【第三章――手のひらのマルチバース――】 赤い屋根の、木造家屋。 棟全体が複数の棒で押し上げられており、一階は地面から1.5メートルほど離れている。こうやって高床にしている理由は、食料や調度品を強い湿気から守るためらしい。 突如降り出す雨に、数ヶ月に渡る乾燥期。 それが目の前の魔女――ナンドンランドンの担当する国である。華茂はログハウス調のテーブルを前にして、太鼓のようにしなる椅子に腰かけている。隣には燕。そして斜め向かいではライラがナンドンランドンに、リーフスとハーバルについての説明を熱い口調で行っていた。 ナンドンランドンという魔女は、とにかくでかい魔女だ。 初対面で挨拶を交わした時には、見上げなければ顔がよくわからなかったほど。化粧っ気はまったくないのに整った眉に、肉食動物のようにシャープなつり目。 「こんな遠いとこまで、よう来てくれたのう!」 笑うその口も、じつに大きかった。 しかし特筆すべきは……えっと……胸だ。 これはすごい。すごすぎる。どどーん、とこちらを威圧してくるような量感。 華茂はその双丘に圧倒されながらも、ちょっと待てよ、と考えてみた。 自分が知っている魔女の胸の大きさを並べてみるとどうだろう。 ビリはたぶん、自分――遠野華茂だ。悔しいけれど、やむなし。先日会った胡蘭麗という人には微差で勝っているかもしれないが、あの人は人間なのだからランキング外ということにしておこう。 で、次がエントレス=チャーミだな。変な喋り方をして、長いローブを纏った魔女。物質の温度を分離させる魔法とチェーンソーという武器は、じつに恐ろしかった。 その次が、申し訳ないがライラ=ハーゲンだろう。今現在リーフスを束ねるリーダー的存在。桃色のツインテールがひらりと揺れたら、それは求愛の合図だ。うむむ……。 さて。さらに大きさ順でいくとリリー=フローレスと続く。イアの同期であり、魔女たちの間でも有名人だった彼女。バイオリンという楽器で、視界全域にいる敵の血液を沸騰させる魔法を使う。魔力は、他の魔女とは一線を画す。 ここから、ちょっとレベルが変わる。階段を一段飛ばしどころか二段飛ばしにする感じ。……あ、魔力の話じゃないよ? おっぱいの話だからね? まずは零式燕かな。華茂にとって、かけがえのない存在。ゆえに個人的にはナンバーワンなのだけど、とりあえずは客観的な評価をすることにしよう。 次が、うーん……難しい。白猫を操る最強の魔女レティシア=アルエか、風を扱わせたら天下一品のギャル魔女、ロール=オブ=マロンか。 ま、見た感じではアルエが僅差の勝利を得ているような気がする。おそらく。 また、さらにそこを超えてくるのが、華茂の師匠であるイア=ティーナだった。 イアは、自分がこれまで見てきた中で、もっともふくよかな谷間を有していた。ブラウスのボタンとボタンの間に生じた空間の絶妙さは、今も脳裏に強く焼きついている。 ――だが。 そのイアをも凌駕するのが、このナンドンランドンだ。 腹筋はバリバリに割れているのに、いったいどういう身体の仕組みをしているんだろう。 しかも服装がまたヤバい。……いや、どっちかというとかっこいいのだけど、胸と腰だけをツーピース型に綿で覆い、なにかの動物の毛皮を肩に纏っている。めっちゃ露出度高いけどいいのかこれは!? 『女子は肌を露わにしてはならない』という価値観の国を担当した華茂としては、ぶっちゃけ衝撃だった。燕も頬を赤くして、どうやら目のやり場に困っているみたい。 しかし話をするライラも、それを訊くナンドンランドンも真面目そのもの。ココナッツクリームケーキをお茶菓子に椿茶を二杯飲み終わったところで、ライラの話はいったん終わりをみせた。長い脚を組み、ふむ、とうなずくナンドンランドン。 「つまりボクに、そのリーフスに入ってくれっちゅうこと?」 話をまとめるナンドンランドンに対し、ライラは手を振ってNOを表示した。 「入らなくていいよ。ただ、ハーバルに加担して人間を攻撃してほしくないんだ」 「人間を攻撃……? わぁっはっはっ!」 ナンドンランドンは呵々大笑し、むせるたびに自分の胸を何度か叩いた。 「失礼! じゃけど、ボクが人間を攻撃って! そんなことせんよぉ」 「そっか……いや、それならよかった」 ライラだけでなく、華茂と燕もホッと胸をなで下ろした。 だけどライラがナンドンランドンに注目したのには、大きな理由があったはず。ライラは再び眉の角度を整え、ナンドンランドンに訊いた。 「ところで、あなたが人間を使って穢れを祓おうとしてるって聞いたんだけど?」 「そうなんじゃ! ありゃー、魔女の間でも有名? やはりか?」 ナンドンランドンは嬉しそうに目を細め、小さな拍手のようなものをする。硝子の張られていない窓の向こうを、緑色した鳥が機嫌よさげに横切った。 「あなたは、なんでそんなことをしてるの?」 「おお、興味あるか?」 「興味あるね」 「じゃったら、見に行こうかの。行こう行こう!」 ナンドンランドンは立ち上がり、一方的にライラの肘を引く。