魔女のお茶会
第二章⑨(ウニャーオ)

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 華茂かもの見る景色は赤、青、黄の三原色へと分離した。  起きてすぐ寝ぼけまなこをこすった時のように、ブゥゥ……ン……と像が三つに分かれ、同じ速度で一つに重なる。一瞬、世界の重心がずれたのかと感じた。  つばめの二の腕から、多量の出血。あれは上腕動脈じょうわんどうみゃくを内側から切ったのだろう。血しぶきの後はまとまった血が腕からぽたぽたと落ちている。止まる気配はない。むしろその状態でもマロンの風刃ふうじんをよけなければならないため、燕の白衣装にはただちにあかの斑点が生じた。  魔女の身体のつくりは、人間のそれと変わりはない。燕の体躯たいくなら、1リットル程度の血が抜ければ出血性ショックで死の危険が生じるはずだ。  そこで華茂の脳に電気が走り、ブレる。  さっき想像した自らの死よりも。  それは、もっともっと恐ろしいことであるように思えた。  たいせつな人が失われてしまうこと。  華茂は、断言できる――。  たとえ神々がしたり顔で質問をしてきたとしても、こんなものはもう即答だ。  笑顔を。何気ないやりとりを。たしかに脈打っていた、いのちの鼓動を。  それらが失われることは、この世でもっとも恐ろしいことなのだと。しかも自分のふがいなさが要因となってしまった場合、これからまともに生きていける自信などない。  だから、止めなければならないのだ。  今! 己は、ぺちゃくちゃと恐怖をくっちゃべっている場合などではないのだ!!!! 「マロン! 攻撃を。やめなさい! いったん。地上へ!!」  チャーミが必死に呼びかけているようだが、マロンはフンと鼻息を一つ吹くのみ。  だがその返事を、華茂は一つ一つの単語で聞いた。  な  に  言  っ  て  ん  だ  よ。  う  ち  が  押  し  て  る  だ  ろ  え  …………?  皮膚がピリピリと弾け、そのまま砕けてしまいそうなほどの超音速。  華茂の拳が、マロンの鳩尾みぞおちに斜め45度の角度で着弾した。 「ぶっ…………はぁあああぁあぁぁっっ!?!?!?」  マロンの胃液が宵の雲のように広がる。  どこから来たのか。  どうやって来たのか。  そう、疑問に思っていることだろう。  だけどそれは、華茂自身にもわからない。気づけばマロンが目の前にいた。知らない知らない知らない、知る必要すらない。自分がやるべきなのは、この金髪の魔女を戦闘不能に陥らせることだけ。 「はぁっ、ひゅうっ」  マロンがぼろぼろぼろぼろと涙をこぼしながら、後方へと飛び去る。  そこへ――、 『風龍かぜかざし!!!!!!』  勝手に言葉がこぼれ出て、勝手に腕が水平をいだ。  ただそれだけで、無数の風がマロンを追撃する。 「あああああっ……やだっ……!!」  ビシッ ズビシッ  シュバ――――ッ!!  逆刃さかばの風が、マロンの身体――肩、横腹、ふとももの三ヶ所を破った。  ぐらりと傾き、仰向けの体勢へと落ちていくマロン。よし、これでいい。それより燕は。燕は。燕は……。 「ありがとう、華茂」 「燕さん!」 「私を護ってくれたのですね。礼を言います」  すぐに燕の腕の状態を確認する。ゆったりとした白装束に、血液が湖のようになって溜まっている。出血が続いているかどうかも定かではない。華茂は自分の服の肘から先を引っ張って破り、止血のための布として燕の肩にきつく巻いた。 「燕さん、病院に行こう。それか、ライラさんに治してもらおうよ」  たしかライラは回復魔法を使えたはず。アルエを味方につけるという使命は果たせていないが、いのちに関わる戦略的撤退であれば問題ないだろう。  燕に肩を貸し、ゆっくり高度を下げようとした、その時だった。  