魔女のお茶会
特別編『遊離する、キネトスコープ』後編

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「誰……、誰なの?」  あ、声が出た。  華茂かもは喉を軽く押さえながら、辺りを見回してみる。 『だけど彼らは、遠くに行きたかったのではないのです。遠くへ、行かざるをえなかったのです』  姿はなく、ただ、声だけが響く。  漆黒の中、華茂はだんだんと怖くなってきた。 「どこ? 今喋ってる人、出てきてよ!」  懇願こんがんすると、目の前がボウ……と輝いた。  光の塊から出てきたのは、なんと。  自分だった。  遠野とおの華茂かもの姿をした、誰かだった。  白装束という服装だけではない。大きなおしりに小ぶりな胸。元気そうな眉がツンと立ち上がる。このふざけた顔まで、うり二つだ。 「だ、だだだだだだ、誰!?」 『あたしは貴女。いいえ、貴女の進むべき道を知っている、あたし』 「わ、わけわかんないよっ!! どうしてわたしとそっくりなの!?」 『ふふ。やはり、姿を見せない方がよかったでしょうか?』 「そうでもないけど……どうせ、魔法で変身してるんでしょ? つばめさんなの? ……あ、わかった、ライラさんでしょ!」 『それは内緒にしておきましょう。それより、これを見て下さい――』  華茂にそっくりな女が手でザッと中空をぐと、その先にはよく見知った星があった。  ――アニン、だ。  でもさっきまでは真っ暗で、星一つなかったような……。それにこのアニンには、黒いもやがかかっている。間違いなくけがれなのだろうけど、その量は明らかに、いつもより多い。  華茂と女はともに、宇宙空間からアニンを見下ろした。 『貴女、穢れはどこからやってくると思いますか?』  女は少しも慌てずに訊いてくる。  誰かのいたずらなのだと割り切り、華茂もその質問に乗ってやることにした。 「どこからもここからもないよ。穢れは、昔からアニンにあったんだよ」 『たしかに。そして、貴女たちがはらうことにより、人間たちに恩恵を与えてきましたね』 「うん。だけど、祓わなかったら危ないことになるけどね」 『その穢れですが……実は、この空の空の奥からやって来たと言うと、貴女は信じてくれますか?』  女は次に、アニンの逆側を見やる。  視界の全面に、星が広がっていた。だけどそれらは近くにあるようで、遠い。どれだけ泳げば次の星にたどり着くことができるのか。まったく想像できない。魔女でも人間でも、アニン以外の星に行ったことのある者はまだ、誰もいない。 『穢れはあれだけの力をもっています。つまり彼ら……という呼び方をしますが、彼らは星々を越えてきたというより、越えてこざるをえなかったのですよ』 「え。じゃあ穢れは、心をもっているということなの?」 『そうでしょう。彼らが元いた星は、もうとっくに滅んでしまったのでしょう。つまり穢れとは、滅びた生命の思念体なのです』  華茂は目を凝らす。  あの星たちの、その、もっともっと奥。  揺らいでいる空間は、どこまで続いているのだろう。  きっと死ぬまでにその謎を解くことはできない。だけど宇宙の黒は、生き物の瞳に似ていた。あの瞳の奥に、誰も触れることのできない、それでもたしかに存在するものがあるのだ。深く深く――、深い深い――、ところに。 「もしかして穢れは、アニンに住みたいと思っているのかな?」 『そうでしょう。……いや、アニンでなくてもよいのかもしれません。彼らには誕生があった。家族があった。友達があった。晴れの日には手で顔を覆い、雨の日には部屋の中で深い息をついた。恋があった。信頼があった。裏切りや絶望もあった。そしてやはり、誕生があった。その全てを愛していた。愛していたものを、なくしてしまったのです。彼らはなくしてしまったという事実を、けして認めることができないのでしょう』  まるで見てきたように語る、女。  だけどその言葉に、迷いを感じることはできなかった。 『彼らは第二のふるさとを求めていた。第二のふるさとを、つくろうと考えたのです。そこで彼らは、アニンに自らの文化を与えた。服、剣、車、料理、言語。貴女が好きなお茶もきっと、彼らがつくり出した文化なのですよ。歴史にもその発展にも、彼らは影響を与えようとした。