ここは――『魔女のお茶会』 惑星アニンの上空100キロに浮かぶ空中庭園だ。 このお茶会のために設けられた複数のテーブルは一様に、白く巨大なボードの上に乗っている。その様子はちょうど、結婚式の披露宴会場に似ていた。 華茂が眼下に望むは、そのほとんどがシアンブルー。遙かなる彼方が、星特有の緩やかな曲がりを見せる。ざわ、ざわと揺らめく海の鼓動。ところどころで、お茶を楽しむ魔女たちのかしましい声が響いている。 響いている。 ……はずだった。 しかし今、円卓に座っているのは華茂と燕だけだ。華茂は疲弊しきった顔で椅子の背に身体をぐだらせる。一方の燕は目を無にし、乾いた笑みを浮かべていた。 華茂は、一時間前のことを思い出す。 あれはたしかに、楽しい楽しい魔女のお茶会の開演だった。 みんなで好きなお菓子を持ち寄った。黒ごまもなかに栗ようかん。シュトーレンにシナモンロール。ピーナッツバターチョコレート、蜂蜜クルミ、マカロン、ココナッツクリームケーキ。リリーなんかは、いちごジャムクッキーと月餅など、二つもお茶菓子を用意してくれた。どれもこれも、舌がとろけるほどにおいしかった。 緑茶、ハチミツティー、椿茶。ハーブティーにジャスミンティーにストロベリーティー、そして水仙茶。世界の地域ごとに味は異なる。あっさりしていたり、深みがあったり。甘かったり、渋みがあったり。だけどどのお茶からもコクのある香りが漂っていたし、ふんわりと上り立つ湯気はどれも優しい温かさだった。 みんな、今回の出来事について思い出すように語り合っていた。 アニンが救われたからといって、魔女と人間の関係が劇的に改善されたわけではない。魔女を嫌う人間もいるだろうし、人間を嫌う魔女もいるだろう。それに魔女と人間で仲良くしようとひとことで唱えたとしても、完全に同一の存在ではない以上、これから生じるかもしれない課題を挙げて、お互いによき未来を目指そうとする姿勢が必要なのだ。 ただ、誰も、深刻になったりはしなかった。 あくまで現状を把握し、今時点での考え方を交換した。「人間など、実に厄介な存在でございますわ」とリリーが漏らしても、イアはその考えに反対しなかった。魔女と人間が同一でないのと同じように、魔女と魔女だって別個の存在なのだ。そのぶん違った考えがあったとしても、なんらおかしいことではない。 問題は、その後だった。 ある程度の議論が終わると、今度はめいめいが個人的な話をするようになった。 まず、大人げないことにイアとリリーが喧嘩を始めた。 「そういえばお前には殺されるとこだったぞ、フローレス!」 「なにをおっしゃる。自らの力量にあぐらをかいていた結果でございますわ」 「なんだとコラァ……もう一度やるか!?」 「ふうむ……では、逢魔掃討でございましょう」 イアは風魔法をビュンビュンうならせ、リリーはバイオリンを肩に構える。 だから、そのバイオリンはやめなさいって! 危ないから! 全員死ぬから! 「なんじゃ、試合か!? 修行か!? そういうのはボクも混ぜんせぇー!!」 そこへナンドンランドンが手首から先を虎に変えて参戦し、テーブルやら椅子やらなにやらが無茶苦茶になった。 黙ってお茶をすすっていたアルエだが、大破したテーブルの欠片がヒュン! と頬先を掠めるやいなや悠々と立ち上がった。肩には白猫のニーウ。やばいやばいやばい。 すると静観を決めこんでいたマロンが「このババアどもがぁー!! アルエになにやってくれてんのよ――っ!!」と叫んで風の刃を爆発させる。こめかみには怒りのマーク。この辺りで華茂と燕は目で合図をし合った。逃げよう、燕さん。うん、華茂。 「предать всех смерти」 さっきまで冷笑していたチャーミまでがチェーンソーをうならせ、もう大乱戦の大混戦。