魔女のお茶会
第一章⑥(すでに知っている、から)

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 つばめは片脚を伸ばした体勢で、ザシュウ! と着地。  同時に空気を手でぎ払う。水の刃が現出し、リリーの腕を切り裂こうとした。リリーは余裕の笑みで華茂かもを放る。華茂は受け身もとれず、背中から地面と接触した。 「やはり零式ぜろしきさん、でしたか」  リリーはまるで予想していたといった感じで言う。燕は迷うことなく華茂の前に回りこみ、華茂を腕で護る体勢をとった。 「華茂、大丈夫?」 「うん……なん、とか」  と返しはしたが、華茂のはかまは泥まみれだ。肩にも激痛を覚える。敗者の要素を全て詰めこんだような姿が、そこにあった。 「あなた、リリーさんですよね? どうしてここに? それに、華茂と……」  燕はチラリと横目でイアを見る。依然として出血が止まらない、イアの胸。 「ティーナさんに危害を加えて。どういうつもりなんですか?」  その質問を聞いてリリーは、唇を波形に震わせた。 「どういうつもり……」 「そう! どういうつもりかって訊いているんです!!」 「うふふふふふ!!」  リリーは口に手を添え、愉快そうに笑う。 「さすがは蘭麗らんれい! すばらしき魔力! あなた、なにも覚えていないのですね?」 「え?」 「手の甲をご覧なさい。もちろんその間、あたしはなにもいたしません」  燕は言われたとおり、眼球を斜め下に動かす。華茂も同じ箇所を見た。燕の手の甲には裂傷の治癒されたあとが残っている。 「……これ……は?」 「謎は謎のまま置く方が望ましい謎解きもあるのでございます。あたしは今、あなたを葬るつもりはございません。さぁ、全てを忘れてここから立ち去るのです」 「そんなこと……」  燕が低空より――、 「できるわけがないでしょうッ!!」  地面を滑り飛ぶ! 待って、と止める暇もない。それは完全意思に基づいた、燕渾身の飛翔だった。 『ラクト音楽ディッフェが聞こえるかしら。その先端で貴女の胸を突くかしら。私は横から眺めていましょう。ラクトが貴女を仕留め損ねた時、ホルンの刺突を贈れるように――』  中空に、一本の槍が現れる。  あれは……氷だ。氷の槍だ。燕が片手を挙げて投擲とうてきのモーションをとると、たちまち氷槍は燕と同じ速度ではしりだした。稲妻の光が照って、まるで宝石みたい。  燕はつま先でトッ、と着地する。リリーの排撃領域へと侵入。両者の間合いはもはやわずか。燕はくるりと背中を向け、後ろ回し蹴りを放った。 「……フッ」  リリーは腕を組んだままスウェーでかわす。そこへ燕は遠心力を生かしたまま、前蹴りを一つ。これも外れる。燕のすらりとした長い脚は、ただ空気を噛むのみ。 『氷舞ひむら!!』  燕が腕を振ると、たちまちに氷槍ひょうそうがリリーに襲いかかった。斜め上方からの急襲。リリーは片脚だけで跳躍し、銀杏いちょうの樹の幹を蹴る。三角跳びだ。氷槍は当然のごとく、リリーを突き刺すことなくあさっての方向へと走っていく。 「!!」  しかしここでリリーの顔色が変わった。  リリーが地面に降りると同時のタイミングで、燕が中段回し蹴りを撃ってきている。リリーに防御体勢をとる暇はない。だが、それならそれでリリーはおそらく、 「ならば飛ぶのみでございます」  やはり。リリーは着地を諦め、もう一度浮上した。4メートルくらいの高さまで上がられては、さすがの燕でも届かない。 「零式さん、もう諦めなさい。実力差がありすぎます。これではまるで蟷螂とうろうおのですわ」 「その差があるから……生まれる隙もあるでしょうッ!」  この時。  リリーはその気配にまったく気づいていなかったと思われる。  知っていたのは――、術者の燕と、リリーの背後を見ることのできた華茂だけだった。  リリーのロングドレスの裾に、一点の穴が空く。  その穴は次第に大きくなる。異物の侵入を予告している。  リリーの右目が、ひくついた。 