あまりの勢いに驚いた華茂たちだったが、今回の任務の核心部分でもあることから、ナンドンランドンの案内について行くこととした。 そして――。 到着したのは、険峻な岩山の上に立つ、小さな山小屋だった。 いやー、ここにたどり着くのは……ほんとしんどかった。 岩山の麓から見上げたところ、ざっと500メートル以上の高さはあるように見えた。そのくらいの高さの山ってけっこうあるのだけど、普通は次第に勾配がきつくなっていくような形をしている。だけどこの岩山は、スタートからいきなり傾斜45度くらいあったのだ。ルートには落下防止用の鎖場が敷かれていたし、これは飛んでいこうという話になった。みんな魔女だし。うん。 だけどナンドンランドンが「ここは魔法で楽しちゃいけんよ! 人間と暮らすっちゅうのはこういうことじゃあ!」と宣言して登山を始めたので、華茂たちもやむなくそれに付き合った。ナンドンランドンは歌をうたいながらスタスタと歩いていく。華茂たちは、ぜーぜーはーはー、死ぬ死ぬ死ぬ。という感じで、やっと頂上に到達したわけだ。魔力を回復したばかりのライラなんかは、すっかりグロッキー状態になっている。口から魂抜けてるっぽいけど……大丈夫かな、あれ? まあ、道中でナンドンランドンの立ち位置を理解できたのはよかった。村を横切る際には、なにもないのに村人から「ナンドンランドン!」「ナンドンランドン!」と名前を呼ばれていた。最強の魔女、と称されることもあった。「来週、勝負だぞ! 今度こそ結婚してくれ!」とかいうのもあったけど、意味不明だったので微妙にスルー。 殺風景な岩山の上から、ナンドンランドンの国を眺めてみる。 小麦やトウモロコシを育てている畑があちらこちらに見えるが、町らしい町はない。ナンドンランドンの村が申し訳なさそうに設けられているのみ。地平線の方にぼんやりと山陰が揺らいでいるが、そこに至るまではただただ平地。ところどころに生えた植物以外は黄土色に染まった、広大な大地である。村の道も、まったく舗装されていなかった。 しかし逆方向に目を向ければ唯一、黒色の山が村の近くにそびえている。 燦々と降り注ぐ油照りと熱波。あの山はなんだろう――? と思っていたら、ナンドンランドンが山小屋の錠を下ろして華茂たちに手招きした。 全員で山小屋に入り――、思わず息を呑む。 山小屋の中は、見たこともないような機械で占められていた。赤いランプがついたり消えたり。それに、『ランプでつくられた数字』が微妙に増減している。あっちの数字は2130から2135に変わり、こっちの数字は700、710、705と変遷する。 「なにこれ?」 華茂が訊くと、ナンドンランドンは腰を屈めて華茂に顔を寄せた。……近っか!! 「これが、穢れを祓う道具じゃよ。アンテナがついておってな、小屋の裏側から伸びておる。人間たちの力が集まれば、アンテナから光が出て穢れを祓えるというわけじゃ」 「へえー。人間の力を集めるって、どうやるの?」 するとナンドンランドンは、小屋の棚から鉄製の帽子を取り出した。帽子というより、頭全体を覆うような形をしている。 「これこれ。これをかぶると、心を力に変えることができるんじゃと」 わかったようで、わからない。華茂が帽子をしげしげと眺めていると、 「実際にやったことはあるのかな?」 そう訊いたのは、ライラだった。 「あるよ。十回くらいかな? 全部成功じゃったがの!」 「ふうん」 「じゃがおそらく、誰でもできるというわけじゃないんじゃぞ。そんじゃそこらの奴らにゃあ無理。うちの村の男どもは皆、強いから穢れを祓うことができたんじゃ!」 どうやらナンドンランドンは、穢れを祓っていること自体を誇りに感じているらしい。それが魔女の手によるものでなくてもかまわないのだ。自分の担当している国の民がアニンを救っている。その事実がナンドンランドンにえもいわれぬ喜びを与えているのであろうことは、彼女の表情からして論を待たなかった。 ――とはいえ。 実際にこの目で見てみたところ、その仕組みを理解しきることができない。満足げに首を上げるナンドンランドンとは違い、華茂たちの間には微妙な空気が流れた。 なので華茂は帽子を手に取り、「かたつむりの殻みたいだね、これ」と冗談を言った。この場の雰囲気を和ませたくて。すると――、 「…………!? ど、どういうことじゃ!?」 ナンドンランドンが華茂の肩に手をかけ、強い力で横に押しのけた。 ナンドンランドンが……怒った!? 華茂がいらぬことを言ったから? 「ご、ごめ、ごめんなさ……」 口をアワアワとさせ、声を震わせる華茂。 しかし、違った。 ナンドンランドンは小屋の窓から、遠方に向けて目を眇めた。 「また、溶岩……? なんで……」 華茂たちも並んで窓から首を出す。 近くの山の頂上が緋色に燃えている。そして山腹を、スライムのような流動物がどろどろと這っていた。あれは……、華茂も知っている。 触れた者にまとわりつき、焼死に至らせる恐怖の騎士。 まごうことなき溶岩がナンドンランドンの村に向かい、迷うことなく歩を進めている。
コメントはまだありません