魔女のお茶会
最終章②(でへへへへ……華茂の水着か)

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 めっちゃ食べた……。  華茂かもは客室のベッドの上で仰向けに寝転がり、お腹をひとさすりふたさすり。だってメイン料理が三種類も連続で出されたんだよ? 海老のグラタンに、鮭のスープに、牛フィレ肉の鉄板焼き。その他、サラダにコンソメスープ、さらにはデザートまでついてきた。あの氷みたいなお菓子はなんだったんだろう。牛乳の味がしたのだけど、あれは明らかに凍っていた。死ぬほどおいしかった。また食べたい。お腹爆発しそうだけど、ぜひぜひ。ぜひぜひ……。ぐう、ぐう……。 「こら、食べてすぐ寝ない!」 「ひゃあっ!」  ライラの雷のようなひと声で、ベッドから飛び起きる。スプリングの反動を受けてポーンと弾むと、そこにはテーブルを囲む形で椅子に座るつばめとライラの姿があった。うむむ、わがおしりめ……なんてスプリングと相性がいいんだ。 「敵がいつ仕掛けてくるかわからないんだよ? 油断しちゃだめ」 「は、はいい……ごめんなさい」  華茂はライラに向けてぺこりと謝り、燕たちと同じように椅子に腰かけた。  ふわり、とコーデュロイのいい感触。身体が椅子に呑みこまれていきそうだ。  そう。華茂が油断するのも仕方ないというものだった。  華茂たちがAngel's rest号に乗船した後、案内を受けたのはこの一等客室だったのだ。四方を焦げ茶に塗られた壁に、菱形紋様ひしがたもんようのカーペット。それらを、シャンデリアとブラケットが柑子色こうじいろに染め上げている。身支度用の大鏡もある。もういかにも上等、といった感じの部屋。それらを華茂たち一人一人に充てられたのだけど、別々の部屋で待機するわけにもいかないのでこうして華茂の部屋に集まったというわけだ。  とはいえ、ライラの言うとおり敵の襲撃に備えないといけない。華茂たちは朝食、昼食、夕食と基本言葉少なに過ごし、一日はあっという間に過ぎていった。  もちろん遊んだりはできないのだけど、気が詰まるというのも本音なわけで。 「ライラさん、大広間で楽器の演奏会があるって言ってたけど」 「だめ。楽器から魔法を出してくるかもしれない。相手はフローレスさんだよ?」  やっぱり、却下だな。そりゃそうか……。 「えれべーたー、っていう自動階段があるらしいよ。見てみない?」 「自動とか、めっちゃ危ない。開いたところで攻撃されたらどうするの」 「カフェでキネトスコープ流してるんだって」 「キネトスコープぅ? 暗い中でやるんだろ? もう死ぬほど危ない」 「泳ぐところがあるって話してる人がいたよ」 「み、み、み、水着か!? でへへへへ……華茂の水着か。それくらいだったら……いやいや、だめだめ! 服脱いでるとこを襲われたらやばいじゃんか!」 「むうー」  華茂は口を尖らせる。  別に遊びメインじゃないし、これから戦場に変わるかもしれないところをあらかじめ観察しておくっていうのは必要なことじゃないかなあ? うーん、うーん。 「でも、待っているだけっていうのも気持ち悪いですね」  なんと。華茂の援護射撃をしてくれたのは、燕だった。 「向こうはアルエさんを殺めたのではなく、あくまでその身をさらったわけです。つまり私たちに対して話し合いをする予定があるということでしょう」 「まあね。ただ、人質までとってるんだから、ロクな話じゃないだろうけどな」 「それなら、即座の攻撃の可能性は低いとは思いませんか? 相手が私たちを探しているなら、あえて姿を見せてあげるという考え方もあります」 「ふむ……」 「それに、アルエさんの体調も気になるところですし……」  燕の解説に納得をしたのか、そこでライラは眉根まゆねを寄せながら立ち上がった。 「わかった、わかったよ! この船はもう数百キロは移動してるだろうし、今更どうしようもないっちゃどうしようもない。そこまで言うなら、出歩いてみるか?」  おおー、と心の中で燕に快哉かいさいを叫ぶ。さすがは燕だ。  というわけで、華茂たちはすぐに客室を出た。善は急げと言うし。ただ、ライラがまずはプールに行こうと提案したのだけど、なにか悪寒がしたのでプールを回るのは行程の最後ということにした。  三人で、客船の通路を歩く。  客室の中とはうって変わり、今度は眩しいくらいの白熱灯が点っている。左右には客室がずらりと並ぶ。みんな、この航海を楽しんでいるんだろうな。