彼らがかつて暮らしていた世界を、ここアニンで再現しようとしたのです』 「でも、アニンじゃなくてもいいんだよね。アニンは魔女が護ってるから無理だよ。なのに、どうして他の星に移ってくれないの?」 『そう。それです』  女は、深く首肯しゅこうした。  そして華茂にしっかりと目を合わせてくる。 『彼らが知らず、そしてアニン唯一の独創こそが魔女という存在。それでも彼らにはアニンを諦めきれない理由があるのですよ。それは、彼らだけが特別にもっていると思っていたもの……しかし、魔女もまた、心に宿していたもの……』 「それ、は……」  華茂が訊くと、女は透明に笑った。 『愛です』  言って女は、手で自らの横髪をなでつけた。 『さぁ、お楽しみはここからです』  さっきまでの真剣な表情は一転、からかうようなものへと変わる。 『愛をはぐくむ場所に移りましょう。あたしは、いったん去ることにします』 「えっ、なになに? どういうこと?」 『お邪魔虫、ですから。では――』  女が、華茂を包みこむように両腕を広げる。そしてその手が閉じられると、猛烈な風が吹き荒れた。華茂は身を縮こめたまま、前転と後転を繰り返す。なにが起きているのかまったくわからず、目を閉じ、歯を噛みしめたまま、急変する事態にその身を委ねた。  身体が、ポン、と跳ねた。  柔らかい。自分はなにかに座っている――。  薄目を開けると、そこには赤い赤い太陽があった。この景色は、夕焼けだ。  状況を確かめてみる。今、華茂は山の頂上に座っていて、その周囲ではユキワリソウの紫の花が、軟風なよかぜにその身を遊ばせていた。 「華茂……?」  聞いた声。  いやこの声は……華茂がよく知っている……そして、たいせつなたいせつな、声。 「燕さん……」  隣に、燕が座っていた。  曲げた膝を抱えている。黒蜜のような長い髪が、陽の光を絡ませている。 (なにか、言いたい)  わからないけれど、燕に言いたいことがある。伝えたいことがある。  今までどこにいたの?  ここ、どこなんだろう?  訊きたいことも、知りたいこともある。逆に、さっき知りえた穢れの秘密を燕に教えてあげたいという気持ちもある。  だけどなぜか、言葉を紡ぐことはできなかった。  華茂と燕は並んで、遠方の稜線りょうせんを眺めた。夕陽にまぶされた主峰しゅほうからは、白い煙のようなものが立っている。だけど街はどこにも見えない。この世界には、自分と燕の二人だけが生きている。そんな、気がした。  しばらくの時間が流れた。  だんだん。  だんだん……燕のことが気になってきた。今、彼女はどんな気持ちなのだろう。もしも自分と同じ気持ちになってくれているとしたら、それほど嬉しいことはない。 「燕さ」 「華茂」  言いかけた言葉を、燕がさえぎった。 「ねぇ、華茂」  もう一度、名前を呼ばれた。  燕はふぅと息を吹いて、自らの前髪を跳ねさせ、遊んで、また下を向いて。でも、ちゃんと華茂の方を向いて言った。 「私は、あなたのことが、好きですよ」  その言葉には、芯があった。  そして不思議だった。  恥ずかしさも、照れくささもない。  ありえないだろう、と自らを卑下することもない。  ただ、言葉が、あふれた。 「わたしも、好きだよ」 「私の好き、というのは、あなたと結婚をして、一生ずっと一緒にいたい、という意味ですよ?」 「わたしもだよ。世界で一番燕さんのことがたいせつだっていう好き、だよ」 「……うれしい」 「うん! うれしいよ!」  そこで二人、斜面に全身を広げる。大の字になって、転がる。  燕が両指を組んで、天に向かって伸びをしながら言った。 「じゃあ、ずっと一緒にいましょうね。失敗することも、けんかをすることもあるかもしれません。でも私は、ずっと一緒にいたいです」 「そんな時はわたしが謝る! 燕さんを困らせるやつがいたら、わたしがぶっとばす! でも……それでもうまくいかない時は、どんなことでも話をしよう? 一番うまくいくように、二人で工夫しようよ!」 「うふっ。ありがとう、華茂。……あ、でも」 「ん、どしたの?」  見れば燕は、手で唇を覆っている。真っ黒な瞳には、那由多なゆたの光が映っていた。 「あの、そうすると……寝る時は……」  あはっ! 華茂はカラリと笑う。 「一緒に寝ようよ! 