魔女のお茶会
第一章⑤(見事でございました!!)

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 指一本だった。  リリーの指先から発せられた砂の奔流ほんりゅうが、イアの心臓をいとも容易く穿うがった。 「ぐはっ!」  血を吐き、危険な倒れ方をするイア。華茂かもの膝に、無数の震えが走った。  あれはたしかに……。  あれはたしかに、イア本来の力だった。仮に華茂がリリーの位置に立っていたならば、間違いなくあの風に身体を貫かれていただろう。  しかしこの魔女――リリーは、表情を変えることなくただの指一本でイアの魔法を吹き飛ばした。どういうことなんだ。なにが起こったんだ。イアとリリーの魔力は拮抗していた……いや、つばめの言うようにイア優位だというのが魔女たちの間の支配的な考えだった。  だが。 「戦いを知らぬ机上のあなたと、常にリーフスを仮想して技を研鑽けんさんしてきたあたしの魔力。いつまでも同じであるはずがないでございましょう。証拠は今、示しましたが」  そこでリリーはようやく、ぬるりと笑う。  イアは答えない……。それどころか、ピクリとも動かない。 「イア師匠!!」  華茂の身体が心に追いついた。つま先で走り、指先を伸ばしてイアの元へと急ぐ。  そんな、嘘だろう。  華茂は魔女学校で六年の間、イアに師事を受けた。イアはいつも食堂で大盛りのトンカツカレーを席に運び、べろりと舌なめずりをしていた。華茂が廊下で燕を追いかけ、イアにゲンコツを入れられたこともある。職員室では机の上に脚を乗せ、下着の見えるあられもない姿で豪快な居眠りをしていたイア。そこにいて、当たり前だったはずの、イア。  だけどやはり。  今の一撃は致命傷だ。華茂の息が荒くなる。イアを抱き起こすと、イアの首から上はだらりと腕の向こうに落ちこむだけだった。 「師匠……師匠?」  するとイアの眉毛が、ピクピクと動いた。 「遠野とおの……」 「師匠! すぐ……すぐに、お医者様のところへ……」 「いや、無理、だろう……」  イアは絞り出すように言う。無理というのは、リリーがこのまま見逃してくれないという意味なのか。あるいは、この傷ではもう……。  華茂は土の上にイアをそっと横たわらせ、立ち上がる。  目尻からこぼれそうな涙を親指の根っこで払い、リリーへと向き直る。 「……そこ、どいてください」 「不可能でございます」 「どうして」 「ティーナは仕留めました。ですが、まだあなたがいるでございましょう」 「どういう、こと……?」 「もちろん、関係する者は全て滅していただく。当然のことわりでございます」  ――違う。  違う違う違う違う違う違う違う違う。  それはそうだろう。リリーの立場と目的からすれば、イアと華茂は見逃さない。それはそうなのだろう。  だがッ!!  華茂が聞きたかったのはその回答ではない!!  どういうことか――、どういうことかって?  それはリリーが今しがたぬかした、ふざけた言葉への疑念にほかならない!!  仕留めた……。  リリーイアを、仕留めただと……?  華茂の脳裏に、かつての職員室での情景がよみがえる。  窓の向こうに咲いた、ムラサキハナナ。窓を開けるイア。雨あがりの香り。遠方の雲は橙色に焼かれ、帰りそこねた雨粒が、軒からぽつり。イアは机からキャラメルをひと粒取り出して、華茂に渡してくれた。 (ほかの奴には内緒だぞ) (は、はい……!) (いい夕暮れだぜ。神さんの奴、魅せてくれるねぇ)  豊かな胸を持ち上げるように腕を組み、はにかんだ、イア。  心を奪われてしまいそうな、あの笑顔を――、 「そこをどけええぇえぇえぇえっぇぇぇぇぇぇ――――――ッッッ!!!!!!」  飛ぶように大地を蹴った。  二足目から三足目で直ちにギアチェンジ。ただ目指す。目の前の敵を。リリーを戦闘不能に陥らせることなく、イアの救出はありえない。わかっている。わかっている。 『吹けよ青嵐せいらん、巻き上がれ乱風らんぷう。小さき者が天を仰いだ時、その目に希望が映りこむように。我が名において、紺碧ブルー・アンド・ブルーに命ずる!』  華茂の駆ける後に土飛沫つちしぶきが舞う。 (く)  ガクガクと揺れる視界の中、リリーの像が近接する。 (ら)  リリーはとぼけた笑みを一つして、胸の前で両手を広げた。 (ええええッッッ!!)  腰をひねったまま、跳ぶ。