「うっ!」  リリーが空中で半回転ひるがえる。しかしその異物――去ったはずの氷槍はリリーのロングドレスを刺し破り、また、ストップした。  リリーのふとももが露わになる。リリーが強く歯を噛むと、ふとももの表面からブシャッ! と鮮血が吹き出した。 「あなた……りますわね」  氷槍の先端はまたもリリーの方を向く。これこそ燕の誘導型魔法――『氷舞ひむら』だ。 「さすがは大魔女ですねッ! はあっ!!」  燕も地を離れ、リリーの高度へと達する。  まずは跳び蹴り。それをかわせば、氷槍がリリーの予想移動地点を強襲する。  蹴りの乱打に『水舞』の二重攻撃。  これにはリリーもたまらないのだろう、かわすのではく、パシッ! パシッ! と手で払いのける動作も増えてきた。燕はとうとう、リリーの手を使わせたのだ。  それでもリリーにはまだ、獰猛どうもうな笑みが残る。これはすなわち、リリーが完全な窮地に立っているわけではないというなによりもの証左しょうさだった。 「ならば攻撃を半減させるのみ!!」  リリーは魔法で、棒のようなものを出現させた。  握り、ブン、と振る。それはまさに円月がごとき動線。リリーは燕に視線を向けたままで、後方に迫る氷槍を真っ二つに割ってみせたのである。  しかしリリーの眼球は左右にせわしなく動いている。なにかを探しているような激しさだ。そしてその反復は、ある一点で止まった。 「そこでございますねっ!」  指先で棒をくるくると数回転させ、ひと突き。腕のしなる、ビシイ! という音が華茂の鼓膜に届いた。  その刹那。  ジュッ……、  ワァァァァァァァァァァァ――――!!  なんと大量の湯気がぜ、辺り一面は数秒間の霧に包まれた。 「水でございますね」  と、リリーはささやいた。 「氷での攻撃と見せかけ、じつは本命の水の刃を配置していた。ですが間抜けなことに、あなたの詠唱えいしょうそのものがヒントになっていたわけでござい、ま、」  リリーの詰まった言葉の先に、  岩弾がんだんが飛来していた。  岩弾は霧の奥から突如として現れ、リリーの肩口を打ち抜――――、 『峨々ががなる刃で、敵を貫け――』  ――――、く寸前、リリーの棒によって弾かれた。  鈍い音が立った。その後に残ったのは気持ちの悪くなるような静寂。  やがて、落雷の音、一つ。 「なるほど。あなたの属性は水と土、でございましたね」 「ど、どうして、今のを……」  燕の声は半ば、裏返っている。 「今のを跳ね返せるわけがありません。また、どうして私の水が湯気になってしまったのですか。その棒はいったい、なんなのですか……」 「お教えしましょう。ですが少し、しつけをさせていただいた後に――」 「えっ」  ぎゅるるるる。  燕の放った岩弾がブーメランのように戻ってくる。  そしてバギィ! と音を立て、四つの欠片へと分離。それぞれの欠片はUの字型の輪っかへと変化し、燕の四肢を襲った。 「きゃあっ!」  燕はそのかせに引っ張られる形で墜落していく。そして両手両足を大きく広げた格好で、地面へと縫い止められた。燕がいかにもがこうが、Uの字型の輪っかは地面に刺さったまま動かない。大地にはりつけにされてしまった燕の前に、音もなくリリーが降りてくる。 「しかし……ここにも優れた才能が……驚いたでございますよ、ほんとうに」  リリーが指で風をなぞると、そこに一挺いっちょうの楽器が現出した。 「燕さん! 燕さん! 燕さんっ!!」  まだ立ち上がることもかなわない華茂は、上半身を起こして叫ぶだけ。そして思う。あれは、魔女学校に通っていたとき、遠くの国の魔女に教えてもらったことがある。  あの楽器の名前は――、バイオリン、といったはずだ。  リリーは漆黒のバイオリンをあごに当て、演奏のポーズをとった。 「あたしも土の属性がございまして……あたしたち、おそろいでしたのね」  そうか。  たしかにリリーは、指先から細かい砂嵐を発生させていた。あれは土属性の魔法にほかならない。