を閉じた状態での跳躍。ここから右脚が、チャーミの顔面を狙ってグウンと伸びる。――が。 パシイッ!!!! 財布を地面に落としたような、乾いた音だった。 チャーミがチェーンソーを構えたまま、左脚を高らかと上げている。 チェーミと燕の足裏同士が、ぴったりと完全接着していた。 「暑いわ」 すると有利なのは、地上に立つチャーミの方。チャーミが足裏で押すと、空中にいる燕ははかなく打ち返された。 しかし、今だ。 攻撃を加えるなら今。華茂は反撃の手段を考える。燕がつくってくれた隙をけして無駄にはしない。どうする。上から火の拳を浴びせるか。あるいは風で、相手の足を払うか。 だがその思考が、華茂の行動の枷となってしまった。突如としてしゃがみこむチャーミ。しまった、逆にこちらが足を斬られる――、 ――ではなく。 『円環フラッシュライトォォォォォ――――――――――ッッッ!!!!!!』 逆刃の形をした風が、チャーミの後方から雪崩り寄せた。 チャーミは身を屈め、風の通り道を空けるだけ。完全な連携。マロンから放たれた風刃が超高速で華茂の喉元を狙う。これは、ここからは、かわせないっ! 手を広げ、前面へ。せめて急所への直撃だけは避けなければ! 「それは受けちゃだめですっっ!!!!!!」 燕だった。 燕が横っ飛びで華茂の身体をかっさらう。 白。 黒。 明滅。 パッ、パッ、パッ、と過ぎて。白黒白黒白黒白黒白黒白黒白黒。 流れ出す、時間。 ガ、ズウウウッ!!!!!! それはもはや、風魔法が硬物に当たった時の音なんかではなかった。マロンの風刃が新聞社の三階建てのビルを――、上と下に、分断した。 斜めの切りこみが、静止摩擦力を凌駕する。ビルの上半分はゴズズズズズ……とずれ、やがて猛音とともに商店街の通りに落下した。もうもうと粉塵が舞い、地上数メートルの低空に汚れた雲を形成する。人々は悲鳴を上げ、頭を守りながら地面へと伏した。 な。 なんたる……。威力……。 ……そうか。華茂はここに着地をした時、半壊したホテルを目にした。あれはチャーミのチェーンソーが切り裂いたものだと推察した。しかし違ったのだ。よく考えれば、チェーンソーなんかでは建物を斬るにリーチが足りない。あの……風だ。マロン必殺の風魔法。あれは、いかなる硬度のものであっても切り裂く。まるで深夜の、殺人鬼のように。 「大丈夫ですか、華茂」 「うん」 燕と刹那、目が合う。燕は華茂の無事を確認し、すぐに立ち上がった。 しかしそこで、華茂の頭に謎が生じた。 燕に助けてもらったのはいい。だけど、なんで『蹴り』や『跳びつき』だったのだろう。燕は水魔法と土魔法の名手だ。魔女学校でも学年トップクラスの成績を誇っていた。そんな燕が魔法を抑え、チャーミに対して肉弾を用いたのはなぜ……? ……あ。 そうか。 華茂は倒れうめく人間たちを見て、気づいた。 ここで魔法を使えば人間たちに被害が発生するかもしれない、ということに。 「燕さん、飛ぼう!!」 「え、ええ……。でも華茂は、問題ないのですか?」 心配そうな燕の言。きっと、空中では華茂が不安定になることを言っているのだろう。華茂はまだ、空を飛ぶということにかけては未熟中の未熟だ。しかし。そんなことを気にしている場合ではない。 「行こう!!」 華茂は地面を蹴る。間髪を入れず、燕もついてきた。さっき首都で飛んだくらいの高度ではだめだ。もっと高く。もっともっと。100から200メートルは上がらないといけない。華茂の体感が1℃ほど下がる。いけそう。これでいったん、敵の射程からは外れた。 もちろん楽観はしない。マロンとチャーミは諦めないだろう。華茂の予想どおり、地面から黒い粒が上昇してきた。会敵に来たのだ。 しかし来訪した粒――魔女の影は、一つだけだった。 「やっほーっ!!」 上半身を倒し、手で敬礼のポーズをとるマロン。せり出した胸が強調され、華茂は思わずぎくりとしてしまう。声もおどけた感じで、まったく緊張感がない。 一方のチャーミは、なぜか地上にとどまっている。なんの目的があるのかはわからないが、まずは目の前のおどけた魔女に対応しないと。華茂は、気合いを新たにする。 マロンは自らをかき抱くような格好で、詠唱を始めた。 