魔女のお茶会
第二章⑫(零下の魔女)

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 チャーミはけた。  この一撃に、全てを懸けた。  チェーンソーを現出げんしゅつさせれば、もはや浮力をえられない。それはすなわち――、  ――自由落下。  落下を開始する位置が高ければ高いほど、速度を生じさせることができる。だからチャーミはいったん退避するように見せかけて、ぐんぐんと高度を上げる格好で飛んだのだ。そして、宇宙を見たのだ。  アニンの全景。それは、あお。ところどころに浮遊するけがれが、各地の魔女によって秒単位で祓われていく。魔女たちは長く長く、こうやってアニンを護ってきた。  なのに人間たちは魔女を必要としなくなった。……いや、それだけじゃない。無用となりつつある魔女を皆殺しにしようとしている。そんな、馬鹿な。ふざけたこと……。  誰かがチャーミを呼んだ、気がした。  誰かがチャーミのせなを押した、気がした。  空気との激しい摩擦。チャーミの頬に薄く細かい創が走る。魔女の命運をこの手に。この一瞬に――。  だが。  わかっている。この行為が無駄だということは百も承知だ。チャーミは敗北を覚悟している。この斬撃が当たろうが当たるまいが、その直後に待っているのは無残なる落下だ。  それでも、振り切らざるをえなかった。  チャーミが、ハーバルであるために。  そして、チャーミが、零下の魔女エントレスチャーミであるために……!!!! 「キャーハハハハハハハハアッハハハハハハハハハ!!!!!!」  ブルーン! ブルルルルルルルルル!!!!  ……ああ。  ほら。華茂かもが座標をずらした。  そうでしょう。  そうでしょうね。  この技はただ、避ければいいだけの技。  チャーミの瞼が半分ほど閉じられた――――、その時。  華茂が再び、座標軸上へと戻ってきた。 「!?」  なぜ。  なぜだっ!  避ければいいのよ。君は、避ければいい。  なのにあの魔女――遠野とおの華茂かもは、両手を広げてチャーミを待ち受けている!  チャーミは、ふっ、と息を漏らす。その息はただちに白くたなびき、氷点下へと落ちていった。  そうか。なら、食らうがいい。  膝はもう利かない。頼れるのは、己の両腕のみ。全身全霊の思いを乗せて、その負けん気の強そうな顔を真っ二つにしてやる。 (…………ワヨ)  唸れ唸れ、我が手中しゅちゅうの刃。毎秒50回転のクランク軸。ズタズタに切り刻んでやれ。かつて蹂躙じゅうりんされた、このこころのように。 (ソン…………ヨケ…………ワヨ)  さぁ、終わりの時。風の音が甲高くわめく。たちまちに耳は音をなくす。悪いのよ。君が、調子に乗ったから悪いの。なんでもかんでも、自分の思うようになるとうぬぼれない方がいい。死ぬ前に、ようやくわかるなんてね。 (ソン…………トコロ…………ヨケ…………アブ………ワヨ)  ギャァ――ン!! 眼前。華茂の。瞳の芯。ギャアアアアアァァァアン!!!! 回転する鉄。迫る迫るギャアアアアア――――――――――ン!!!!!! 迫る迫る迫る迫る迫る迫る迫る、死が、ギャアアア!!!! 死が、迫る迫る迫る迫る迫る!!!! 死が死が死が死が死が死が死がガガガガガガァァァァァァァッッッ!!!!!! (ソンナトコロニイテハ、イケナイ。ヨケナイト、アブナイワヨ…………)  ひゅっ――――――、と。華茂の呼吸。そして、清純な唇。  バアアアアアァァァァァァァ――――――――――ンンン!!!!!!  なっ、なんと!  華茂が、両手でチェーンソーの側面ガイドバーを挟みこんだ。  宇宙から飛来した、チャーミの運動エネルギー。さらにチェーンソーに込めた最後の魔力。大地を割ってもおかしくないこの衝撃を……側面から、止めた!?!? 「真剣、白刃取りだぁぁぁぁぁっっっ!!!!!! ――――あああああああああ!!!!!!」  バッキ――――――ン!!!!  華茂が肩を鋭くひねった瞬間、チェーンソーの刃が真っ二つに折れた。  もう、攻撃のていを成さない、悪魔の武器。チャーミは(終わった)と思った。チェーンソーを手放した。あとはこのアニンに叩きつけられるのみ。  空が晴れていく。氷で覆われた空は太陽の光に照らされ、果てしない天芎てんきゅうをとり戻した。そして虹が架かった。大きな、大きな虹。子供の頃に、無垢な笑顔で騒ぎながら眺めた虹。あの時自分は、将来どんな魔女になりたいかって訊かれて。こう、答えた。 『たくさんの。人を。護れる魔女に。なりたいわ!』  穢れのない空。  青いわね。――ほんとうに、青いわ、ね。  ――――ガシッ!!!!  チャーミの腕が、掴まれた。落下は止まり、チャーミは腕一本で支えられる格好となる。……落ちない。落ちるはずの身体が、落ちないのは。 「…………つばめ」 「ぐうううぅぅぅぅっっ!!」  燕だった。  燕は二の腕からぼとぼとと血を垂らしながら、一方の手で人間の飛行船を、そして一方の手でチャーミの腕を掴んでいたのだ。 「……なぜ」  そんな、手で。  しかも燕の指から、なにか温かいものがチャーミの身体に流れこんでくる。これは魔力だ。燕の魔力が、チャーミの全身をこれでもかと駆け巡っている。  なんて、温かな、力。 「エントレスチャーミさん、思い出しましたよ」  燕は、苦しそうに目を細めて言った。 「すてきな、かっこいい魔女だと憧れていたのです。私はあなたに、いつか挨拶をしたいと思っていました」 「……どこかで。会った。かしら」  燕の。きれいな鼻。思慮深いまつげ。 「いいえ。私はあなたを遠くから見ていただけでした。だからまた、いつか魔女のお茶会をしたいなと思って。私は今、あなたに死んでほしくないのですよ」  そこで燕は、チャーミの腕を離した。  飛べる。燕の魔力をもらったため、もう落ちることはない。チャーミは、艶然えんぜんと微笑んだ。久しぶりに、微笑むことができたのだ。 「君は。大丈夫。かしら」 「え、ええ……後で華茂に手伝ってもらいますよ」 「そう」  チャーミは空気を掻いて、その場を去ろうとする。  が――。しばし止まり、首だけで振り向いた。 「この借りは。覚えて。おくわ。あたしはいつか。君を。護る」 「そ、そんな……」 「Я могу защищать тебя, пока не умру一生護ってあげても。いいのだけどね」 「え? なんて言ったんですか?」  その質問には答えず、チャーミは身体を急加速させる。  最後の言葉は聞こえなくてよかった。  聞こえない方が、いい。  そう思い――もう一度だけ、浅い笑みを浮かべながら。

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