抱き合って、くすぐり合って……ちょっと、や、やらしいこともして……それから、手をつないで寝よう! ……だめかな?」  なんか意味不明に拳を突き上げながら言いきると、燕は「もう!」と笑った。 「ううん、だめではないです。私も、ずっと、そうしたかったのですよ」 「ありがとう、燕さん」  お礼を言った。全ての気持ちは、この言葉に繋がっているのだと知った。 「ありがとう、華茂」  なにものにも代えがたい気持ちを受けとる。  そして華茂は、自然と身体を起こしていた。  肘を使って地面をこすり、上半身を前にして燕に近づく。  燕は逃げない。目を逸らそうともしない。  華茂を待っている。  華茂を待っている。  華茂を、待ってくれていたんだ――。  涙が、耐えきれずに、ぽろり。頬の上を滑っていく。燕もまた、銀に筋を引かせている。  唇を、燕の唇に近づける。  たとえ数センチだけれど、そこから約束を伝えたいと願って。  ――――しかし。  華茂は何者かに、きつく肩をつかまれた。 「はいはい、お客さん、起きて起きて!」 「ん……ん~~っ?」 「お客さん、キネトスコープは終わったわよ! もう!」  視界がガタつく。  華茂の両肩を掴んで揺さぶっているのは、キネトスコープに誘ってくれた女性だった。  どうやら華茂は部屋の快適さに負けて、キネトスコープが始まる前に眠ってしまっていたらしい。今日は変なお香事件があって気が張っていたからか、熟睡して夢まで見ていた。 「うう……夢見てたよぉ。ごめん……」 「あら、華茂も? 私も眠って、夢を見ていたようです……」  え、そうだったのか。燕も。  すると店の女性は指を銃の形にし、それを自分のほっぺに当てた。 「二人とも、どんな夢を見ていたの?」  訊かれて思い出そうとするが……思い出せない。起きたその瞬間は覚えていたのに。 「わかんない……なんか、いい夢だったような気がするんだけど……」 「私もです。幸せな夢だったのですけどねぇ……忘れてしまって、もったいないです」 「あら、そうなの。でも残念ながら、閉店の時間よ」  それは、帰れ、ということだろう。  非常に申し訳ない気持ちを覚えて、華茂たちは入口へと歩く。  そして入口で女性の方を振り返ると、女性は眼鏡をくいと上げて言った。 「またどこかで、会おうね」 「は、はい……えっと……あなたの名前、なんだっけ?」 「フー蘭麗ランレイよ。覚えておいてね」  蘭麗。  この街にはふらりと立ち寄っただけなので次に会う機会はないだろうけど、名前も知らないまま別れるというのはなんか嫌だ。迷惑をかけたことだし、教えてもらえてよかった。  そしてそのまま路地に進もうとすると――、  燕が、華茂についてきていない。 「あれ、燕さん?」  燕はまだ蘭麗の前で、じっと地面を見つめている。 「いえ……。あの、蘭麗さん。私、どこかであなたに会ったこと」 「ないわ」  それは強い返しだった。  蘭麗は、燕の知っている人に似ているのだろうか。  しかし人違いなのだし、蘭麗をさらに困らせてもいけない。華茂は燕の手を握り、あらためて歩き出す。むっふっふ。ラッキー!!  それから華茂と燕は町外れまで歩き、周囲に人間がいないことを確認して飛んだ。  お茶会に戻らなければならない。  燕とはもう何泊かしようと思っていたけど、身体に幸せが満ちている今、やはりライラの元に帰るべきだと思った。  高度が、ぐんぐんと上がっていく。  遠方の夕陽が少しずつ彩度を落とし、地平線からは暗幕が忍び寄っている。  ポツリ、ポツリと輝く、人間たちの光。  それはたしかに、生きている者の証だった。  黙って燕の方を見る。頬を夕焼けに染めた、燕。なんだかちょっぴり恥ずかしい気持ちになってくるのは、どうしてだろう。  そして、幸せな気がするのも――また。  どうしてなんだろう。  鼻がむずむずしてきて。  華茂は、へっぷしょい! と大きなくしゃみをしてしまった。  燕は、きれいな歯を見せて、笑ってくれた。 【⇒特別編はいかがでしたか? さ、私たちも穢れの謎に迫っていきましょう! 幕間……そして、第三章へ続きます! 特別編楽しんでくださり、ありがとうございました!】

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