『森の薫風に誘われ、旅人たちは靴を新たにした。樹幹と梢、漏れ来る光。貴方に光を捧げよう。鎌風とともに――』 魔女は強力な魔法を使用する際、魔力を高めるために言語の力を借りる。それがすなわち、詠唱というものである。 たしかにこの詠唱中は無防備となるが、考えなしに接近することはできない。なぜなら詠唱中にすでに魔力が高まっているからである。仮に詠唱中であっても、強力な魔法ではなく通常魔法であれば問答無用で発射される。しかもハイレベルの状態で。 だから結局はこうやって詠唱の終了を待ち、その間に迎撃策を練るのがもっとも有効となる。魔女同士、あるいは魔女と人間が戦うようになってからまだ日は浅いが、これが魔女戦における模範戦術という考えが支配的だ。 そして、来る。 二棟のビルを切り裂いた、あの風の刃が。 いつでも動けるようにと丹田に力を入れたその時――、 『円環フラッシュライト――Absolutely keep out!!!!!!』 くねくねと、まるでダンスのように肘を振ると、マロンの指先から複数の風が射出された。ワンステップ、ツーステップ、アンドスリー。上から下から斜めから正面から、華茂と燕を自動追尾するように風の群れが襲いかかる。 「わわっ!!」 「きゃっ!!」 筋肉に準備を言いつけておいたのが功を奏した。全身の神経系統に同時に異なる指示を出す。首をひねれ。右脚はそのまま。左手で空気をかいて半身回せ。そのまま背泳のように反り返り、首から上を宙へ逃がす。一つの風が通りざま前髪を切って、数本の前髪がパラパラと散った。 右の眼球だけを動かして燕の様子を秒で見る。燕は身体の動きではなく、飛翔の魔法を複数展開することで風をかわしているようだった。怪我はなさそう。だけどこれは――、危ない。今は魔法より身体の敏捷さが問われる。大丈夫か、燕。大丈夫なのか。 だがマロンの攻撃は終わらなかった。 それどころか。 『ファッキン・クロスだぜ――――――――っっ!!!!!!』 なんとそれは、風の十字砲火。 爆発するように身体を大の字にしたマロンから、先ほどとは比べものにならない風が豪速で発弾された。その数はあまりに多い。風が風を巻きとり、シィアアアアア!! という異音をまとって華茂たちに踊りかかる。 しかし特別な防御策を講じる暇は、ない。 「ああぁあああああぁぁぁああうわおおおああぁあ――――――――――っっ!!!!」 ただ、がなり立てて自らを鼓舞するのみ。ギュウン、ギュウン、と絶え間ない悪魔が到来し、華茂の後方へと過ぎ去っていく。脚だ。ひっこめろ。身をかがめて後方宙返り。すぐに脚を伸ばせ、いや違う、ひっこめろ。どっちだ。直感にまかせてひっこめた。その領域を刃が通過する。ゾワリと鳥肌が立つ。鳥肌は耳まで到達。その耳のすぐ上を風が通り抜けていく。いけない。ここでつむじを軸にして反転だ。背をさらす。恐ろしい。やや遠方の山が、音もなく土砂崩れを起こした。土流そのものが激しく泡立っている。 そして遅れて、鈍い轟き。ついに土砂崩れが音を連れてきた。 怖い。 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い今にも自分は死ぬかもしれない死ぬかもしれない。しれない。もう燕に会えない。弥助と再会することもない。お茶も飲めない息もできない。今まで覚えてきたことが全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部――――――、台無しになってしまう。 死ぬとは、そういうこと。 全ての喜びを諦めること。 全ての喜びを裏切ること。 過去の喜びをゼロにすること。 自分の価値を、空に放ること。 そして次に聞こえた声の出どころは。 ――遥かなる、地上。 「マロン! 燕を攻撃しては。いけない! 先に華茂を。裂くのよ!!」 つばめを、こうげき……? あ、そっか。つばめも、こうげきされているんだ。 そっか。 そう……、 見る。 「いやあああぁあぁああぁっっ!!!!」 血しぶきが、舞った。 それはたしかに、華茂の目の前だった。 血しぶきが、舞っていた。
コメントはまだありません