メジロが土間に飛んできて、首をふりふりさせたと思ったらまた飛び立った。 まだ、朝の寝ぼけも残るころ。ついさっきまで穢れを祓っていた華茂としては、布団を敷いてもうひと眠りしたいところだ。 「なんだ、この部屋?」 だけどイアが華茂の家の座敷を半目で見渡してくれるものだから、心臓はドキドキ。正座した膝の上で手を握りながら、華茂はずうっと下を向くしかなかった。ささくれだった畳と和机に、イアの真紅のドレスはどこかしらミスマッチだ。 「あれは遠野が描いたのか?」 「へ、へいっ!」 若干ヤバめな返事をしてしまう。イアが言っているのは、座敷の壁一面に貼られた人物絵の数々である。 「つ、つ、燕さんの絵です。はい……」 「零式なのか、あれ。全然違うじゃないか……零式はもっと、鼻が高いだろう」 そんなことを言われても。 華茂は一生懸命に筆を走らせたのだが、いかんせん才能というものがなかった。 「で、零式はどこにいるんだ?」 「お茶会があるので昨晩出て行きました。たぶんもう帰ってくるはずですが……」 「ふーん。そりゃ残念だ。しかしやっぱり、どうやっても似てないな」 ガックリとへこむ。しかしそんな華茂に、イアはちょっと面白い話を聞かせてくれた。 どうやら大陸の方では電波というものを使って、遠隔地に声を飛ばす文化が発生したらしい。魔女学校で蒸気の発明とやらを習ったが、その仲間だろうか。とかく遠隔地に声を届けられるということはすなわち、誰かの一方的な話を不特定多数が聞けるということ。そしてその「ラジオ」なるもので物語の朗読が開始されたところ、優れた画家が物語の登場人物を布に描いて販売しているとか。画家たちは「絵師」と呼ばれている。絵師ねえ……へえ。 いやぁ、よくわからない国の担当にならなくて本当によかった。 この国は、そしてこの村は、たいそうのどかだ。 春は、沈丁花の馨しさを息に乗せ。 夏は、麩のような新月を見上げ。 秋は、神送りの風が肌を乾かせ。 冬は、熾の爆ぜる音に過去を想う。 華茂は穢れをもって四季を呼び寄せ、そして祈願のための火を点し続けるのだ。 それでいい。それで……。 「で、遠野は零式のことが好きなのか?」 「……んへ?」 いきなり訊かれて、耳がピーンと張り立つ。頬は従順な熱を帯びていく。 「ナンノコトデショウ?」 「いや、隠さなくていいだろう。人間と結ばれる魔女もいれば、魔女と魔女で永遠を誓う奴らもいる。別に普通じゃないか」 「ソウデスカネ? フツーナンデスカネ」 「うんうん、普通。遠野は零式のどんなところが好きなんだ?」 イアの笑みが、どんどんどんどん悪くなっていく。 「えっと、その……燕さん、きれいだし」 「うん。零式はたしかに美人だ。それで?」 「ご飯つくってくれるし」 「お前もつくれな。助けてやれよ」 「息してるし」 「そりゃ、するだろうな!」 「わ、わ、わたしに……接吻をくれましたし……」 「な、なにっ!?」 「あ、すいません。今のは昨日の夢の話です……」 「なんだと……?」 ムッ、と押し黙るイア。 叱られる? と覚悟した瞬間、イアは「あっはっは!」と高らかに笑った。 「それは羨ましいなぁ、零式が」 「そう、ですか?」 「人間と人間、人間と魔女、魔女と魔女。ま、色んな関係があるけどさ、やっぱり他人っていうのは自分とは違う存在なんだよ。食いモンの好き嫌いの違いとか、朝が強い奴とか弱い奴とか、元気な奴とか大人しい奴とか。そういうのあるじゃないか。遠野と零式だって、違うところはあるだろう?」 言われてみれば。華茂は虫と遊んで地面に寝ころび、どろんこになっても平気だ。しかし燕はきれい好きだから、やんわりとお叱りを受けてしまうこともある。 「でも、そんな違いを超えてお前は零式を求めているんだ。夢に見るまでな。それって、ちょっとした奇跡だぞ」 なんだか大それた言葉だけど、イアが言えば自然に聞こえるから不思議だ。 とはいえそれは、大魔女イア=ティーナがすごい人だからなんだろうな。ふらりとやって来たと思ったら、華茂の秘中の秘をすぐに見抜いてしまうなんて。 まさか燕にバレちゃいないだろうな。もしバレていたら、その、もう……。 「さ、その、『奇跡』だ」 言ってイアは、両手をパーン! と合わせた。 それからイアが語ったことは、まるでラジオで演じられる物語のようにも聞こえた。 突如始まった、魔女狩り。 一部の人間たちは空撃砲を使用し、魔女に戦斧を放った。 豪速で襲いかかる、確殺の弾。 何人かの魔女が犠牲になったと聞いたが、華茂は実際に魔女狩りを見たことがない。 しかしその異常事態に対し、魔女が二つの派閥に分離したことは知っている。 人間との共存を望む、リーフス。 