一生の思い出にしようとしている人たちもいるんだろうな。そんな人たちを、できるだけ巻きこみたくはない。ドアの向こうから、子供のはしゃぐ声が聞こえた。子供の父だろうか、「静かにするよう」とおごそかな声でたしなめている。いいんだよ、と華茂は静かに呟いた。  階段を降りる。また客室。さらに階段を降りる。またも客室。だけど、その部屋の様子が少しずつ変わってくる。客室と客室の距離が縮まっている。一つ一つの部屋が小さくなっていっているんだ。知らぬ青年とすれ違う。その青年が客室のドアを開ける。ちらりとのぞくと、二段ベッドが左右に配置されていた。テーブルもなにもない、シンプルな部屋。これがAngel's rest号内における等級の差なのだろう。華茂たちは、さらに歩く。  甲板かんぱんに出た。潮の香りがする。肌寒い風が吹いている。どこかの国の旗が、手すりでバタバタと棚引いていた。右奥には椅子がたくさん並んでいる。どうやらあれがカフェで、壁側にキネトスコープが映写されているらしい。じっくり鑑賞するわけにもいかないので、そのまま突っきっていく。もう一度船内に入ると、そこはちょうど大広間の二階にあたる場所だった。  ここから大広間にかけて、円を描く形で階段が設けられている。親柱おやばしらの頭には、繊細に削られた鳥の彫刻。華茂が手すりから向こう側に頭を出すと、たくさんの楽器と奏者の並ぶステージが見えた。中心の男がタクトを振るう。ブォーン!! とホルンの音が響いた。 「うぎゃ!」  いきなりの轟音に、思わず耳を塞ぐ。  しかしゆるゆると手を離した後、クラリネットとフルートの重奏が聞こえた。鳥の鳴くのようで、華茂は自分の住んでいた村のことを思い出した。隣を見る。燕も目を閉じ、演奏を胸に落としこんでいるようだ。  やがて弦楽器が協奏を始める。音楽ってまるで、物語みたい。暗い場面、そこから脱出する勇気、そして訪れる歓喜の瞬間。華茂たちはしばらくの間、音の行進に酔った。全ての演奏が終わるとすぐに、自然と拍手を打っていた。ライラも静かに歯をこぼしている。喝采が続く中、指揮者が深々とお辞儀をした。  そのお辞儀が――、斜めに傾く。  ギャアアアアア!! と慟哭どうこくのような音が軋む。  しかしそれは、誰かの叫び声ではない。船全体から異音が噴出している。  たちまちに生じる、急減速。  指揮者は傾きの勢いを止められず、ステージから転げ落ちた。楽器はことごとく横滑りし壁へと激突。演者は床に伏し、観客は互いに抱き合って恐怖の声を上げる。テーブルと人間がもみくちゃになり、グラスは次々とテーブルから落下する。グラスはその衝撃に耐えきれず、ことごとく崩壊した。  華茂は小柱こばしらにつかまりながら、奥歯を強く噛む。  ――なんなんだ、これは。  事故か。いったい、なにが、起こったんだ。  そして何回かの振幅の後、揺れは次第におさまりを見せた。  窓の向こうの海は、同じ風景で止まっている。船の速度がゼロになったらしい。 『やぁ、こんばんはこんばんは』  船内に、何者かの呼びかけが木霊こだました。 『船旅を楽しんでいる皆さん、大変失礼。あたしの船が貴方がたの船に接近したものでね、急ブレーキがかかったというわけなのよ』  これは、若い女性の声だ。  しかも華茂は、この声をどこかで聞いたことがあるような気がする……。 『では用事を済まさせていただくわ。遠野とおの華茂かも零式燕ぜろしきのつばめ、ライラ=ハーゲン。このアナウンスが聞こえたら、すぐに甲板最前方まで出てくるように。まさか夕食後に眠っているとは思わないけど、いちおう繰り返すわ。遠野華茂、零式燕、ライラ=ハーゲン。このアナウンスが聞こえたら……』  燕に横目で視線を送る。  華茂は一つうなずく。  燕も、うなずき返した。  そう。今のアナウンスは敵からの指示に違いない。ならばこれ以上人間たちに迷惑をかけるわけにはいかない。アルエを人質にとられている今、華茂たちのとれる行動は一択のみ。  華茂は甲板に飛び出し、柳緑色りゅうりょくしょくの床を蹴る。  身体が、真夜まよの空気へと潜りこんでいく。  いつもは不得意な飛行魔法も、この時だけはうまく発動してくれた。  Angel's rest号の前方に、ふた回りほど小さな船が接着していた。  その船橋の上で、何者かが影となり華茂たちを待ち受けている。  腕を組み。  強烈な夜風の中、微動だにしないままで。

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