くれないの雨が、降ってきた。  ぽとり、ぽとりと。なまぬるい雨が――。  それはまさに、華茂たちの真上。 「やってくれたわね……」  瞳孔の据わった目でこちらを見下ろす、マロンの姿があった。 「!!!!!!」  言葉を出す間も、意思確認を行う時間もない。  華茂と燕はお互いを突き飛ばし散開する。そして燕は痛みに顔を歪めながら右腕をグンと伸ばし、その肘の内側をもう片方の手で握った。 『我が身委ねる母なる大地よ、葉擦れの声よ。森羅の生命を乗せて、集え』  マロンが生唾を呑みこむ。慌てたように燕から距離をとる。そうだろう、まさか燕がマロンよりも先に攻撃に転じるなど予想だにしていなかったのだろう。  だけど華茂は知っている。  その駿足しゅんそくこそが、燕の燕たる所以ゆえん。  魔女学校の実戦訓練において、燕はここぞという時には必ず相手役の先をとった。躊躇ちゅうちょはない。同情もない。やると決めたら、身体は一秒前に動いている。  それが華茂の代の主席、零式燕ぜろしきのつばめという魔女なのだ――。 『峨々ががなる刃で、敵を貫け――――っっ!!』  カカッ! と巨大な閃光がきらめく。光が去ったその後に、五角錐の形に似た岩弾が生じていた。湿り気はいっさいない。ただ、相手を貫く意思だけを有した巨岩。  その岩が突風を引き連れてマロンに襲いかかると同じ速度で、岩の隣を燕が飛び進んだ。あれこそがリリー戦でも見せた、燕の必勝法。魔法に合わせて高速蹴りを乱舞らんぶさせるという、ほぼ全ての者にとっては回避不可能の一手だ。魔法と蹴り。いずれの攻撃から目を背けても、相手は頓死とんしする。  マロンもこの攻撃のみょうを感じとったのだろう。すぐさま、地上に向けて大声を放った。 「チャーミも来てよ!! チャーンソー出せなくても別に大丈夫だろ!?」  その刹那せつな。地上より、逆戻りする雨のように黒いひと粒が降り上がってきた。  その粒は直ちに実像を結び、燕の大岩の下方へと到着座標を合わせにいく。 「こらぁぁあああぁぁぁぁぁああぁぁっっっ!!!!」  マロンの雄叫び。  そして。  岩弾の側面へ回りこんだマロンは、全身の力を振り絞るようにして岩に抱きつき。  その真横では、燕の蹴りとチャーミの蹴りが『X』の字を描き停止している。 「余計な。ことを……」 「マジでごめん! ごめんな! …………風閉フライトロールっ」  するとマロンの身体の周りを、セルリアンブルー色した風が渦巻いた。風の中心にいるマロンの傷が、みるみるうちに塞がっていく。  なんと……マロンも回復魔法を使えるというのか。  だとしたら、しまった。  マロンは回復の後、華茂と燕に攻撃を行うという算段をしていたはず。しかし燕の急戦は、マロンに回復させる時間を与えなかったのだ。燕の土魔法に見とれているるヒマがあったのなら、どうして華茂も即座に後を追わなかった。この愚図。間抜けめ。  悔やんでも悔やみきれない機会を相手に与えてしまった。  振り返ってみれば、この戦いで最大の失着。 「この程度なら。手助け。可能だけど……Перекуса было достаточноおやつくらいにはなりましたか?」  チャーミが抜きつけに、燕の喉へと手刀を突きこむ。これを燕は間一髪でかわし、身体の中心線から外れるようにと手で弾く。必然、チャーミの身体はぐらつく。そこを逃すまいと、燕の鋭い突き。チャーミは屈伸を繰り返して燕に空を掴ませ、一方の燕は打って打って……ただただ打ちまくる。  ――今だ。今しかない。  華茂は念じる。後悔の轍など、二度と踏まない。全力で上昇し、マロンを狙う。……もう一発。もう一発入れてやる。虚空の時間で意識を刈り取れるくらいの、決定的な一撃を。  しかしここで、岩の推進力が、ふとやんだ――、 「ん? あーらよっと!」  