魔女のお茶会
幕間:キレイだね、折り紙

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「やぁ、こんにちは。待った?」  クラントはいつも、棒の先についたキャンディを舐めながら現れた。  建物と建物に挟まれ、陽の光のさえぎられた路地裏に。申し訳なさそうに、頭を掻きながら。 「はい、蘭麗らんれいちゃんの分もあるよ」  そしてそう言って、蘭麗にもキャンディをわけてくれたのだ。  二人してしゃがみ、黙ってキャンディを舐めた。桃の味が多かった。いちご味だった時もある。クラントは飴が小さくなるとすぐにガリガリと噛んで飲みこんでしまう。そしてタバコに火をつけ、一服を始める。蘭麗はもったいないので、最後までしっかりと舐めた。  蘭麗は身長150センチにも届かぬ、子供のような魔女。一方のクラントは、180センチ台後半くらいの背丈がある青年だった。だから蘭麗はしゃがむのが好きだった。二人の目線が、少しは縮まるような気がしたから。 「食べた? じゃあ、行こう」  キャンディを舐め終わったら、クラントの家に向かう。これがいつものスケジュールだった。クラントの住むマンションは、路地裏の待ち合わせ場所から数分歩いたところにある。集合住宅用のダストボックスからえた臭いがする。クラントとの待ち合わせを始めた頃は臭いと思ったけれど、いつしかまったく気にならなくなった。泥で濁った水路も、コンクリートの隙間から顔をのぞかせる黒い虫たちのこともだ。  薄暗い階段を七階まで上がる。エレベーターはない。クラントは魔女を統括する部隊に所属していたのだけど、若者かつ下っ端だったためこのような安マンションしかあてがわれなかったらしい。蘭麗が階段でつまずいた時には、クラントはいつも蘭麗の手をとってくれた。力強かった。クラントは自分の部屋のインターホンを押して、ただいまごっこをよくやった。一人暮らしなのに。変な奴だった。 「さ、いらっしゃい」  玄関を開けて電気をつけ、奥の部屋へと進む。この家に部屋は二つしかないのだけど、そのうち奥側の部屋が蘭麗とクラントのお気に入りだった。手前の部屋にはベッドと、複数の銃器がある。キッチンには使った食器が山積みになっている。クラントが頭を掻きながらドアを開けると、まだ電気をつけていないのにミモザ色の光が蘭麗の眼球を撫でた。  それはたしかに、太陽の光だった。  オンボロの建物がいくつも並ぶ住宅エリア。日当たりなど求められない部屋がほとんどである中、クラントのこの部屋だけが太陽の恩恵を受けることに成功していた。 「今週は、なにか変わったことあった?」  クラントが上着を脱ぎ、それをハンガーにかけながら訊く。 「ううん。いつもどおり」  そう。蘭麗はいつもどおり、けがれをはらうという役目をこなした。外界から遮断された、白く無機質な研究棟の中で。あの研究棟では魔女一人一人に部屋が与えられ、そこから出ることは許されない。魔女はただただ、穢れを祓うために魔力を提供しなければならない。研究棟から出られるのは、魔女を統括する人間たちだけだ。しかしクラントは扉を通過するためのスペアキーを、蘭麗だけに渡してくれたのである。クラントが休暇の日に蘭麗がこっそりと研究棟を抜け出しているということ、そしてこのマンションに来ているということは誰も知らない。 「いつもどおりってことは……また、他の魔女にいじめられたのか?」 「えっと、それは……」  説明しようとして、言葉を呑みこむ。  魔女が人間の科学技術に支配され、ただ穢れを祓う道具として扱われ始めたのはちょうど二十年前のことだった。かつて人間から尊敬を集め、同時に人間たちと仲良く暮らしていたのがもう遠い昔のことのように思える。  だから、なのか。やりきれなさが導いたから、なのか。魔女の間で、強いヒエラルキーが発生した。基本的に魔力の弱い魔女は他の魔女から嫌がらせを受ける。蘭麗は研究棟の中で、その魔力の弱さからいじめを受けるのが当たり前になっていた。  配給食につばをかけられることがよくある。  足を引っかけて転ばされることもよくある。  睡眠中に、蘭麗にだけ聞こえる大きな音を魔法で仕掛けられたこともだ。心臓をドキドキいわせながら飛び起きると、クスクスという笑い声が聞こえた。ショックで泣きべそをかくと、「うるさい」と言って顔を蹴られた。人間の夜間監視官に見つかり、全てを蘭麗のせいにされた。下着姿で通路に立たされた。銃座じゅうざで頭を殴られ、血を流した。