華茂のローリングソバットが扇の形を描く。一撃で決める。股関節を極限にまで広げる。外すことは許されない。  しかしリリーはかわさない。華茂のかかとをてのひらでポーンとひと押し。華茂の蹴りを流すことですなわち、完全な防御を成し遂げた。  ――がッ!! 『火龍ひのたち!!』  足のつま先から炎を放つ。リリーの顔面へ一直線。ほむらはリリーに着弾するやいなや、ボオウン! と音を立てて爆噴ばくふんした。  ニヤァ……。  リリーのわらいがそこにある。リリーはまたしても掌一つで炎を防いでいる。数拍前に響いた音は、リリーの顔ではなく手が炎を押し返した音だったのだ。  ここで。華茂は。  息を吸って、吸って、吸って――、 (……この一瞬!!)  吐くッ!!  空中でほぼ横寝の体勢となった華茂。地面に風魔法を浴びせ、その反動で身体を立て直す。その進行方向に、空間が流線を描き上げる。  烈風をまとわせた拳を、リリーに向かって力いっぱいに振り抜いた。  ――――、  ――ズバッ!! ――――、  首を上げ、喉を開け、高速で後方へと倒れこむリリー。  華茂の拳は当たらなかった……。  いや、正確には……。リリーの頬に一条の切傷せっしょうを入れるにとどまるのみであった。  ガシッ! そしてその腕を、リリーにつかまれる。  リリーの瞳が、熱狂にきらめいた。 「今のは……見事でございました!!」  それは、まごうことなき賞賛の言葉だった。皮肉でもなんでもない、華茂に対する本物の敬意を乗せた言葉。  ……そう。  華茂は走りながら風魔法の詠唱えいしょうをとなえていた。しかしその魔法はあくまで二枚腰。いったんは炎魔法で攻撃すると見せかけておいて、その隙を風で打ち払おうという算段だったのである。  華茂の狙いどおり、リリーは油断していた。一瞬の隙ができていた。だから一連の流れは全て、華茂のプランに従ったものだったといえる。なのに……。  リリーは華茂の腕を強く握ったまま、引き寄せる。  それは肩が抜けるかと思うくらいの力だった。華茂は痛覚に思わず、片目を閉じる。  そして眼前。リリーの高く整った鼻が見えた。その上では、端麗たんれいなまなこが華茂の反応を待ち受ける。「惜しい……」と、リリーは漏らした。 「今日が無事に過ぎていれば、あなたは脅威になりえたかもしれません。ただ一日が。このたったの一日が、今の拳があたしを貫けるかどうかの違いだったのでございましょう」 「きょ、今日が……?」 「ティーナはあなたの能力の仕上げを行おうとしていたはず。惜しみなさい。心から後悔をしなさい。たったの一日だったのでございます。あァ……惜しかった……」  今頃になって恐怖がやってくる。  腕を振り払おうとした。しかしリリーは簡単な所作で華茂の肩関節をめる。抵抗すれば抵抗するほど、身動きがとれなくなっていく。リリーがその気になれば、きっと一秒で関節を外されるだろう。痛みが怒りと思考を奪っていく。死にたくない。  死にたく、ないよ。 「泡になりなさい、遠野さん――」  リリーがピン、と人差し指を立てる。  その指先から、砂の粒が細い螺旋らせんを描き、円柱状に立ち上る。  これ……イアに撃った魔法、だ。 「今からあなたのこめかみを貫通させます。bonum noctisおやすみなさいませ」 「や、やめ、て。やめてぇ……」  しかしそこで。だった。 「…………??」  リリーの手が、ピタリと止まった。 「……何者?」  リリーが低く呟く。華茂のことなどどうでもいいといった感じで、あごを上げる。  異常の答えは上空にあった。たしかに誰かが、こちらを目がけて急下降してきている。  まさか……! 『その』可能性が頭をよぎる。いやこれはおそらくそうだ。  ……いけない、来てはいけない、絶対にあなただけは来てはいけないっ……!  玄雲げんうんの一点が渦を巻く。そして中心において、雲は小さな破裂を起こした。なびく雲を片手で払い、彼女はやって来た。麗美れいびを極めた瞳を、強くつり上げて。 「なにを!!」  彼女は頭を下に、遙か後方へと音速を置き去りにしていく。 「しているのですかぁ――――――――ッッ!!!!!!」  その姿はまさに雷霆らいてい。  零式燕ぜろしきのつばめが今、天頂てんちょうより来着らいちゃくする。

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