つまり魔力の勝っていたリリーが、燕の土魔法を喰ってしまったというわけか。すなわち燕の動きを封じているあの輪っかは、元々燕の魔法だったのだ。  先ほど操っていた棒を、バイオリンの弦に添えるリリー。  雷光が激しくなった。光と影の狭間に結ばれるリリーの像は敵ながら華麗そのものであり、華茂はぞくりとした感覚を覚えた。あの棒は、バイオリンを奏でるための弓だったのか。  華茂の肩と腰に鈍い痛みが流れる。うっ、と声を漏らす。肩の関節など外れてもいいと思った。なぜ自分の身体は痛みを感じているのか。痛みなど、感じざるをえないのか。  自分の肉体に憤怒ふんぬする華茂の前で、リリーの演奏が開始された。  疾風はやては春の祖となるも  そのひと吹きに春あらじ  珂雪かせつは冬の祖となるも  そのひとひらに冬あらじ――  バイオリンの高くきしんだ音が響く。その音に合わせて歌うリリー。もしこれを平時に聴いていたならば、華茂はその音色の美しさに酔いしれたことだろう。  だが――。 「ああっ! ああううっ!!」  聞こえたのは、燕の金を切る声。ビクビクと痙攣し、自由の利かないその身体を激しく上下させている。燕の掛襟かけえりが少しずつはだけ、肌襦袢はだじゅばんが露わになっていく。  あんな、燕の、姿。 「燕さん!」  なぜ動かない、この身体。 「燕さんっ!!」  なぜ大地を踏んでくれない、この脚。 「やめて……やめ……やめろぉおぉぉぉあおぉあぉぉぉぁお!!!!」  イアに教えてもらった技は、なんのためにあるの。なにが「世界一」だ。  愛しい人をたった一人、護ることもできない。無力な、自分。  壊れるくらい、奥歯に強烈な圧をかける。それでも目の前で、燕の身体はのたうっている。麗しく禍々まがまがしい、七分音符の流れの中で。  蹂躙じゅうりんされている。  陵辱りょうじょくされている。  華茂の、大好きな、人が。  悔しくて悲しくて……涙が、滲んだ。  ――その時だった。 「遠野……」  数メートル離れた場所から、華茂の背中に声が飛んできたのは。  首から上だけで振り返る。紅い血液に染まったイアの唇が、静かに開く。 「お前なら……でき、る」 「イア師匠!? だめです、喋っちゃだめです!!」 「なぜなら、お前、は……すでに知っている、から……」  そこまで言って、イアはまた荒い息を吐き始めた。  今、イアは「知っている」と言った。なにを。この惨めな自分が、なにを。 「あぐあぁぁぁぁぁっ!!」  その悲鳴で、また燕の状況を確認する。  なんとリリーは、高いヒールの靴で燕の腹部を踏みつけていた。 「ご存じですか? 音というものは振動によって成り立っています。そして振動は、力。今あなたの血液は、沸騰に向かって歩を進めているのでございますよ」  それはつまり、燕の全身で血管が茹だり始めているということを意味する。  悦びを歌い上げるような、バイオリンの調べ。リリーの優雅な演奏は、そのまま終幕フィーネを迎えた。 「これぞ、黒魔法――『青銅のSleeplessスリープレスNightナイト』。拍手を!!」  リリーはバイオリンを握ったままの手で小さく拍手。それはまるで、透明の観客に拍手を要求するような仕草だった。下方には、煩悶はんもんをあらわとさせる燕の肢体したい。  プチン――。  華茂の頭で、なにかが一本切れた。  痛みはない。痛みなど抹殺した。運命の時間を全うしなければならない。  華茂は、ゆっくりと、立ち上がる。 「ん……?」  とぼけた声を出す、あの標的へ。  一歩、一歩。  また一歩。  頭はまだ、うなだれたまま。  足下を見る。自分の意思を超えたなにかが、華茂の身体を突き動かしている。  華茂の全身から、白いもやが吹き出した。  空気と肌に含まれた水分が、われ先にと華茂から離れていく。  逢魔掃討ジャム・ホルヴァル。  全てを、今から、終わらせる。

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