その姿をクラントに見られたのが、蘭麗とクラントの関係の始まりだった。  しかし、この秘密の週末を過ごすようになってからも、嫌がらせは続いている。それらをクラントにぶちまけてもいいのだけど、どうしてか恥ずかしくてなにも伝えられない自分がいた。クラントはそういう時、いつも黙って蘭麗の頭を撫でてくれる。 「うーん!」  クラントは気持ちよさそうに伸びをして、クローゼットを開ける。中から、おびただしい数の折り紙が雪崩なだれのようにこぼれてきた。鳥、カゴ、花、船、帽子。色んな形の折り紙がある。捨てたらいいのにと何度言っても、クラントはそれらを捨てようとしない。蘭麗が本当の意味で自由になった後、自分の思い出にしたいそうだ。意味がわからない。 「じゃあ今日は、なに折る?」  そう言ってクラントは、春のように笑った。 「今日は、魚がいいわ」 「なんで?」 「なんだか、空が水色に見えるから」  クラントは、ふふ、と笑った。折り紙遊びをしたら、焼き魚を食べようと言ってくれた。二人で折り紙の本を読みながら、唇を突き出して水色の紙を折った。クラントは何度も失敗して、腕組みをした。なんの音も聞こえなかった。研究棟に広がる無音とは、まったく異なった心地よさがあった。気づいたら、クラントは椅子にもたれて寝息を立てていた。  クラントの腹に、明るい日だまりができる。  蘭麗も折り紙をセコイアのテーブルに置いて、隣のベッドへと横たわった。  草むらの匂いをほのかに吸いこんだ気がする。蘭麗はキルティングの掛け布団を抱き締めて、90度ずれた視界でクラントの寝顔を眺めた。  蘭麗の髪が、太陽の熱をじんわりと蓄え始めていた。  蘭麗は、ゆっくりと瞼を開ける。  辺りを見回すと、グレーのローチェストがあった。ああ、ここは……。よく似ているけれど、クラントの部屋ではない。あの場所に、帰れるはずがない。ここはリリーの部屋だ。ベッドから立ち上がり、ドアを開ける。そこには、ソファーで静かに眠るリリーの姿があった。バイオリンが床に置かれているところを見ると、演奏の途中で疲れて眠ってしまったのだろう。 「ふん」  蘭麗はリリーの寝顔に視線を落とし、鼻で笑う。  不覚にも、昔の夢を見てしまった。  ……いや。昔の、というのはおかしいか。今から百年後の夢だ。蘭麗がこの時代にやって来るより前の、未来の夢。  まあ、この時代にもいいことはある。魔女がまだ人間の科学により『魔力強化』の措置を受けていない。だから魔力の弱い魔女ばかりだ。蘭麗も、この時代においてはそこそこ強い魔力をもった魔女だと判定される。といっても、さすがにリリーなどには敵わないが。  蘭麗はダイニングに向かい、食料をあさる。木箱の中に、紙に包まれたパンがあった。少しちぎって、口に放りこむ。そして別の部屋に移動し、アルエの様子を確認した。うん、大丈夫。ちゃんと睡眠魔法が効いているようだ。幼げな顔にはわずかな苦悶が現れているが、目覚めそうな気配はない。よしよし、このまま大人しくしていてくれよ……。  蘭麗はパンを咀嚼そしゃくしながら、決戦に向けて最後の思考整理をすることにした。  まず、この時代の魔女も人間も、『人間が穢れを祓ってはならない』という事実を知らない。人間どもが穢れを祓って大災害を引き起こすのは、この時代から数えて三十年後のことだ。あの日、世界各地の火山が噴火し、大規模の津波が沿岸都市を襲った。空は何ヶ月も雲に隠れ、常に雷が鳴り響いていた。それはまさに、地獄の光景のようだった。  穢れは、魔女の手によってしか祓えないのだ。  実際、百年後においては、人間による穢れの祓いは絶対禁止事項とされている。  なので人間を滅ぼすためには、この事実を逆手にとって利用してやればよい。  そこで蘭麗は、ナンドンランドンと彼女の担当する地域に注目した。あそこはこの世界の中でも極貧であり、文明社会からは隔絶された場所だ。ゆえにしばらくの間は『魔女狩り』の思想が届かない。しかも強力な魔女が人間と仲良くしている。ナンドンランドンの自己顕示欲を刺激してやることで、彼女は簡単に協力してくれた。まさか自分が人間の死滅を呼び起こすなどとは露知らず、今も粛々と人間に穢れを祓わせてくれていることだろう。誇りとか、なんとか言って。想像するだけで笑えてくる。  とはいえ、人間に穢れを祓わせるなど、あまり目立ったことをすれば他の魔女に見つかる可能性がある。人間に穢れを祓わせ、大災害によって人間を皆殺しにするためには、なんとか魔女たちの視線を逸らさなければならないのだ。