人間の駆逐を目指す、ハーバル。 その二派が、局地戦とはいえついに衝突に至ったらしい。魔女同士で傷つけあうなんてまったく想像がつかない。あの、一緒にお茶を楽しんでいる魔女同士で……。 「少なくとも、魔女狩りっていうのは馬鹿げた話なんだがな……」 イアは気鬱な声で言って、大きくため息をついた。 魔女狩りの発端にはたしか、メイサという名前の魔女が関係している。 メイサは元々、世界二位の強国の首都で手縫いの仕事をしていた。ところが街を視察していた皇太子ファルクと互いにひと目で恋に落ち、二人は結婚する運びとなった。 しかし、ファルクは宮殿の中庭で、突如燃え上がった。 本当に燃え上がったのだ。なんの前触れもなく、全身に炎を纏った。叫び声は寸分の間も置かずに呻き声に変わり、近くにいた庭師が水をかけた時の音(ジュゥゥ……)がファルクの最期だったという。 自然に発火するなど、ありえない――。 人間たちはメイサを犯人として三日後に処刑。そこから魔女狩りが始まったという。華茂はそれ以上のことを知らないし、知りたくもない。ただ一つ、メイサは火刑にかけられるその時まで自らの罪を否定し、ファルクの死に対して半狂乱になっていたらしい。 そして、メイサが犯人だということに証拠は、ない。 「とはいえ、必要なんだよ。力が」 イアは首筋をポリポリと掻く。 「これからどうなるかはわからん。もちろん私としてはリーフスとハーバルの戦いを止めたいし、ハーバルを落ち着かせる必要があるとも思ってる。だけど、どうなるかわからないからこそ、力が必要なんだよ」 そしてイアの人差し指が、ビシイ! と華茂に向けられた。 「遠野、お前を最強の魔女にしてやる」 「そ、そんな……わたし、だめですよ……」 団扇のように手で仰ぐ。魔女学校でも、成績はビリから数えた方が早かった。 「お前には資質がある。なに、師匠の私が言ってんだ。とりあえずやらせてくれよ」 むむ……。 もう次から次にとんでもない話ばかりを聞かされ、頭が緩やかに痺れる。それでも師匠の言うことは絶対なのだ。結末がどんな形なのかはわからない。しかし、断るという行為はもっとも危険度が高い。 「うつ伏せになれ」 なすがままに、命令を聞く。 イアは華茂のふとももに手を伸ばしてきた。……あ、これ、指圧かな。 「おお、凝ってるなぁ」 気持ちいい。朝からがんばったもんね。効く効く。 眠くなって、きた、なぁ……。 ビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリ!!!!!!!! 「にゃっはぁぁぁぁ――――ッッ!?」 悶絶。 それは鍬を振り下ろすがごとく刹那にしてやってきた。 痛い痛い痛い痛い!! ふとももの皮がちぎれる! いやこれ、絶対やばいやつ!! 「し、ししょお!」 腰をくねらせ、おしりを突き出す。しかしその突き出したおしりをイアにがしっと掴まれた。 「動くな遠野。……しかし、お前のしりはでかいなぁ」 「いやそれ関係ないじゃないですか!? ちょっと、止めてください!」 「今、お前の魔力を開放してやってんだ。我慢我慢。ほら、よい子だ」 「だめですだめです! うわあああああああ!! ちぎれるっ! だめだめだめ!」 のたうつ。押さえつけらえる。痛覚信号はご愁傷様の域へ。 「あっ! 二人ともなにしてるの!?」 ハッと斜め上を見る。や、弥助が縁側の向こうからこちらを凝視している! 「や、やらしいことしてんだね……ハァハァ」 「違うっ! 違うから、イア師匠を止めてぇぇぇぇ!!」 「いや、そのままそのまま。眼福眼福……」 なんか渋い声で言う弥助。眼福じゃなーい!! そこでふいに、身体が自由になった。ようやくイアが手を離してくれたのだ。 「よし、魔力の開放成功だ。遠野、すぐに村を十周してこい」 なのに、狂った命令はまだ続く。 「は、はぁぁ? 今すぐですか!? 無理ですよ、こんな脚で……」 「ばっか。ちゃんと魔力を巡らせるためだ。歩いてこい。がんばれ」 そんなこと言われても、脚の感覚がない。このまま歩いたら確実にこける。村の人たちに笑われるだけならまだマシ。村の子供たちにいたずらされたり、鳥に頭をつつかれたりするかも……。 「華茂ねーちゃん、僕が一緒に行ってあげるよ、えへえへえへ」 「おー、そりゃいいな! 遠野、優しい人間と暮らせていてよかったな!」 ニッコリと笑いあう、イアと弥助。 華茂の背中が、水面に生じた波紋のように泡立つ。 さっきのメジロがまたやって来て、(大丈夫?)と言うように首を傾げた。
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