華茂と燕は四つん這いになってコソコソとお茶会を抜け出し、別のお茶会の舞台へと逃げてきたわけだ。 背後では、ドカーン! とか、ギャアアアアアア! とか、なんかよく知った音が響いていたけど……大丈夫だよね? う、うん。きっと大丈夫。 ……たぶん。 そして華茂と燕。二人で向かい合わせに座る。 青碧色のリーフスと、泥炭がごとく茶に燻ったハーバル。 二つの月が、音もなく空を漂っている。 「華茂」 名前を呼ばれて、身体を起こした。 燕は華茂に、緑茶を勧めてきた。ひと口、舌に転がしてみる。華茂と燕が一緒に住んでいた時、毎日楽しんだ味と同じだ。燕の、味だ。 「おいしいですか?」 「うん。おいしいよ!」 そう言って。 二人、黙る。 無音の、ピーンという響きが耳に封をする。 どうしよう。 久しぶりに二人きりになって。なんか、照れる。前はこんなんじゃなかったのにな。 「華茂、どうしましたか?」 訊かれた。 「え、ううん。……いや、ちょっと恥ずかしいなって思ってさ」 「恥ずかしい?」 「うん。黙ってたら、だんだん恥ずかしくなってきて……」 正直に答えると、燕はとても嬉しそうな顔をした。 「そうなんですか」 「うん」 「恥ずかしいんですか……ふふっ」 「え? え?」 すると燕はテーブルに頬杖をつき、顔を斜めにした。 「でも私、黙ったままなのも、嫌いじゃないですよ」 そして、斜めになった表情のままで、ニッコリと笑ったのである。 そっか。 ……そっか。 華茂は知らなかった。 燕が、沈黙が嫌いではないということを――そんな単純なことを、今の今まで知らなかったということに気づいたのである。 「ね、燕さん」 どうしても伝えたいことができた。 だから華茂は、あえて言葉を紡いだ。 「わたしね、燕さんのことを知ってるとは、言わないよ」 「……はい」 「知らないことが、たくさんあるよ」 「ええ。私もです」 「だから、もっともっと」 華茂はそこで視線を落とし。 もう一度、しっかりと燕を見て言った。 「いつまでも、ずっとずっと。知っていきたいよ。燕さんのこと」 燕もまた、下を向いた。 目を指でゴシゴシとやって。 緑茶を少し、飲んで。 やっぱりまた、どこまでもどこまでも澄んだ双眼を、華茂に向けてくれたのである。 「ありがとう、華茂」 「うん。こちらこそありがとう、燕さん」 「それなら早速、教えてあげたいことがあります」 「えっ、なに!?」 「私の裁縫の技術です! いえ、私が縫ってあげてもいいっていうかむしろやってあげたいのですが、一緒にできたらいいなっていうか、その、とりあえず袴のほつれを直しましょう!」 さ、裁縫!? へたくそなやつだ! やばいぞこれは! 「まずは、まつり縫いからです」 「と、とほほほほ!」 「やればできます。華茂なら、絶対にできますから!」 「わかったよ、燕さん! やるよぉ~~っ!」 というわけで、二人して裁縫をやることになった。 アニンの未来を救った同日に裁縫練習開始ぃ!? なんだか拍子抜けした感じだけど、やっぱりこれも大切なことだし、それに燕のことを一つ知れるような気がするのでいいんじゃないかな! 怠惰な自分との決別の一歩、ここにあり! うんっ! とびっきりの笑みで、宇宙を見る。 リーフスとハーバルが、空を流れていく。 そうそう。 さっき、燕のことを知っていきたいって決意したじゃない? 実はあの後、続きがあったんだけどさ。 でも今は、勇気が出なくて言えなかったんだ。 この言葉はしばらくとって置きたいの。 だからどうか、あなたたちだけの秘密にしておいてね。 あなたを知ることが、私の喜びの全てだってこと――。 華茂は二つの衛星を眺めながら、唇にそうっと人差し指を当てた。 了
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