そして蘭麗は考えた。  魔女同士を二分して戦わせればよいのではないか、と――。  人間と仲良くする側と、人間と敵対する側に魔女をわけてやればよい。それにはまず、人間に魔女を攻撃させる必要がある。だがそれは簡単だ。人間は元々『長い寿命をもつ魔女』、そして『世界の命運を魔女に握られている』という事実に意識下で不安を覚えている。その不安を煽ってやれば、人間はたちまち魔女に牙を剥くだろう。あの未来でも、人間は魔女を科学で支配し、監禁し、精神的かつ肉体的な苦痛を与え続けた。人間などという悪魔に行動させること自体は簡単だ。  しかしそのためには、ターニングポイントが必要となる。  蘭麗にとっては、ここが大きな問題だった。魔女は人間に危害を加えない。だからなんとかして、魔女が人間を傷つけたという事実を作出しなければならなかった。  そこで蘭麗は、人間の国同士の覇権争いに注目した。しかもそのうち片方の国を強力なリリーが担当していると知った時、これはいけると思った。伝説級の魔女を味方につけなければならないと思っていたのだが、イア=ティーナに心の隙はなく、レティシア=アルエはまだ幼い。そこでちょうど狙っていたリリーが、偶然にも蘭麗の策略の線上に現れたのである。一石二鳥とはまさにこのこと。蘭麗はリリーの国と敵対する国に、時限式の発火魔法装置を与えた。これで敵国の要人を狙うことができると伝えた上で。  だが人間は、蘭麗が思った以上に愚かだった。あの時限装置は、人間に軽い火傷を与えることくらいしかできない。それなのに自ら装置を解析し、致死量の火薬を加えたのだ。結果としてリリーの国の皇太子――ファルクは魔女による発火現象、というような形で絶命した。これには蘭麗も驚きだった。ファルクの婚約者である魔女メイサは火あぶりの刑に処された。蘭麗としてはメイサの死など望んでいなかったので、申し訳ないことをしたという気持ちがある。ただ、この予期せぬ結果により蘭麗の心は確固たるものとなった。  蘭麗は直ちに行動した。親友のメイサを殺された今、リリーの思考は負に満たされているはずだ。蘭麗はリリーの哀傷あいしょうにつけこみ、彼女を操ることに成功した。この負の感情をコントロールできるのが、蘭麗の黒魔法『グロッキー・アウト』である。この魔法は零式燕ぜろしきのつばめにも仕掛けてある。早く、あの罪悪感を何倍にもして解放してやりたい。想像するだけで蘭麗の口元が歪んでくる。  やがて蘭麗の思惑どおり、リーフスとハーバルなる馬鹿げたグループが形成された。魔女たちが一目置くリリーがハーバルを結成したのだから、その影響は大きかった。魔女同士は互いに牽制し争うようになり、ナンドンランドンの行動に気づく者などいなくなった。  そして蘭麗はリリーに、イアへの攻撃を命じた。蘭麗から見て、最も注意すべきはイアだったからだ。あの魔女の視野は広い。放置していたら、いつかナンドンランドンの存在にたどり着いてしまう。しかもイアは、遠野とおの華茂かもというキーになる魔女の魔力を開花させようと計画していた。華茂が真の魔力を身につけてしまえば、蘭麗の計画の大きな障壁になってしまう。そのため、厄介なイアを無力化しておかなければならない。  しかしあの戦いでイアに大きなダメージを与えることには成功したが、同時にリリーも華茂により傷つけられてしまった。蘭麗はリリーの身体を転送し、一ヶ月をかけて再生した。バイオリンの演奏もできるようになってきたみたいだし、そろそろ全力で戦える身体に戻ってくれることだろう。イアの身体は片腕のライラ=ハーゲンとかいう魔女が転送して回復させているようだが、華茂と燕には任務に集中させるため告げていないらしい。  あのライラも、とんだ食わせものだ。  いや、蘭麗としては最も厄介な魔女といえる。  いち早くナンドンランドンの異常に気づき、その状況を確かめようと現地に赴いた。そうであればこちらも行動を起こさざるをえない。蘭麗は回復途中のリリーに命じ、アルエの誘拐に成功した。しかしさすがは百戦錬磨のリリーだ。まだ完全な状態ではないにも関わらず、経験の差でアルエの身体を確保することができた。  後は、華茂と燕とライラを呼び出し、まとめて葬り去ってやればいい。そうすれば、ナンドンランドンの愚挙を止める魔女は誰もいなくなる。  それにだ。  仮に華茂たちの抵抗が強い場合、思いきって『第二案』に移行できる。  ナンドンランドンを知る魔女を撃滅するか。