マロンが両腕をクロスさせると、大岩はあっけなく瓦解がかい。  数百の塊へと崩壊し、やがて重力を顕現けんげんさせ始める小岩たち。  ――――が。 『我が名にかけて帰趨きすうを制する!! 我が名は、零式燕。ぜろなる空をかける者っ!!!!」  小さなつぶてが無限の字を描くように動き、結集。  その塊は巨大な手と化し、マロンへの握撃あくげきを加えようとする。 「わ、ずりー! ちょっと待ておめー!!」  空気を掻き、慌てて逃げるマロン。そのマロンを岩の手が追いかけていく。速度は岩の方が上だ。マロンが捕まるのも時間の問題か。マロンの犬歯は小刻みに震える。  その距離、ゼロ。  目をつぶり、頭を抱えた格好をとるマロンの直前で……、  岩の手は、完全停止していた。それどころか、またも礫に戻りバラバラと散っていく。その通過線の奥に、崩壊の答えが示されていた。 「あ、う……」 「あと一歩。またそのうち。がんばり。ましょうね」  チャーミの裏拳が、燕の乳房の奥深くまでめりこんでいた。  血風惨華けっぷうさんげ――。  大きく口を開け、バランスを崩す燕。それでも必死の形相で手のひらを小岩の群れに向ける。しかし、岩にはなんの変化もない。ただ、地上を目がけて落下するだけだ。 「なぜ戻らないのですか!? これは、いけません!!!!」 「解説を。読み上げるので。よく。目を凝らすように」  華茂は全力で高度を下げた。このままでは岩の欠片かけらが町へと落ちてしまう。だけど燕は今、土魔法を消そうとしたはずだろう。自分の魔法なのに、なんで、消えないの……。  あ。  岩が、燃えていた。  それぞれの岩が炎をまとい、火山弾のように雲を突き抜けていく。 「だ、だめだめだめだめだめだめだめだめだめぇえええぇぇぇぇぇえぇ!!!!!!」  これはチャーミの火魔法だ!  チャーミが燕の魔法を喰らっているから、どの一つも消えてくれないんだ!!  華茂は掌底で、脚で、固めた拳で払った。必死に払った。だがどうしようもない。いかんせん、あまりに数が多すぎる。結局、全体の九割は砕けないまま町へと降り注いだ。  最初の爆撃で噴水が破壊され、大量の水はたちまちに水蒸気へと化す。さらにいくつもの黒煙が立ち上り、町は今度こそパニックに陥った。人々は蟻のようにめいめいの方角へと逃げ惑っている。どうやら、まだ炎が消えていないらしい。あの炎を消さない限り、火は火と連鎖し、ついには大火事を引き起こしてしまうだろう。  華茂は再度、雲のつつみを突き抜けた。あいつを……チャーミを倒さなければ。  チャーミを無力化させなくては……、  あの火は、消えない!!  再び地上150メートルにて、チャーミとマロンの姿を捉える。  無表情を崩さないチャーミに、とぼけたふうに口笛を吹くマロン。  しかしあれらは二人にとっておそらく、嗜虐的しぎゃくてきな笑みにほかならない。 「なんてことするのよ! 絶対に……許さないから!」 「町を。燃やすことを。しました。はい。質問はここまで」 「てめー、さっきはよくもやってくれたわね! 百倍にして返してあげるわ!」  火を操り、非常に高度な戦術をようする、チャーミ。  高速の風刃はいまだ健在。広範囲の攻撃を可能とする、マロン。  いったいどうすればこの二人を止められるのか……。  糸口が見つからない。状況としては、かなりまずい。  く、と唇を内側に巻きこんだその時、華茂の横から何者かが雲を越えてきた。  その子は弾丸のようにマロンの眼前まで到達し、マロンにニコリと微笑みかける。 「なんだ、おめぇ……?」 「ウニャーオ」  マロンの鼻をのんきにぺろりと舐めたのは。  一匹の白猫、だった。

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