あるいは、第二案を発動させるか。いずれにせよ、ここが蘭麗の剣がみねである。  蘭麗はここまでの思考整理を終え、再びリビングに戻る。リリーは相変わらず、上品な寝息を立てている。蘭麗は足下にあるバイオリンの弦を、指で軽くつまんでみた。  ボン、と低い音が鳴った。  この音は、なにかに似ていると思った。  ……そうだ。あの日。蘭麗の世界が終わった日。頭の中で弾けた音と、よく似ている。 「今から貴様の消滅を実行する」  人間たちが物々しい武装で蘭麗の部屋に入ってきた。同室の魔女たちは悲鳴を上げ、廊下へと退避した。壁際に追いこまれた蘭麗に書面が突きつけられる。そこには『無断逃避の罪』と書かれていた。蘭麗が週末に研究棟を抜け出していたことが、ばれてしまったのだ。蘭麗はきつく唇を噛んだ。そして、覚悟した。 「まったく、クラントの馬鹿が」  先頭の男が呟いた。  そう。クラントだ。その名の人間が、蘭麗につかの間の幸せを与えてくれた。泡となるまで穢れを祓い続けるだけの道具に過ぎなかった自分に、太陽の光を思い出させてくれた。一緒に折り紙をつくってくれた。彼の、できる限りの調理をプレゼントしてくれた。それだけでもこの世に生まれた意味があった。それで満足だった。神様はいたのだ。胡蘭麗フーランレイという魔女に喜びの時間を与えてくれた。だから、もう、それだけでよかった。  だけど最後に、どうしても気になることがあった。  それは、質問というにはあまりにもたどたどしく。  もしかしたら、言葉になんてなっていなかったのかもしれない。  蘭麗がクラントの処分の顛末について訊いた時、先頭の男は重々しく答えた。  クラントは、銃殺に処されたと。 「あうっ、あう……」  脳の中枢に、巨大な炎が燃え上がった。全てを呑みこみ、破壊し尽くす業火。  なぜ、なぜ、クラントは殺されなければならなかったのか。魔女の自分ならわかる。見下され、支配され、蹂躙じゅうりんされるだけの存在なのだから。  だけどクラント、あなたは違うだろう。あなたは喜びを求めた人間。けして豊かではないその身であっても、誰かに喜びを贈ろうと努めた人間ではなかったのか。それなのに、どうして、なぜ。 「あうあぁああぁぁぁぁぁあああああ!!!!!!」  蘭麗は目を見開き、両手で頭を掴んで激しく揺さぶった。  男たちが銃を構える。そこにためらいはない。蘭麗は、激しく嘔吐した。  ――神様。  神様、だって?  お前、ぶち殺してやる。このクソ野郎。下衆げす。したり顔で人の心に潜りこんできやがって、それでいて最後の最後にほくそ笑むというのか。蘭麗からクラントの思い出を奪い、世界からクラントの命を奪って、それか。  蘭麗は願った。  戻りたい――。  あの日に、戻りたい。帰りたい。  この願いを叶えてくれるのは、神などではないだろう。きっと悪魔だ。それでもいい。この魂を悪魔に売ってもかまわない。自分の魂など、包丁で切り、指でこね回し、灼熱の鉄で焼き尽くしてくれればいい。それでも、帰りたい。 「うわぁん」  蘭麗は、幼子のように泣いた。 「帰りたいよう。嫌だよう。えっ、えっ……ぐずっ。クラント、クラントぉ。遊んでよう。あたし、嫌だあ。うわぁん、うわぁん。ぐずっ……。帰りたいよ。こんなの嫌だぁ……」  その時だった。  ボン、という音が聞こえた。  視界に波が生じる。  蘭麗の魔力が影響したのか、あるいは悪魔が手を貸してくれたのかはわからない。  激しいノイズが続き、光の円柱が蘭麗の身体を包みこむ。意識が、落ちる。  気がついた時、蘭麗は百年前の過去の砂漠に転がっていた。  それから蘭麗は今自分が置かれている状況を理解し、なにを成すべきかを考えた。魔女学校へと入り、この時代の魔女たちに溶けこんできた。蘭麗の正体に気づく魔女はいない。しかし蘭麗だけが、あの日自らと交わした約束を覚えている。  蘭麗は、リリーの部屋のクローゼットを開ける。  ドサドサと、折り紙の山が崩れてきた。  これは、蘭麗がこの時代に来てから折ってきた作品たちだ。  蘭麗は今から、人間どもを皆殺しにしてやる。  だけど全てが終わった後、たった一人の人間のことを思い出すだろう。 「キレイだね、折り紙」  蘭麗が魚の折り紙に息を吹きかけると、魚はまるで海を泳ぐかのように宙を飛んだ。  さぁ。いよいよ――終わりの時間だ。

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